42 王子、意味深なことを言う
物思いに耽りながら王宮の渡り廊下を進んでいくと、前方から見覚えのありすぎる人物がやって来た。
マクスウェル公爵は立ち止まり、目を細める。
「おぉ、マクスウェル公ではありませんか!」
どうやら向こうもこちらに気がついたようだ。
やってきた大臣――ミルフォード候は、いつも以上の嬉しそうな表情を隠そうともしていなかった。
「随分と忙しいようですな」
「なんせ、やっと王子がお相手を決められましたからなぁ。様々な段取りで、てんやわんやですよ」
第一王子ユリシーズが、ヴィシャス伯爵家の令嬢を未来の王妃に選んだ、という話は当然王宮内にも広まっている。
その、王子の相手選びについて、マクスウェル公は特に何かを言うつもりはない。
「その節にはご息女にも随分とお手数をおかけしましたなぁ」
「あれはあれで楽しんでいたようですがね。それはそうとして……」
マクスウェル公は朗らかな笑みを浮かべ、一歩大臣へと近づいた。
「裏切り者の炙り出しは、順調ですかな?」
そう問いかけても、大臣が笑みを崩すことはなかった。
「はて、何のことやら……」
「表立って醜態を晒したのはカルヴァートの一門くらいですが……いやはや、貴殿の王家への忠誠心は見上げたものですな」
マクスウェル公爵家の娘、メリアローズは、幼い頃からユリシーズ王子の未来の妃だと目されていた。
だが今回の茶番劇でその前提が崩れたとあれば……ここぞとばかりに水面下で、もしくは表立って行動を起こすものもいないわけではなかったのだ。
この大臣は、メリアローズ達を動かし、わざと隙を作ったうえで……今一度諸侯の王家に対する忠誠度を測ろうとしていたのだろう。
……本人は、そう認めたがらないようだが。
「マクスウェル公。我らはただただ、王子の幸福を願っているだけですよ」
「それは結構。ですが、ミルフォード候。これだけは言っておきましょうか」
かつん、と靴を鳴らし、マクスウェル公はすぅ、と息を吸い込んだ。
「……あまり、我が娘の手を煩わせないで欲しいものですな」
――次はない
言外にそう含ませて告げると、ミルフォード候は静かに笑った。
「えぇ、肝に銘じておきましょう」
そう呟いた大臣を一瞥すると、マクスウェル公はゆっくりとその場を後にした。
そんな彼の背中を見送り、ミルフォード候もまた、その場から立ち去って行った。
◇◇◇
「あらユリシーズ様。おひとりとは珍しいですわね」
いつものように、好奇の目から逃れるようにこそこそと学園内を進んでいたメリアローズは、裏庭でうっかりユリシーズに遭遇してしまった。
しかも、彼は一人だったのだ。一体こんな誰も来なさそうな場所で何をやっているのか。
まさか無視するわけにもいかない。
高貴な立ち姿に似つかわしくない、小さな木のベンチに腰掛ける彼に向かってそう声を掛ける。
すると、ユリシーズはいつもと同じようににっこりと王子スマイルを浮かべたのだった。
「やぁメリアローズ。僕だって、たまには一人になりたい時もあるんだよ」
「……お気持ちはわかりますわ」
ずっと完璧な存在だと思っていた王子でも、きっと疲れたり、一人になりたいと思う時間はあるのだろう。
そのまま立ち去る気にもなれなくて、メリアローズはそっと彼の隣に腰かけた。
「……遅くなりましたが。リネット・ヴィシャス嬢とのご婚約。謹んでお祝い申し上げます」
あの時は驚きすぎて祝うどころではなかった。
リネットを不幸にしたら許さんぞ、という気概を込めてそう告げると、ユリシーズは朗らかに笑ったのだ。
「……あぁ、ありがとう。君のおかげだよ」
ユリシーズとリネットは、つい先日正式に婚約を結んだ。
メリアローズのような婚約(仮)ではなく、正式なものを。
「いいですか。ユリシーズ様。リネットを捨てたりしたら、私許しませんからね」
「そんなことはしないさ。やっと出会えた相手なんだ」
珍しく熱っぽくそう告げるユリシーズに、メリアローズは内心で苦笑した。
どうやら、思った以上にユリシーズはリネットに入れ込んでいるようだ。
これなら心配はないだろう。
「でも正直驚きましたわ。わたくし、てっきりユリシーズ様はジュリアを選ぶものとばかり……」
「ジュリア? あぁ、彼女も素敵な女性だと思っているよ。きっと、ジュリアに出会わなければ、僕はずっと誰かが決めた道を歩むだけだっただろうから」
ジュリアとの出会いが、ユリシーズに何らかの心境の変化をもたらしたのだろう。
その結果が、リネットとの婚約だとは想像もつかなかったが。
「なるほど、最初からわたくしは候補にも入っていなかったと言う訳ですのね」
「まさか。僕はずっと、いつかは君と結婚するものだと思っていたよ。君は嫌そうだったけどね」
「えっ?」
思わず聞き返すと、ユリシーズはおかしそうにくすくすと笑っていた。
