6 実働部隊一同、学園へ潜入する
そして、いよいよメリアローズ達が王子と共にロージエ学園に入学する時が来た。
期待に胸を膨らませた新入生たちが、続々と窓の外を流れるように歩いていくのが見える。
何度も念入りに打ち合わせを繰り返した四人は、学園内の一室からそっとそんな生徒たちを眺めていた。
「ほら、あの子だぜ。例の『ヒロイン』ちゃんは」
バートラムがニヤニヤしながら指差した先には、なるほど、初々しい雰囲気を持つ一人の少女が立っていたのだ。
「ロックウェル男爵家の娘、ジュリア……なるほど、確かに王子が見初めるのもわかる気がします」
「あら、メガネはああいう子がタイプなの?」
「そろそろ俺の名前覚えてくれませんかね……」
王子の取り巻き役の眼鏡――ウィレムがもたらした情報を頭に入れつつ、メリアローズはじっとその少女を見つめた。
多くの令嬢たちのように完璧にセットされてはいない、風になびく長い金髪が美しくきらめいている。
空色の大きな瞳できょろきょろと不安そうにあたりを見回す様子は、見るものの庇護欲を掻き立てるであろう。
群を抜いた美人というわけではないが、この学園に通うような貴族令嬢とはどこか違う、まるで野に咲く花のような不思議な魅力を持つ少女だ。
本来ならジュリアのロックウェル男爵家はこのロージエ学園に通えるほどの家ではないのだが、大臣たちがうまく働きかけ、なんとか成績の良い特待生として迎え入れることに成功したようだ。
そのせいか、ジュリアは自分の生まれ育った環境との違いに戸惑っている様子である。
「いいねぇ、俄然やる気が出てきたぜ」
「ちょっと、本気にならないでよ!! 万が一あの子に手を出せばそれこそあんた消されるわよ!」
「ちょ、こえーこと言うなよ……!」
ひゅう、と口笛を吹いた当て馬――バートラムにそう注意すると、彼はさっと顔を青ざめさせた。
まったく、これでは先が思いやられるではないか。
「それじゃあ、当面の動きを再確認するわ」
メリアローズがぱん、と手を叩くと、三人は一斉にしゃきっとたたずまいを直した。
そして、メリアローズはびしっと扇でバートラムを指し示す。
「まずは当て馬」
「へーい。俺はとりあえず目立たないように待機だな。王子様とジュリアが接近するまでは」
「わかってるじゃないの。先走ってジュリアに突進したりしないでよ」
「わかってるって。俺は『待て』のできる躾けられた犬だからな」
「気持ちの悪いこと言わないで」
「おい、お前がそう言ったんだからな!?」
喚くバートラムを放置し、メリアローズは次にウィレムに視線を向けた。
「メガネは?」
「……王子の取り巻き役として傍に侍り、それとなく王子をジュリアの元へと誘導します」
「そうよ。まずは王子とジュリアが再会しないと何も始まらないの。今この時期の動きは強く今後に影響を及ぼすことになるわ。そして、それができるのはあなただけ」
「えぇ、任せてください、メリアローズさん」
ウィレムは眼鏡をくいっと掛けなおし、自信満々に頷いて見せた。
なるほど、地味な外見に似合わず肝が据わっているようだ。
「あとは……確認の必要もないと思うけど、リネット」
「はい。私は学園の中に『メリアローズ様は王子の婚約者である』という噂を流して流して流しまくります。そして、メリアローズ様の取り巻きを形成します」
「えぇ、頼むわよ」
どうやらバートラム以外は特に心配の必要もなさそうだ。
うんうんと満足げに頷くと、口を尖らせたバートラムがメリアローズに食って掛かってきた。
「じゃあお前はどうなんだよ。ちゃんとやれるのか?」
「当然よ。私は、王子の婚約者として悪役令嬢として、この学園の女王の座に君臨するの!」
「ジュリアに対しては?」
「この時点では放置よ。栄えある公爵家の令嬢が、ただの田舎娘なんて目の敵にしたりはしないもの」
そう、悪役令嬢メリアローズがジュリアを標的とするのは、あくまで彼女が王子の想い人であると発覚してからなのだ。
それまでは、ジュリアなど路傍の石程度に扱わなくてはならないのだ。
王子とジュリアが相思相愛であると知れ渡って初めて、メリアローズは彼女を苛め抜かなければならないのだから。
「それじゃあ、始めましょう。学園という舞台の上で、精々優雅に踊ってみせましょうか」
メリアローズがかっこつけてそう言うと、三人は若干引き気味な笑みを浮かべた。
その反応を見て、メリアローズは少しだけ恥ずかしくなったものだ。
◇◇◇
入学一か月、作戦は中々うまく進んでいるといってもよかった。
リネットがメリアローズは王子の婚約者である、という噂を流したおかげか、無理に王子にアプローチを仕掛けるような女生徒はいまだ現れていない。
