5 悪役令嬢、婚約破棄のために婚約する
そして学園入学を数か月後に控えたある日、王子とメリアローズの婚約話が持ち上がった。
「え、いくらなんでも婚約はやりすぎじゃないですか!?」
「何をおっしゃるメリアローズ嬢。悪役令嬢ときたら婚約破棄、そう相場は決まっているのです!」
「なるほど……」
熱弁を振るう大臣に、メリアローズは感心し頷いた。
確かに大臣の持ってきた書物の中では、決まってというほど悪役令嬢に婚約破棄は付きものであったのだ。
悪役令嬢は実家の権力を駆使し無理矢理ヒーローと婚約を結び、ヒロインに勝利を宣言する。しかし、物語のクライマックスでヒロインやヒーローたちに今までの悪行を断罪され、婚約破棄を宣言されるのだ。
その後は追放断頭台意に添わぬ結婚などなど……確かに婚約破棄イベントは、悪役令嬢の登場する物語の華といってもよいだろう。
「まぁ正式に婚約すると色々と面倒なので……あくまで婚約の内定という形に納めますが」
「それでも、私は王子の婚約者として学園の女王の座に君臨し、ヒロインに勝利を宣言するのですね?」
「えぇ、その通りです! さすがはメリアローズ嬢、察しが早くて助かります」
正式な婚約だろうが婚約の内定だろうが、周囲の者にとってメリアローズは王子の婚約者として扱われることとなる。
それが一番重要なのだ。
スキップでもしそうな足取りで公爵邸を後にする大臣の後姿を眺めながら、メリアローズはほぅ、と息を吐いた。
「いやいやいや……! なんで婚約破棄するってわかってて婚約するんですか! おかしいですよ!!」
「シンシア、悪役令嬢ときたら婚約破棄。水と魚のように切っても切れない間柄なのよ」
「そんなの私が叩き切ってやりますよ!!」
大事なお嬢様が糞親父にとんでもない方向へ誘導されているのに気づいて、侍女シンシアは激昂した。
いくらなんでも婚約はやりすぎである。まったく、嫁入り前のお嬢様になんてことをしてくれやがったのか。
これで少しでも今後のお嬢様の人生に差し障るようなことがあったら、いさぎよく王宮に爆破テロを仕掛けてやろう。
シンシアはそう固く心に誓った。
「お嬢様は嫌じゃないんですか? 破棄するとわかってるのに婚約なんて……」
「うーん……それが私に与えられた役割なのだから、そこまでの忌避感はないわ。それに、王子の婚約者として扱われれば、その間だけでも穏やかに過ごせそうじゃない」
「……そういうことですか」
シンシアはそこで初めて、メリアローズの心中を察した。
メリアローズはマクスウェル公爵家の美貌の令嬢。それこそメリアローズに舞い込む縁談など、腐るほどにあるのだ。
社交の場に出れば、次々と年頃の貴公子がメリアローズの前に現れ、彼女を褒めたたえ愛を囁いていく。
メリアローズもその場ではにっこりと笑ってやんわりと流しているが、どうやら彼らの相手は中々の重荷のようだ。ひとたび自室に戻ればぐったりとベッドに倒れ込み、ぶつぶつと恨みつらみを吐き捨てていたものである。
メリアローズは彼らがメリアローズ自身を愛してるわけではなく、その背後にあるマクスウェル公爵家の力が目当てだということを十分に理解していた。
シンシアの見立てでは、中には純粋にメリアローズ自身を慕っていた者も多かったようだが、ちょっと抜けている主人は気づいていないようなのでシンシアも黙っていた。
これは大事なお嬢様をよその男にやりたくないという、シンシアの我儘である。
誰にもなびかないメリアローズは、難攻不落の高嶺の花として国内の貴族の間では有名になりつつある。
最近ではゲーム感覚でメリアローズを篭絡しようと近づく者まで出る始末で、メリアローズはその状況に辟易していたのだ。
マクスウェル公爵家は王家に次ぐ力を持つ家だ。
なにも無理にどこかの家との縁戚関係を結ばなくとも、既にこの国において敵なしの状況である。