「覚えているかい? 僕たちの婚約が決まった場のこと。あんなに引きつった顔を隠そうとしている君を僕は初めて見たよ」
「そ、それを言うならユリシーズ様こそ、嫌そうにしていたではないですか!」
「えっ? 別にそうでもないけど」
「えっ??」
ユリシーズはどこかからかうような瞳でメリアローズの方を見ていた。
彼にもこんな人間らしい表情ができたのか、と、メリアローズは少しだけ驚いた。
「いろいろな材料を考慮すれば、君と結婚するのが最善の道だってことはわかってたよ。別に嫌なわけじゃなかったしね」
「で、ですが……」
「ただ、君たちが何か面白いことを始めて……気がついたらこうなっていた。でも、今はこれでよかったと思うんだ」
……ユリシーズは、メリアローズ達の計画に気がついていたのだろうか。
なんとなく恐ろしくて、そのことまでは聞けなかった。
「君が背中を押してくれた。だから、僕はリネットに思いを告げる勇気が出たんだ」
王子がしみじみとそう口にしたのを聞いて、メリアローズもそっと微笑む。
いいから全力でジュリアを虜にしろ、というアシストを、どうやらユリシーズはそのように受け取っていたらしい。
まぁ、今思えばそれでよかったのかもしれないが。
「……ユリシーズ様、リネットのどこがお好きなのですか」
ふと聞きたくなって、メリアローズは気がついたらそう口にしていた。
だが、ユリシーズが機嫌を損ねるようなことはなかったようだ。
「直球だね、照れるなぁ」
言葉とは裏腹に、少しも照れてなさそうな表情で、ユリシーズはメリアローズを振り返る。
そして、どこか愛しいものを想うような優しげな声色で、そっと呟いた。
「……リネットが君のことを語るときの、キラキラした表情、かな」
「…………はい?」
思ってもみない返答に絶句するメリアローズを置いて、王子はどこか熱っぽい瞳で、いつになく饒舌に語り始めていた。
その恥ずかしい言葉の数々が耳に入り、メリアローズはそのまま何も言えなくなってしまう。
「リネットって、君のことを話すときはすごく嬉しそうにキラキラしてるんだよ。それが可愛くて可愛くて……」
デレデレと締まりのない笑みを浮かべる王子を目にして、メリアローズは何とも言えない気分に陥った。
それでいいのか、王子よ。
……やはり、ユリシーズの心のうちは理解できそうにはない。
「メリアローズ。君ももう自由なんだ。さっそく続々と求婚されてるみたいだけど、もうお相手は決まったのかい?」
お返しとばかりにそう告げたユリシーズの言葉に、メリアローズは思い出したくもない現実を思い出してしまった。
その途端、少しばかり心が重くなってしまう。
そう、王子は可愛い婚約者ができて幸せの絶頂なのかもしれないが、メリアローズの戦いはこれからなのだ。
王子に疎まれているとばかり思われていた、傍若無人の悪役令嬢メリアローズ。
だが実のところ彼女は、誰よりも王子の恋を成就させるために、あえて憎まれ役を買って出ていた聖女のような女性である。
……というのが、もはや学園の共通認識にありつつあった。
彼女は身分の低いジュリアが虐められないように、あえてジュリアに辛く当たり、その反面影ではドレスを贈るなどジュリアを支援していた。(ということをジュリアがばらしてしまった)
それに、王子とリネットが接近したのもメリアローズの図らいであるらしい。(確かに王子との逢瀬を押し付けたことはあった)
もう婚約者ではないが、王子はメリアローズに絶対の信頼を置いている。
それに、未来の王妃リネットはメリアローズの友人であり、熱烈なファンでもあるのは周知の事実。
今では将来の王&王妃に気に入られているメリアローズの夫というポジションを、是非ともゲットしたいとやってくる貴公子が後を絶たないのである。
メリアローズの表情を見て、ユリシーズも何となく事態を察したのであろう。
彼は少しだけ気の毒そうな瞳でメリアローズを見ていたのだ。
「……なるほど。苦労するね」
「わたくし、しばらく旅に出たい気分ですわ……」
「それは大変だ。でも……意外と君にぴったりの相手って、近くにいるのかもしれないよ?」
ユリシーズが何か言外に意味を含ませるような口調で、そんなことを言う。
思わず振り返ると、彼はどこか真剣な表情を浮かべていたのだ。
「わざわざ旅に出なくても、もうすぐ傍にいると思うんだけどね」
旅に出たい、というのは別に運命の相手を探すためではなく。ただの現実逃避だ。
きっとユリシーズもそんなことは百も承知だろうが、彼は何故かあえてそのようなことを口にしたのだろう。
もうすぐ傍にいるはずの、相手……
まったく腑に落ちないといった様子のメリアローズを見て、ユリシーズは苦笑した。
「なるほど。……も苦労するなぁ」
「あら、今何かおっしゃいましたか?」
「いいや。これからが楽しみだと思ってね」
何故だか嬉しそうにニヤニヤと笑うユリシーズを見て、メリアローズは首を傾げた。




