37 悪役令嬢、真意を確かめる
王子のしなやかな指先は、メリアローズでもジュリアでもなく、そこから少しずれた先……先ほどリネットたちがいた辺りをまっすぐに指し示していた。
ということは、聞き間違いではないようだ。
王子が自分とジュリアの元を離れ、つかつかと目的の人物の元に歩み寄るのを、メリアローズはただぽかんと眺めていた。
だが、今は誰もが王子の行方に注目しており、幸いなことに悪役令嬢のそんならしからぬ表情を目にした者はいなかったのだ。
「……リネット。君への愛を公言することを許してくれ」
「い、いけません! 王子!!」
見守る生徒たちの最前列にいた、リネットたちの前までたどり着いた王子は、今までになく真摯な声でそう告げた。
対するリネットは、可愛そうなほど表情を青ざめさせて震えているではないか。
「もう僕は、自分の気持ちに嘘はつけないんだ」
「そんな、駄目です……」
俯いて震えるリネットの手を、そっと王子が握る。
その途端、リネットは哀れなほどびくりと体を跳ねさせた。
放心してその様子を眺めていたメリアローズは、その光景にはっと意識を取り戻す。
そしてその途端、ある思いが湧き上がってくる。
――リネットが困っている。彼女を助けなければ……!
もう今の状況とか、自身の役割などはあまりの衝撃に吹っ飛んでしまった。
メリアローズは湧き上がる思いに突き動かされるようにして、固まった足を一歩踏み出す。
計画は筋書きを外れて、とんでもない方向へと転がり始めている。
この先どうなるかはメリアローズにも見当がつかない。
コツコツと歩み寄る足音が聞こえたのか、王子がはっとメリアローズの方を振り返った。
今はホールに集まる、ほとんど全員の視線を感じずにはいられなかったが、メリアローズは意を決して王子へと対峙した。
「お待ちください、ユリシーズ様」
ずっと夢見ていた婚約破棄イベントは、もう頭からすっかり抜け出てしまった。
今はただ、心の底から湧いてくる思いに突き動かされるようにして、メリアローズは口を開く。
「いくら王子といえど、そんな風に強引に迫るのはいただけませんわね」
どうやら無意識に悪役令嬢らしい口調になっていたようだ。
その言葉を聞いた途端、王子がはっとしたように握っていたリネットの手を放す。
「王子という立場のあなたにそんな風に強引に迫られたら……リネットが怯えてしまいますわ」
「す、すまない……!」
王子は珍しく……というより今までに見たこともないほど慌てて、リネットから一歩足を引いた。
カツン、と磨き抜かれた床を踏み、メリアローズは王子に向かって挑発するように笑ってみせる。
そうしながらも、何とかこの状況を切り抜けようと頭をフル回転させる。
王子は、ジュリアではなく何故か……本当に何故かリネットに求愛してしまった。
だが、リネットには既にウィレムという相手がいるのだ。
だが、王子が強引に迫ればリネットは断り切れなくなってしまうかもしれない。
……そんなことは、させない。
何とか穏便にこの場を収め、王子を諦めさせなくては……!
「わたくし、立場を利用して相手を手に入れようとするようなやり方は大嫌いですの。まず尊重するのはリネットの意志、そうではなくて?」
散々婚約者という立場を利用して王子にべたべたしていたお前が言うな、とほとんどの生徒はそう思ったことだろう。
だが、そんなことは気にせずメリアローズは続けた。
「というわけで、わたくしが確かめさせていただきますわ」
それだけ告げると、メリアローズは少し強引に王子とリネットの間に割って入った。
ちらりとリネットの傍らにいたウィレムの表情を確かめると、彼はひどく真面目な顔つきでこの状況を見守っているようだった。
……さすがに、王子相手では自分の恋人が取られようとしていても、逆らうことはできないのだろう。
彼のためにも、ここはメリアローズが戦わなければ。
「……リネット」
王子に背を向け、そっとリネットに呼びかける。
すると、リネットはほとんど半泣きの状態で顔を上げた。
「………メリアローズ様」
「大丈夫、私がついてるわ」
リネットの肩に手を触れ、メリアローズは声を潜めてそう告げた。
「あなたは、自分の気持ちを正直に話してくれればいいの。計画のこととか、これからのことは何も考えなくていいわ。私が何とかするから」
メリアローズのマクスウェル公爵家は、王家でも無視できないほどの力を持つ家だ。
いくら王子が強引に迫ろうとも、マクスウェル公爵家の力を使えばきっとリネットを守れるだろう。
『王子のものになるはずだった令嬢を横取りなんて……国への反逆だと思われてもおかしくないのよ! 今すぐに取り消して!!』
『王子の「もの」ね……。なるほど、さすがは公爵家のご令嬢。物わかりの良いことで』
