52 元悪役令嬢、厄介者に遭遇する
しかしながら、メリアローズの苦難は、学園内だけにはとどまらなかったのである。
「メリアローズ様、今日もお美しい」
「私は子爵家の――」
「是非一度我が領地に――」
ひとたびメリアローズが夜会に出れば、まるで砂糖に群がる蟻のように、貴公子たちがうようよとやってくるのだ。
王子と婚約していた時は、こんなことはなかった。
とりあえず適当に会話をして、申し訳程度に王子と踊っていればそれでよかったのだ。
だが、今はそうもいかない。
メリアローズを射止め、マクスウェル公爵家や王子に取り入ろうと、ひっきりなしに国中の貴公子たちが集まってきてしまうのだ。
まさか鬱陶しいから引っ込んでろ、と恫喝するわけにもいかない。
かくして麗しの公爵令嬢の仮面をかぶったメリアローズは、常々その対処に追われているのだった。
一応相手の名前と家柄、基本的な情報などは頭に入っているが、どうしても気もそぞろになってしまう。
なんとか顔に笑みを張り付けて、失礼にならない程度に会話を交わしていると……ふとメリアローズの元に集まっていた者たちが道を開けた。
これは、自分たちよりも身分が高いものが来たということだろう。
一体誰が、とメリアローズは気を引き締めて、そして現れた相手に目を丸くした。
「やぁ、久しぶりだね、メリアローズ」
「まぁ、パスカル様!?」
――スペンサー公爵家の嫡男、パスカル。
まばゆい金髪の長身の美男子であり、ユリシーズ王子ほどではないが王都の娘たちの憧れの貴公子だ。
年はメリアローズよりもいくつか上であり、学園を卒業し、既に宮廷に仕える身である。
ここしばらくの間は、近隣諸国へ赴いていたとの話だったが……
「驚いたよ、君が王子と婚約したとの話を聞いたと思ったら、まさか王子の背中を押すための演技だったなんて」
「まぁ、恥ずかしいわ」
照れた振りをしつつ扇で顔を隠し、メリアローズは「うげっ」と顔をしかめそうになるのをなんとか取り繕った。
同じ高位貴族の者同士、メリアローズとパスカルは今まで何度も顔を合わせていた。
だからこそ、メリアローズはパスカルのことをよく知っていた。
彼は……バートラムに勝るとも劣らない、女たらしなのだ!
社交の場ではいつも違う女性を引き連れており、うっかり逢引の現場に遭遇してしまったこともある。
そんなわけで、メリアローズはこのパスカルという男がどうにも苦手だった。
しばらく顔を見なくてせいせいしていたが、ついに帰国してしまったのか……。
パスカルは人好きのする笑顔を振りまきながら、メリアローズの目の前までやって来た。
周りの貴公子たちは、さすがに公爵家の嫡男に逆らう勇気は無いのか、じっと彼の動向を見守っているようだ。
「メリアローズ……随分と綺麗になったね」
「あら、褒めても何も出ませんわよ」
「本心だよ。小さなころから君は芸術品のように美しかったけど、ますます磨きがかかったね」
パスカルはメリアローズの髪を一房手で掬うと、そっと口付けたのだ。
周囲で見守っていた貴公子や令嬢たちからどよめきがあがり、メリアローズは恥じらう振りをして一歩身を引いた。
――まさかこいつ、私も射程圏内に入れてきたの……!?
