49 元悪役令嬢、今後について考える
「ちちち、ちょっと待って! いきなりどうしたの!!」
慌てるメリアローズとは対照的に、彼女にプロポーズしたばかりの青年――ジェイルは、にっこりと笑う。
「いきなりじゃないですよ。ずっと前から言おうと思ってたんです」
その堂々とした態度に、メリアローズは一気に混乱した。
メリアローズにとってのジェイルは、よく懐いてくれる可愛い弟のような少年だったのだ。
確かに彼は「メリア姉様メリア姉様」とよくメリアローズを慕ってくれていたが……それも、姉のような感情だと思っていた。
それがいきなり「結婚してください」とは……。
あまりに急すぎて、事態を飲み込むことすらできそうにない。
「……少し待ってくれ。メリアローズさんが混乱している」
キラキラした瞳で迫るジェイルと、ショックで固まるメリアローズの間に、ウィレムが割って入ってきた。
その聞きなれた声が耳に入り、メリアローズは知らず知らずのうちにほっと力を抜いていた。
「あなたは?」
「ハーシェル伯爵家のウィレム。メリアローズさんの…………友人だ」
ウィレムがそう名乗ると、ジェイルは驚いたように目を丸くする。
「ハーシェル家……あの聖騎士アンセルム卿の!?」
「あぁ、済まないが、一旦手を放してもらえるか」
ウィレムの言葉に、ジェイルははっとしたように握りしめたままだったメリアローズの手を離した。
やっと解放されたことで、メリアローズはふぅ、と息を吐く。
「……メリア姉様、僕は本気です」
ジェイルは真摯な瞳でメリアローズを見つめたまま、そう告げた。
「あなたがユリシーズ王子と婚約されたと聞いて、諦めようかと思いました。でも……王子の為を思って身を引いたと聞いて、もう抑えきれなくなったんです」
……ひどい誤解が生じている。
いったい、世間には私の話はどう伝わっているのかしら……とメリアローズは頭がくらくらしてしまった。
思わずふらつきそうになったメリアローズを、ウィレムがそっと支えてくれる。
「メリア姉様が多くの方から求婚を受けていることはしっています。今すぐに返事を、とは言いません。でも……僕のこと、できれば候補に入れていただきたいのです。」
そこまで言うと、ジェイルは丁寧な仕草でメリアローズに対して礼をしてみせた。
「覚えておいてください、メリア姉様。ずっと昔から、貴女だけを想っていました」
今まで、何度も求愛や求婚の申し出を受けたこともある。
今朝も、群がる者たちにひどい思いをしたものだった。
だが、昔から知るジェイルまでもがそんなことを言いだしたのに、メリアローズはすっかり心がかき乱されてしまったのだ。
◇◇◇
あまりに驚きすぎて、その後の記憶は曖昧だが……気がつけばメリアローズは見慣れた公爵邸へと戻ってきていた。
気分を落ち着かせるように一心に愛猫チャミを撫でていた時にやっと我に返ったが、無事に戻ってこられたということはウィレムが送ってくれたのだろう。
今日もメリアローズが持ち帰ってきた大量の花束をどうするか、と相談するメイドたちをぼんやり眺めていると、不意に自室の戸が叩かれた。
「メリアローズ、いいかい?」
聞こえてきたのは、兄のアーネストの声だ。
メリアローズは慌ててチャミを抱いたまま立ち上がる。
「お兄様、何か御用でしょうか」
「あぁ、少し二人で話したいことがあってね。一緒に庭の散歩でもどうだい?」
話したいこと……とは何だろう。
ちらりと侍女のシンシアに視線を送ったが、彼女も思い当たるふしが無いのかほんのわずかに首をかしげてみせる。
なんにせよ、メリアローズには兄の誘いを断る理由はない。
チャミをシンシアに預け、メリアローズは兄の元へと足を進めた。
庭師たちが丹精を込めて手入れを欠かさないマクスウェル公爵邸の庭は、王城の庭園にも劣らないとの評判である。
メリアローズも昔から、ちょっとした探検気分で庭を散策するのが好きだった。
季節の移り変わりによって様々な姿を見せてくれるこの庭は、メリアローズにとってお気に入りの場所であったのだ。
「もう少ししたら、薔薇の花が咲くだろうね」
