王子と伯爵令嬢の仁義なき攻防(1)
番外編みっつめ。
王子とリネットの話になります。
「そ、その……メリアローズ様は、急用が入ったということで……」
現在、クロディール王国の第一王子ユリシーズは少し困っていた。
目の前で、まるでライオンに睨まれた仔ウサギのように震える、幼馴染の友人であるはずの少女への対応に、である。
今朝早く、幼馴染で婚約者であるメリアローズに観劇に誘われた。
それは別にいい。婚約者と共に出かけるのは自然なことだろう。
だが、やって来たのは何故かメリアローズではなく、彼女の友人であるヴィシャス伯爵家の令嬢――リネットだったのである。
ユリシーズも、リネットのことは知っていた。
ライオンの群れのボスのように女生徒たちを従えるメリアローズの、一番傍にいる女生徒である。
何度かメリアローズや他の友人と共に出かけた時に、彼女と言葉を交わしたこともある。
落ち着いた雰囲気の、たおやかに微笑む少女。それがユリシーズのリネットへの印象だった。
だが、今のリネットはそんなユリシーズの印象とはまったくかけ離れていたのだ。
心なしか顔は青ざめ、かたかたと細かく震えている。
ユリシーズは慌てて周囲を確認したが、別に物陰に暗殺者が潜んでいるということはなさそうだ。
……ということは、彼女が怯えているのは、他でもないユリシーズにだろう。
これは困った。
ここで「もう帰っていい」などと言おうものなら、彼女は責任感で自死を選びかねない。
何故彼女がわざわざメリアローズの代わりにやって来て、しかも尋常でなく怯えているのかはわからないが、ここはユリシーズが何とかせねば。
自分はいずれこの国の王に即位する身なのだ。
怯える令嬢一人宥められずに、国を統べることなどできるはずがない……!
きっとこれは、ユリシーズに与えられた試練なのだ。
そう言い聞かせて、ユリシーズはリネットに向き直った。
「ありがとうリネット。メリアローズが来られなくなったのは残念だけど、君が来てくれて助かったよ。この劇、楽しみにしていたんだ」
とりあえずリネットを安心させようと、ユリシーズは彼女に微笑みかけてそう告げた。
ユリシーズがこうすれば大抵の者(特に城の家臣)は、「ありがたき幸せ……」と瞳を潤ませ恍惚と天を仰ぐのだが、リネットは違った。
まるで蝋人形のように硬い表情で、かすかにこくこくと頷いたのみだったのである。
――これは手ごわい
ユリシーズはそうとは悟られないように、ごくりとつばを飲み込んだ。
ユリシーズの懐柔術が通じない相手など、今までメリアローズと彼女の父であるマクスウェル公くらいしか存在しなかった。だが、ここに来てリネットという存在が現れたのである。
「あら、レディを怯えさせるなんてとんだ王子様ですこと。オホホホホ!」というメリアローズの高笑いが聞こえてくるようだ。
――そうだ、ここで負けるわけにはいかない……!
ユリシーズにとってメリアローズは、幼馴染で、婚約者で、そして……ライバルでもあった。
ユリシーズがここでヘタレれば、リネットは今日のユリシーズの醜態について、間違いなくメリアローズに報告することだろう。
それはすなわちメリアローズに敗北したも同然なのである。
なんとしてでも、リネットの警戒を解いて、メリアローズへよい報告をしてもらわねば……!
「それでは参りましょうか、レディ・リネット」
ユリシーズは意地になっていた。
こうなったら、徹底的にリネットを攻略する心づもりになっていたのである。
完璧な動きでリネットをエスコートすると、リネットは怯えた目をしつつも応じてくれた。
大抵の令嬢ならユリシーズがエスコートでもしようものなら、「ここが楽園ですのね……」とでも言いたげな顔をして黄色い声を上げるか卒倒するかだが、リネットはいまだ堅固な構えを解こうとしはしなかった。
さすがはメリアローズの腹心。その防御力の高さは、学園の女王たるメリアローズにも匹敵するかもしれない。
残された時間は限られている。
なんとか今日のうちに、リネットを懐柔しなければならない。
こうして、ユリシーズの一世一代の戦いが幕を開けたのである……!