パスカルは女にだらしない男だ。
だがその対象は社交界デビューを済ませた年頃からの「女性」に絞られており、メリアローズを含め、幼い少女にはそれほど興味がないようだった。
だから、今までメリアローズが彼の毒牙にかかることはなかったのだが……
「再会の記念に一曲どうだい?」
もちろん、断られるとは微塵も思っていないのだろう。
パスカルの笑みには、余裕と……周囲に対する優越の感情がありありと見て取れたのだ。
……ここで断って恥をかかせてやろうかしら。
彼に泣かされた幾人もの令嬢を知っているメリアローズはそう考えたが、そうなればマクスウェル公爵家とスペンサー公爵家との間に亀裂が走ってしまう。
いくらなんでもそれはまずいだろう。
仕方なく、メリアローズは喜ぶ振りをして彼の手を取った。
女性慣れしているだけあって、彼のエスコートは見事だった。
丁寧なだけでなく、どこか女性をどきりとさせるような、色気のようなものを遺憾なく発揮してくるのだ。
「メリアローズ、見てごらん。皆がこっちを見ているよ」
必要以上に顔を近づけながら耳元でそう囁かれ、メリアローズはうげっと顔をしかめそうになるのをなんとかこらえた。
時折事故を装って抱き寄せるなど、この男はいちいちスキンシップが激しい。
彼の本性を知っているメリアローズだからよかったものの、耐性のない令嬢が見目麗しい貴公子にこんな態度を取られれば、すぐにころっといってしまうだろう。
早く終われ……と念じながら、メリアローズはひたすら愛しのチャミを思い浮かべ引きつりそうになる表情を笑顔に変えていた。
「君は本当に綺麗になったね。他国にも美しい女性はたくさんいたけれど、君に並ぶ者はいないだろうな」
「あら、そんなことはないでしょう。わたくし、皆が取り合う美姫の噂をよく耳にしますもの」
「噂だけさ。実態は大したことはないよ。それに比べて君は――」
パスカルの口説き文句も右から左へと流れていくようだった。
どうせ、どの相手にも同じことを言っているのだろう。
そんな冷めた思考の中で、何度目かのターンの際に、メリアローズの視界にパスカルのものよりも淡い金髪が映り込む。
それは、メリアローズのよく知る色だった。
「……ウィレム」
「ん? 何か言ったかい?」
パスカルが何か話しかけてきたが、もうメリアローズの耳には入らなかった。
あの色は、間違いなくウィレムの髪の色だった。
彼が今日の夜会に参加するとは聞いていない。ウィレムは伯爵家の三男であり、本人もあまりこういった夜会が好きではないようで、ほとんどこういう場で遭遇したことはなかったのだ。
――どうして、ウィレムが……
どうして彼が今日の夜会に来ているのかはわからないが、急にメリアローズの心に焦りが生じ始めた。
何故だか、こんな風にパスカルと接近して踊っている場面を、彼には見られたくないと思ってしまうのだ。
人ごみの向こうにいるウィレムは、メリアローズに背を向けたままどんどん遠くに歩いていってしまう。
――待って、行かないで……!
もうパスカルのことなどは意識から外れ、メリアローズは必死にその背中を目で追っていた。
そして曲が終わった途端、メリアローズはすぐさま駆け出した。
「ごめんなさい、知り合いを見つけたので……!」
「メリアローズ!」
背後からパスカルの引き留めるような声が聞こえたが、メリアローズは振り返らずに走り続けた。
ウィレムはどんどんと進み、会場の外に出て行ってしまったようだ。
メリアローズも慌てて会場から飛び出すと、なんとかその背中を見つけることができた。
「ウィレム、待って!」
自分でもどうしてこんなに必死になるのかわからずに、メリアローズは彼に走り寄り、思わずその腕にしがみついていた。
「ウィレム! どうしてここに――」
「えっ?」
ウィレムが驚いたようにメリアローズを振り返る。
その顔を見た途端、メリアローズは絶句した。
「…………えっ?」
髪の色も、顔立ちも確かにウィレムによく似ていた。
だが……よく見ると彼はウィレムではなかったのだ。
年のころは二十代くらいだろう。
ウィレムよりも若干大人びた顔立ちで、体つきも鍛えられた大人の男のものだ。
――まさか、人違い!?
髪の色だけで人違いをし、馴れ馴れしく腕にしがみついてしまうなど……どう考えても淑女としては落第点な行動だ。
メリアローズは事態を悟って一気に恥ずかしくなり、一瞬で頬に熱が集まった。
「も、申し訳ありません、私……!」
「あの……マクスウェル家のメリアローズ嬢、ですよね?」
名を呼ばれ、とっさにメリアローズが顔を上げると……その青年は怒ることもなく優しい瞳でメリアローズの方を見つめていたのだ。
ウィレムによく似た顔で優しく微笑まれ、メリアローズは思わずどきりとしてしまう。
「私のことを、ご存じなのですか?」
「はい、あなたは有名ですから。それに、弟から話は聞いています」
「弟……?」
ということは、もしかして……
ぽかんとするメリアローズの前で、青年は完璧な騎士の礼を取ってみせたのだ。
「初めまして、メリアローズ様。ウィレムの兄の、アンセルム・ハーシェルと申します」