それどころか、次期王妃のメリアローズに取り入ろうとご機嫌伺いに必死なようである。
「メリアローズ様、食堂の席を確保しておきましたわ!」
「こちらは南の国伝来のアロマオイルですの。是非ともお納めください」
「こんど隣国の有名楽師を招いてのパーティーが……」
そんなに気を使わなくてもいいのよ、という言葉をメリアローズはぐっと飲みこんだ。
なんせ今のメリアローズは「悪役令嬢役」なのである。
ジュリアをいじめるのはまだ先の話だが、今から高慢で嫌な悪役令嬢として振舞わなくてはならないのだ。
「あら、気が利くじゃないの。オーホッホッホ!!」
扇で口元を隠すようにして高笑いを上げたメリアローズに、他の善良な生徒たちはさっと視線を逸らしていた。
うまく土壌は固まりつつあるようだ。
「ほら皆さん、そろそろ次の教室に行かなくては」
まるで筆頭女官のように、野心に燃える取り巻きたちをうまくリネットが統率してくれている。
メリアローズがたびたびリネットを重用する様子をあえて周囲に見せつけているので、周りの女生徒たちも彼女には一目置いているようだ。
「あら、見てください……!」
次の授業の教室へと向かう道すがら、メリアローズ達の一団は中庭を横切る渡り廊下を通りかかった。
その途端、取り巻きの一人が嬉しそうな声を上げる。
「バートラム様だわ……!」
中庭の樹にもたれかかるようにして座り込んでいたのは、現在暇をしているはずの当て馬役バートラムだった。
さすがは当て馬に選ばれるだけのイケメン。そんな様子も絵になるのである。
きゃあ、と騒ぐ取り巻きたちの声が聞こえたのか、バートラムがにっこりと笑ってこちらに手を振ったのが見えた。
「見て、こちらに手を振ってくださったわ!」
「いえ、私の方を見ていたのよ!!」
今年入学した男子生徒の中で、ユリシーズとバートラムは双璧をなす人気を博しているといってもよかった。
だが、ユリシーズはメリアローズの婚約者(仮)。既に他人の所有物同然なのである。
そうなると、女生徒たちは自然とバートラムに熱を上げるようになっていった。
バートラム自身もこの状況を楽しんでいるのか、すっかり上機嫌で女生徒たちの黄色い声に答えているのである。
まったく、「目立たないように」と念押ししたのをあいつはわかっているのか、とメリアローズは若干白い目になった。
これで作戦がうまくいかないようなことがあったら、あいつ一人を生贄に差し出そう。メリアローズはそう決意した。
そんな時、隣にいたリネットがこほん、と軽く咳払いをするのがメリアローズの耳に入る。
「いいえ、バートラム様はメリアローズ様に手を振られたのではないかしら」
その途端、あたりの空気がぴしりと凍り付いた。
餌をねだる小鳥のようにさえずっていた取り巻きたちが、ぴたりと静まり返る。
そして、ぎぎぎ……とゆっくりメリアローズの方を振り返ると、まるで妙な電波を受信したかのように一気にまくしたて始めたのだ。
「そうよ、そうに決まってるわ!」
「きっとバートラム様もメリアローズ様のことをお慕いしているのよ!!」
「見ました? あの熱い視線。バートラム様もメリアローズ様に熱を上げていらっしゃるのね……!」
周囲からの一斉の怪音波に、メリアローズはぐったりしそうになるのをなんとか高笑いで取り繕った。
そう、メリアローズはこの学園の女王なのだ。人気ナンバー2のイケメンも、当然メリアローズの物でなければならないのである。
……率直に言うと、つらい。
メリアローズは必死に愛猫チャミの愛くるしい姿を思い浮かべ、この苦境を乗り切ろうとした。
既に悪役令嬢役に疲れはじめていたメリアローズに、バートラムがにやにやとからかうような笑みを送ってくる。
その様子に、女生徒たちはまたもや喧しくさえずり始めたのであった。
そんな風にメリアローズが五月病に掛かり始めた頃……ようやく事態は動いた。
放課後、メリアローズ達実働部隊はウィレムによって空き教室に呼び出されたのである。
ようやくか、とわくわくしながら赴くと、そこにはキラリ、と眼鏡を光らせた王子の取り巻き役が待っていた。
「……王子とジュリアが再会し、仲を深めています。そろそろ頃合いかと」
取り巻きに囲まれるメリアローズの元にはそんな話は伝わってこなかったが、どうやらこのメガネはうまくやってくれていたようだ。
いよいよ、悪役令嬢の本領発揮である。
「いいわ、作戦を第二フェーズへ移行しましょう」
ぱちん、と扇を畳みそう告げると、目の前の三人は重々しく頷いた。
かくして、「王子の恋を応援したい隊」のミッションが本格的に始動したのである。
次はいよいよ悪役令嬢VSヒロインのガチンコ勝負です!