かつて、バートラムに言われた言葉が蘇る。今思えば、随分と酷いことを言ってしまった。
だが、メリアローズは変わったのだ。
もう、冷血で高慢な公爵令嬢ではない……つもりだ。
いくら王子がリネットを望んでも……大事なのはリネットの意志。
今なら、はっきりそう言える。
……今更だが、ジュリアには申し訳ないことをしていたのかもしれない。
全てが片付いたら、きっちり謝ろう。
こんな状況の中で、メリアローズはそう決意した。
「……リネット、あなたの本当の気持ちは?」
できるだけ優しく、メリアローズはそう問いかけた。
リネットはどうしていいのかわからない、という風に視線を彷徨わせ、小さく呟く。
「……めんなさい、ごめんなさい、メリアローズ様…………」
「リネット、いいのよ。あなたは何も悪くないわ」
震えるリネットをそっと抱きしめ、メリアローズは何度もそう繰り返す。
「たし、私は……」
リネットは何度も息を吸ったり吐いたりしながら、何とか言葉を絞り出そうとしているようだった。
「……大丈夫、あなたの選択を、誰にも咎めさせたりなんかしない」
だから、いくら相手が王子だとはいえ、はっきりと拒絶していいのだ。
そう思いを込めて、メリアローズは優しくリネットに呼びかける。
するとリネットは、意を決したように顔を上げた。
そして、今にも消えそうな震える声を絞り出す。
「……わ、たしは……王子を、お慕いしています…………!」
「…………え?」
思っていたのと真逆の回答に、メリアローズは思わず怪訝な声を出してしまった。
……リネットが王子を慕っている?
そんなバカな!!
だが、メリアローズが聞き返した途端、リネットの顔色がますます青白くなっていく。
「だ、駄目ですよね……やっぱり、私なんて……!」
「ち、違うのよリネット! 本当にそれがあなたの本心なの!?」
「はい……駄目だとわかっていても、どうしても惹かれてしまうんです……!」
「そんな、まさかあなたも王子のことを想っていたなんて……!!」
そこまで言って、メリアローズは自分が驚いた拍子に、ホール中に響くような大声を出しているのにやっと気がついた。
おそるおそる振り返ると、王子はあっけにとられたような表情でメリアローズとリネットの方を見つめているではないか。
「……だそうですよ、王子」
その時、場違いに落ち着き払った声が聞こえて、メリアローズは思わず声の主の方に視線を向けた。
その声の主――ウィレムは、どこか優しい表情で王子を見て、次にメリアローズ達の方へと振り向いた。
「王子はリネットを想っていて、リネットも王子を想っていた。なら、それでいいじゃないですか」
いいえ、よくないわ……という言葉は、もう出てこなかった。
メリアローズはただ信じられない思いで、恋人を突き放すようなことを口にしたウィレムを見つめることしかできなかったのだ。
そうしているうちに、王子が落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりとリネットの方へと足を踏み出す。
「……リネット、今一度、聞かせてくれないか」
「王子……」
「ユリシーズでいい」
「ユリシーズ、様……」
呆然とするメリアローズの前で、何故か王子とリネットのラブシーンが始まっていた。
――もう、わけがわからないわ……
そのあまーい雰囲気で、今まで耐えていたものが決壊したのかもしれない。
急にくらりと眩暈がして、メリアローズはふらりと背後に倒れそうになってしまう。
「危ない!」
だが、メリアローズがしたたかに床に体を打ち付ける前に、しっかりとした腕に抱きとめられる。
「大丈夫ですか!? メリアローズさん!!」
その聞きなれた声に顔を上げると、メリアローズを抱きとめた者――ウィレムと至近距離で目が合って、メリアローズは思わず息をのんでしまった。
眼鏡越しに見える綺麗な翡翠の目は、心配そうにメリアローズに、メリアローズだけに向けられていたのだ。
「リ、リネットが……」
「あぁ、あれは……」
リネットが取られてしまう、と伝えようとしたが、ウィレムは何故か平然としていた。
そして彼が何か言おうとした瞬間、急にホールの入り口の方がざわめいたのだ。
「なんだ……?」
何とかウィレムに支えられ体勢を立て直したメリアローズも、そっと入り口の方を伺い見る。
そして、心臓が止まりそうになった。
そこには、この計画を主導する大臣――ミルフォード候をはじめとして、何人かの国の重鎮たちが険しい顔つきで立っていたのだ。
元々この計画は、ユリシーズ王子とジュリアを結び付けるということを目的としていた。
だが、王子はジュリアではなく、リネットを選んでしまった。
――計画は……失敗したのだ。
そう気づいてしまい、メリアローズは戦慄した。




