当て馬、悪役令嬢を心配する(後)
「ねぇ、聞いて。バートラム」
そっとそう声を掛けると、バートラムは静かに頷いた。
彼は話の通じない相手ではない。
こうして真剣に話し合えば、きっとわかりあえるはずだ。
「あなたたちが私を心配してくれていることはよくわかるわ。でも……私だって、同じようにジュリアのことが心配なのよ」
そう告げると、バートラムがはっとしたように目を見開いた。
その反応にくすりと笑い、メリアローズは続ける。
「私……あの子のこと好きよ。本当はこんなこと言ってはいけないのだろうけど……あなたがあの子に惹かれる気持ちもわかるわ」
「メリアローズ……」
「だから、私はジュリアを守りたいの。それが計画の遂行のためだって意味もあるけれど、それ以上に……私がそう思ってるの」
あの、明るく能天気な少女の笑顔が曇るようなところはできれば見たくはない。
彼女にはいつものように、太陽のように笑っていて欲しいと思ってしまうのだ。
「だから、私はこの役目を降りるつもりはないわ」
自分自身に言い聞かせるように、メリアローズはそう宣言した。
すると、バートラムは悲痛な表情で眉を寄せた。
「それでも、お前に何かあったら……」
「そうならないように、あなたたちがいるんじゃない。……バートラム、こうやって警戒を促してくれてありがとう。感謝するわ」
もちろん、不安がないわけではない。
それどころか、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
だが、「メリアローズ様!」とじゃれてくるジュリアの笑顔を思い出すたびに……メリアローズはここで踏みとどまらなければ、と決意を新たにしてきたのだ。
「だからあなたのことも――きゃっ!?」
頼りにしてる――という言葉は、途中で遮られてしまった。
いきなり、強い力でバートラムに抱き寄せられたのだ。
「なっ、何を――」
慌てて離れようとしたが、強い力で抱きしめられ身動きが取れない。
顔を上げようとすると、後頭部を抑えられそれすら叶わなかった。
――な、なんなの……!? 何が起こったの!!?
思わぬ事態に混乱するメリアローズの耳元で、バートラムがそっと囁いた。
「…………悪かった」
「な、なにが……」
「俺、誤解してたかもしれない。お前のこと」
誤解、とは何のことかしら……と戸惑うメリアローズに、バートラムは続ける。
「お前にも……ちゃんと人の心があったんだな」
「…………ちょっと、それどういう意味よ」
なんだか失礼な台詞が聞こえたような……とむっとするメリアローズに、バートラムはぽそりと呟いた。
「……何かあったらすぐに俺を呼べ。何があっても駆けつける」
「そんなの――」
「……いいから、約束してくれ」
かすれた声で懇願するように囁かれて、反論する気力も削がれてしまった。
胸元に抱きしめられたまま小さく頷くと、頭上で安堵のため息が聞こえる。
――……心配、かけてしまったみたいね。
こう見えてバートラムは情に厚い人間だ。
そう思い少しだけ己の軽率な行動を後悔した途端、廊下の方からバタバタと騒がしい声が聞こえてきたのだ。
「リネット、こっちで間違いないか!?」
「えぇ、これはまさしくメリアローズ様の香り……そこの部屋です!!」
――これは、ウィレムとリネットの声?
「やべっ!!」
ぽかんとするメリアローズから、慌てたようにバートラムは離れようとした。
だが、一歩遅かった。
「メリアローズさん! 無事で――え?」
蹴破る勢いで扉が開け放され、その向こうに焦った様子のウィレムとリネットが顔をのぞかせる。
二人はかつてないほど接近状態のバートラムとメリアローズを目にして、驚いたように目を丸くした。
だが、やがてひやりとした冷気が二人の方から漂ってきたのだ。
「……バートラム様、まさかあなたが黒幕だったなんて」
「ち、違う! 落ち着けリネット! そんなわけないだろ!! ていうかお前匂いで場所突き止めるとか犬かよ!!?」
一歩一歩静かに近寄るリネットに恐れをなしたように、バートラムはじりじりと後退していく。
事態が呑み込めないままにその様子を見守るメリアローズの元に、ウィレムが近づいてきた。
「メリアローズさん、まさか大丈夫だとは思いますが……って、どうして泣いてるんですか」
「え?…………! その、これは……!」
なんとか涙は止まっていたが、涙の痕は隠せなかったのだろう。
そんな状態をウィレムに見られたくなくて、メリアローズはさっと目を逸らした。
「……メリアローズ様が、泣いている? バートラム様、詳細をお話しいただけますか」
「リネット、いいか、落ち着くんだ。俺は無実だ。神に誓って無実なんだ」
「だったら……なんでメリアローズさんを泣かせたんだ」
「それには深い訳があってだな……! おい、メリアローズ! お前からも何とか言ってくれ!!」
リネットとウィレムの二人に詰問され、バートラムはいつになく焦っているようだ。
ここは素直に弁護するべきかしら……と嘆息したメリアローズだが、不意に悪戯心が湧き上がってきた。
――そもそも、最初にバートラムが脅かしてきたのが悪いのよ。
そのせいで、メリアローズが怖い思いをしたのは確かなのだ。
少しくらい、仕返ししてやったっていいだろう。
「そうね。確か……下心が20%とか言ってたかしら」
「「は?」」
「おいいぃぃぃぃ!!」
リネットとウィレムの威圧オーラにあてられたバートラムが悲鳴に近い声で助けを求めてきたが、メリアローズはくすりと笑って華麗にそれを無視した。
後は、リネットとウィレムがきっとお灸を据えてくれることだろう。
「……リネット、ここは俺に任せて欲しい。君はメリアローズさんを安全な所へ」
「はい、承知しております。メリアローズ様、このリネットがいる限り、何者もメリアローズ様に近づけさせませんわ……!」
「ふふ、ありがとう。頼りにしてるわ、リネット」
そう、メリアローズはまだ頑張れる。
だって、近くで支えてくれる彼らがいるのだから。
「……おい、待てメリアローズ。立ち去るのは誤解を解いてからにしてくれ。ってメリアローズ!!!」
メリアローズが廊下に出て、リネットが後ろ手に扉を閉める。
その途端、部屋の中からバートラムの叫び声が聞こえてきた。
「ふふ、バートラムはいつも大げさね」
「まったく、困った方ですね、うふふ」
そう言ってくすくす笑ったリネットの目が笑っていないような気がしたが、メリアローズは気にしないことにした。
――私は、負けないわ。絶対に犯人を突き止めてやるんだから……!
こうして哀れなバートラムの断末魔をBGMに、悪役令嬢は静かに復讐を誓ったのだった。




