38 大臣、現れる
大臣たちは、ゆっくりとホールの中へと歩みを進めてくる。
その姿を目にして、メリアローズの体は勝手にがたがたと震えだした。
計画は失敗した。
王子はジュリアではなく、リネットを選んでしまったのだから。
きっとあの大臣たちは、計画を遂行できなかったメリアローズを連行しにやって来たに違いない……!
「そんな、嘘……」
本で読んだ、悪役令嬢の悲惨な末路が頭の中に蘇ってくる。
追放、結婚、売春宿、断頭台……。
急にそれらのイメージが現実のものとなって襲い掛かり、メリアローズは恐慌状態に陥ってしまう。
「ゃ、いや……!」
「メリアローズさん!?」
「そんなの嫌、嫌よぉ……!」
絶対に成功すると思っていた。だから、失敗したときの心配など、本心ではしていなかったのだ。
だが、メリアローズは失敗してしまった。
今すぐにでも、大臣がメリアローズの首に縄をつけ、市中引き回しの刑に処されてしまうかもしれない……!
「メリアローズさん!!」
急に真正面からウィレムに呼びかけられ、メリアローズははっと顔を上げる。
ウィレムはメリアローズの肩を掴み、言い聞かせるように口を開いた。
「大丈夫です。落ち着いてください」
「でも……私、失敗したのよ!? すぐに処刑されてしまうわ……」
「そんなことはさせません」
ウィレムはちらりと背後を振り返り、王子とリネットの元へと近づく大臣に目をやった。
今や全生徒がいきなり現れた国の重鎮たちの方に注目しており、誰もメリアローズとウィレムの方は見ていないようだ。
「……大丈夫です」
ウィレムはメリアローズの肩を抱くようにして、少しづつ王子たちの方から離れるようにして動いていた。
そしてある程度離れたところで、彼は足を止める。
二人の視線の先では、ちょうど大臣たちが王子に向かい合っているところだった。
王子に手を取られたリネットは、今にも気絶しそうな真っ白な顔をしている。
「絶対に、処刑させたりなんてしません」
その時、言い聞かせるように囁かれ、強く引き寄せられ……メリアローズの鼓動が跳ねる。
そして、ウィレムははっきりと告げた。
「あなたは……あなただけは、俺が必ず守ります」
そう言って、ウィレムは眼鏡をはずし、磨き抜かれたホールの床に投げ捨てたのだ。
その軌跡を目で追ったメリアローズがそっと見上げると、彼は強い意志を宿した翡翠色の瞳で、じっとメリアローズの方を見つめていた。
その瞳に射抜かれた途端、メリアローズの胸の中に、何かが生まれる。
二人の視線が、しっかりと絡まり合う。
「…………メガネ」
「そこはウィレムって呼んで欲しかった……! まぁいいですけど」
ウィレムは小さくため息をつくと、メリアローズを自身の背後に隠すようにして王子たちの方へと視線を戻していた。
メリアローズも彼の背中越しに、そっとそちらの様子を伺い見る。
「……王子、彼女――リネット・ヴィシャス嬢を選んだというのは、本当ですかな?」
ゆっくりと、王子の前で立ち止まった大臣――ミルフォード候は、そう問いかけた。
その途端、リネットの体が可哀そうなほどにガタガタと震えだす。
周囲の生徒たちは、ただ固唾をのんでその様子を見守っていた。
「あ、あの……」
「いや、大丈夫だリネット。……あぁ、そうだ。僕はリネットを愛している」
ユリシーズは、リネットを庇うようにして前に進み出ると、迷うことなくそう口にした。
その途端、生徒たちの間からどよめきが起こった。
一人取り残されていたジュリアも、ぽかんとした様子でその光景を眺めていた。
そんな彼女の元に、そっとバートラムが近づいていくのがメリアローズの視界の端に映る。
「……それが、あなたの選択なのですか」
重々しく、大臣はそう口にした。
その言葉は、まるで王子の選択を咎めるような言い方であったのだ。
だが、王子は少しも怯むことはなかった。
「あぁ、お前たちにも……何よりもメリアローズに迷惑をかけることはわかっている、だが……それでも、僕はリネットに隣にいて欲しい」
じっと目を瞑って王子の言葉を聞いていた大臣が、ゆっくりとまぶたを開いた。
そして、次の瞬間――
「おめでとうございまああぁぁぁす!!」
パラララッパラー、という軽快なトランペットの音と共に、国の重鎮たちは一斉にそう叫んだのだ。
この展開に、周囲の生徒たちも、メリアローズも、当事者である王子とリネットでさえも驚いたように目を丸くしていた。
そんな王子の元に大臣たちは駆け寄り、満面の笑みを浮かべて次々に口を開く。
「いやーめでたい!! ずっとこんな日を待ち望んでおりました!!」
「あぁ、王子がいつもより眩しく見える……」
「若いお二人の未来に乾杯!!」
国の重鎮たちの祝福ムードに、呆気に取られていた生徒たちの方からも、つられたようにぱちぱちと拍手が巻き起こった。
あのトランペットを吹き鳴らしているのは兵士長で、興奮したゴリラのように太鼓を打ち鳴らしているのは傳育官で、狂ったようにタンバリンを叩いているのは式部官で、カチカチと喧しくトライアングルを鳴らしているのは……もう誰でもいい。
そのあまりにも奇怪な光景に、メリアローズはだんだんとこれが夢ではないかと疑い始めていた。
「さぁ皆の者! 王子とリネット嬢の未来に盛大な拍手を!!……おぉ、そこにいらっしゃるのはメリアローズ嬢では!?」
急に大臣がこちらを振り返り、メリアローズはびくぅと身を竦ませた。
大臣、計画の失敗、処刑……
メリアローズの頭の中で、次々と嫌なヴィジョンが湧いては消えていく。
そのまま彼がこちらへやってくるのが見えて、メリアローズを守るように陣取っていたウィレムの体が緊張するのがわかった。
そして、大臣はメリアローズの目の前までやってくると……ホール中に聞こえるような大声で叫んだのだ。
「そして! こちらのメリアローズ嬢こそが……最大の功労者であります!! 皆の者、この慈悲深き令嬢に盛大な拍手を!!」
「ぇ…………?」
始めは戸惑ったように、だが徐々に……ホール中からメリアローズの元に拍手が送られてくるのがわかった。
拍手の嵐と、よくわからないが大臣に乗せられた生徒たちの声援の中で、メリアローズはただただ茫然とするしかなかったのだ。
「ウィレム殿もご苦労でした! おっ、そちらにいらっしゃるのはバートラム殿とジュリア嬢ですな!」
バートラムとジュリアの姿を目にした大臣は、目を輝かせて彼らに近づいていく。
――処刑、されなかった……?
嬉々としてバートラムとジュリアの元へ向かう大臣の背中を見守りながら、メリアローズはそっと傍らのウィレムと視線を合わせる。
「ねぇ、私たち…………助かったの?」
「……おそらくは」
大臣はメリアローズを連行しなかった。それどころか、おそらくメリアローズを褒め、今までの苦労をねぎらったのだ。
これは、処刑を回避できたということなんだろうか。
……もう、わけがわからない。
だが、急に安堵が込み上げ、体から力が抜けてしまう。
「もぅ、なんなのよ……」
「メリアローズさん!?」
がくりと膝をつきそうになったところで、ウィレムが慌てたように抱きかかえてくれる。
もう本当にわけがわからない。
わからない、けど……彼が隣にいてくれると、不思議と安心する。
力強い腕に抱き留められたまま、メリアローズはそっと傍らのぬくもりに身を寄せた。