「えぇ、きっと見事でしょう」
他愛ない話をしながら、庭園の奥へと歩みを進める。
ちょうど休憩用のベンチに差し掛かると、アーネストはメリアローズをその場所へと誘う。
メリアローズがそっと腰を下ろすとアーネストも隣に腰かけ、そしてそっと口を開いた。
「……メリアローズ」
兄の声色が、先ほどの雑談の時よりも真剣味を帯びた。
これから本題に入るのだろうと、メリアローズはごくりと唾を飲み込む。
「おそらく、近いうちに父上から話があるだろうけど……リード伯爵家から縁談の話が来た」
――『ずっと、お慕いしてました……メリア姉様、僕と結婚してください!!』
まさにメリアローズの頭を悩ませていた話を切り出され、思わず肩がびくりと跳ねてしまう。
リード伯爵家、ジェイル……。
あれはジェイルのただの気まぐれではなく、正式にリード伯爵家としての婚姻の申し入れだったようだ。
「……その様子だと、ジェイル本人から話があったみたいだね」
「お兄様、本当なのですか……?」
「あぁ、メリアローズの後ろをついてばかりだったジェイルが……時間が経つのは早いものだね」
アーネストが昔を懐かしむように目を細め、メリアローズはどうしていいのかわからず俯いてしまう。
今でも、あのジェイルが自分に求婚してきたなどとは信じられないのだ。
「もちろん、ジェイルだけじゃない。王子との婚約が解消された時から、続々と求婚の申し込みは絶えないよ。釣書の束でキャンプファイアーができそうなくらいにね」
兄は冗談めかしてそう言ったが、メリアローズは笑えなかった。
一時は王子との婚約を隠れ蓑にそう言った煩わしさからは解放されていたが、また求婚攻撃に晒されるようになってしまったのである。
「……メリアローズ。今すぐに、とは言わない。でも、学園を卒業するころには、ある程度の候補は固めておきたい」
「…………はい、わかっております」
メリアローズとて、重々承知している。
父は「本当に結婚したいと思える相手ができるまでここにいればいい」と言ってくれるが、実際はそうもいかないだろう。
よほどの理由がない限り、貴族の女性でいつまでも未婚というのは世間体が許さないのだ。
メリアローズもそのうちに奇異の目に晒されるようになり、ひいてはマクスウェル公爵家に悪い影響を及ぼしかねない。
メリアローズも、そろそろ真剣に自身の婚姻について考える時が来ているのだ。
「メリアローズは、誰か、これぞという相手はいないのかい?」
兄にそう問いかけられ、メリアローズは困ってしまった。
ユリシーズ王子の恋を成就させようと一年間駆け回って、元々の計画とは違ったが、無事に王子とリネットが結ばれるのをメリアローズは見届けた。
しかし、それでも……メリアローズはいまだ自身の恋愛についてはよくわからないままなのだ。
しかし、兄は無理矢理メリアローズの意志を無視して結婚させるようなことはなく、ちゃんと相手を選ぶ自由をくれている。
いや、だからこそ……メリアローズは困っているのだ。
これがいっそ無理矢理相手を決められるようであれば、メリアローズも大人しく自分の運命を受け入れ誰かに嫁ぐ決心ができたものを。
これぞという相手――一瞬、脳裏に誰かの姿が浮かびかけたが、すぐに霧のように消えてしまった。
メリアローズはそっと目を閉じて、小さく首を振る。
率直に言えば、王子やリネット。バートラムにジュリアが羨ましい。
――身分や立場を超えた、熱い想い。
どうしても損得や利害関係を真っ先に考えてしまうメリアローズには、未だわからないものだ。
きっと今メリアローズに求婚している者たちも、メリアローズがマクスウェル公爵家の娘でなければ、求婚などしてこなかったであろう。
そう思うと、ついため息が出てしまうのだった。
「残念ながら、そのような殿方はおりませんの」
「そうか……心が決まったら、いつでも教えて欲しい。可愛い妹を託す相手を、見極めなければならないからね」
アーネストに優しく頭を撫でられて、メリアローズは少しだけ落ち込んでいた気分が上向きになるのを感じた。