娘を溺愛する公爵もメリアローズを手放したくはないのか、「本当に結婚したいと思える相手ができるまでここにいいればいい」と言い出す始末である。
かくして齢16を迎えるメリアローズは、まだまだ真剣に自分自身の婚姻について考えるつもりはないようだった。
そして、王子の婚約者となればおいそれとメリアローズに近づく者もいなくなるだろう。
おそらく、メリアローズの目的はそこにあるのだ。
いずれ破棄する予定の婚約であっても、婚約者期間だけはメリアローズは求婚する貴公子たちにわずらわされることなく、のびのびと過ごすことができる。
それならば、と主人に甘いシンシアはため息をついた。
「でもどうしましょう。うっかり王子がお嬢様に本気になってしまったりしたら……」
「あら、それは大丈夫よ。だって私、悪役令嬢だもの」
その謎の自信はどこからでてくるのか、とシンシアは再び嘆息した。
◇◇◇
「やぁ、久しぶりだね、メリアローズ」
王宮に赴き久しぶりに見た王子は、いつもと変わらず王子スマイルを湛えていた。
月光を写し取ったかのような見事な銀色の髪に、煌めくサファイアのような瞳で見つめられたら、堕ちない人間はいないだろう、というほどの魔性の王子だ。
だが、よくよく観察すればやはり乗り気でないオーラが全身から漂ってくる気がするのは、メリアローズの気のせいではないだろう。
「嬉しいですわ、ユリシーズ様。まさかこの私がユリシーズ様と婚約だなんて」
「僕の方こそ光栄だ。君ならば、素晴らしい王妃になりこの国を良い方向へと導いてくれるだろう」
よくもそんな心にもないことをぺらぺらと……とメリアローズは呆れたが、それを言えば自分にも跳ね返ってくるので黙っていた。
同い年の、高貴な王子と国一番の貴族令嬢。
ユリシーズとメリアローズは、それこそ幼馴染といってもいい間柄であったのだ。
王子と婚約する、と話すと周囲の反応は「やはりそうですか!(訳:知ってた)」みたいなものが大半であった。
どうやら王子とメリアローズはお似合いの二人だと思われていたらしい。
だが……メリアローズはこの王子が苦手だった。
彼は、完璧すぎたのである。
メリアローズはマクスウェル公爵家の名に恥じないようにと、常に努力し続けていた。
ダンス、作法、教養、その他もろもろ……
そんなメリアローズが苦労に苦労を重ねて会得したものを、この王子は一瞬で追い抜いてしまう、ということがあったのも一度や二度ではない。
一体この王子はなんなのか。メリアローズの目の前でバリバリと王子の皮を破って、中から得体のしれない怪物が出てくる夢を見てうなされたこともある。
だから、国中の娘が王子に憧れていても、メリアローズはどこか彼を恐ろしく思っていた。
せめて欠点の一つでもあれば可愛く思えるものを……。
乙女なら誰もが一度は恋をする王子に微笑みかけられているというのに、メリアローズの心は一ミリたりともときめかなかったのである。
しかし王子の前で不愛想にしていたら周囲に怪しまれてしまうだろう。
なにか楽しくなることを……と考え、メリアローズは愛猫チャミの姿を脳裏に思い描いた。
すりすりとメリアローズの足元にすり寄ってくるチャミ、庭の木に登って降りられなくなりミャアミャアと心細い声で鳴いていたチャミ、うっかりメリアローズの靴下に顔を突っ込んでしまいパニックで暴走し、屋敷中に爆笑の渦をもたらしたチャミ……
「見てください、あのメリアローズ嬢の幸せそうなお顔……」
「これはこの国の未来も安泰ですな」
かくして王子と公爵令嬢の、婚約破棄イベントがやりたいがためだけの婚約(内定)が成立したのである。
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馬鹿馬鹿しい茶番劇ですが、暖かく見守っていただけるとありがたいです(>_<)