35 悪役令嬢、決戦の舞台に臨む
そして、いよいよダンスパーティーの日が来てしまった。
散々「逃げたら承知しないわよ」と脅しておいたおかげで、いかにも緊張してます、という様子のジュリアはメリアローズの目論見通りにマクスウェル公爵邸にやって来たのだ。
「うぅ、メリアローズ様、私やっぱり……」
「言い訳は無用! 当たって砕けなさい!!」
「メリアローズ、砕けてはいけないんじゃないかな」
「言葉の綾ですわお兄様!!」
逃げようとするジュリアの首根っこをひっつかみ、そのままずるずると引きずるようにしてメリアローズは彼女を自室へと連行した。
時間に余裕は持たせてあるが、なにしろレディの身支度には時間がかかるのだ。
「そういえば、ドレスの方は完成したんですか?」
「えぇ、マダムの頑張りのおかげでね。……ほら!」
自室の扉を開きジュリアを中へと招き入れると、彼女ははっと息をのみ大きく目を見開いた。
「ほらほら、見てちょうだい! メリアローズ、ジュリア!! 私の力作なのよ!!」
部屋の中央には、マダム・エイプリルと……彼女の仕立てたドレス二着が鎮座していた。
片方は、ジュリアにとあつらえられた、蒼を基調とした美しいドレスだ。
少しずつ色の違う薄い布を何層にも重ね、どこか幻想的な陰影を作り出している。あちこちに施された白のレースは着用者の清純さを際立たせるであろう作りになっている。
全体的な形は上品さを前面に押し出しており、これならば余計な反感を買うことなく、ジュリアの美しさをアピールできるであろう代物になっていた。
そしてもう一つは……メリアローズ用の、紅を基調としたドレスだ。
こちらジュリアのものに比べると、少々大胆なデザインに仕上がっている。
胸元や肩が大きく露出し、挑戦的とも言えるかもしれない。メリアローズの持つ少女と大人の女の境目のアンバランスな魅力を、存分に引き出すものとなっているのだ。
腰には大きな薔薇の形を模した飾りがついており、否応にも周囲の視線を集めることが容易に想像できる。
「す、すごい……!」
呆気にとられるジュリアを見て、メリアローズはにやりと笑った。
さて、衣装も揃ったところで、最後の大舞台に挑もうではないか。
「ほら、ぼけっとしてないの! 時間は限られてるんだから」
「でもメリアローズ様、私……こんな素敵なのを買うようなお金は……」
「だから私からのプレゼントだって言ってるじゃない!」
「そんな、いただけません!」
「じゃあ出世払いで返しなさい! ほらっ、ちゃっちゃとこの田舎娘を飾り付けてやって頂戴!!」
もごもごとやかましいジュリアを一喝して黙らせ、すぐさま控えていたメイドに引き渡す。
今はジュリアの話を聞いている時間も惜しいのだ。それに、そんなにメリアローズに借りを作りたくないというのなら、王妃になった時にでも返してくれればそれでいいのだ。
今日の舞台がうまくいけば、そのように事が運ぶのだから。
「さぁ、頼むわよ、あなたたち!!」
「はい、お嬢様!!」
これは決戦の舞台に臨む、戦装束と戦化粧なのである。
メリアローズはメイドたちに合図し、キリッと気を引き締めた。
◇◇◇
――そして数時間後
「わぁ……これ、本当に私ですか? 鏡に細工とかされてません?」
「まったく、あなた普段は能天気なくせに、なんでこういう時だけ疑り深くなるのよ」
信じられないといった表情で鏡を覗き込むジュリアを見て、メリアローズは苦笑した。
緩く編み込まれた長い金髪に、ところどころに高貴さを象徴するような金の髪飾り。
身に纏うアクセサリーは、清純な印象を与えるような真珠を基調として、落ち着いたもので統一している。
念入りに化粧を施し、彼女に似合うように仕立てられたドレスを身に纏いすべて一級品の装飾で飾り付けたジュリアは、まるでどこかの国の姫君のようだったのだ。
やはり、メリアローズが見込んだ通り、彼女は磨けば光る原石なのだ。
これなら、堂々と王子の横に立つことができるだろう。
「大丈夫よ、ジュリア。自信を持ちなさい。今日のあなたはとても素敵よ」
「メ、メリアローズ様……!」
「こらっ、泣かない! せっかくの化粧が落ちるじゃないの!!」
感極まって涙ぐむジュリアを慌てて宥め、メリアローズはふぅ、と大きく息を吐いた。
さて、ジュリアの方はこれで何とかなるだろう。
だが、問題なのは……
「……ねぇ、これちょっと地味じゃない?」
メリアローズの方の化粧具合は、何故かいつものド派手な悪役令嬢メイクではなかった。
公爵令嬢として社交の場に出るような、少し抑え目な……しかしきちんとメリアローズの素材を活かすような、綺麗にまとめられたものだったのだ。
髪型もいつものきつい縦ロールではなく、緩く巻いた髪を横に流しつつ軽くまとめ、ドレスに合うように薔薇の髪留めをつけた……なんというか、普通の社交用の髪型だったのである。
身に着ける宝石もいつものごちゃごちゃとしたものではなく、絢爛さを強調しつつも、決して下品な印象を与えないような、品の良いものになっているのだ。
まったく、これでは悪役令嬢としての威厳が出ないではないか。
しかし、もう少し派手に……と口にすると、メイドたちは物凄い勢いで反発してきたのだ。
「何をおっしゃいますか。よくお似合いですよお嬢様!」
「薔薇の妖精みたいです!」
「違う違う! 今日の私は悪やー―」
『悪役令嬢役なのだから』
そう喉まで出かかって、メリアローズは慌ててぴたりと言葉を飲み込んだ。
「あくや?」
ジュリアは何のことだろう、と軽く首をかしげている。
まずい、ジュリアに悪役令嬢計画のことを悟られるわけにはいかない。
こうなったら、なんとか誤魔化さねば……!
「『あー! くやしい!! やっぱりメリアローズ様には敵いませんわ!!』って皆に思われるような完璧な姿にならないといけないのよ!!」
「それなら大丈夫ですよぉ。メリアローズ様すっごく綺麗ですもん。みんな敵いませんよ」
「そうですよね、ジュリア様!」
「そうよぉ、自信を持ちなさい、メリアローズ」
ジュリアだけでなく、マダム・エイプリルや計画のことを知っているはずのメイドにまでそんなことを言われ、メリアローズは言葉に詰まってしまった。
なんとかあがいてみたが、多勢に無勢。どうやらいつもの悪役令嬢スタイルにはしてもらえないようだ。
――……まぁいいわ、もう大勢は決しているもの。今更私の格好次第でどうにかなるものじゃないわ。
そう自分を安心させ、メリアローズは諦めて立ち上がった。
「さて、そろそろ……ってもうこんな時間じゃない! 急ぐわよ!!」
「えっ、待ってくださいメリアローズ様!!」
十分に余裕を持たせたつもりだったが、いつの間にかダンスパーティーの時間が迫ってきていたのだ。
まずい、二人そろって遅刻などすれば、それこそ婚約破棄イベントどころではなくなるだろう。
どうせなら派手に決めて見せたい。
なんとしても今日のイベントに遅刻するわけにはいかないのだ……!
「メリアローズ、ジュリアさん、準備はできてるよ!」
「お急ぎくださいお嬢様!!」
様子を見に来た兄とシンシアにせかされ、メリアローズはジュリアを引きずるようにして部屋を飛び出した。
「わわっ、この靴転びそうです!!」
「慣れなさい! それが貴族令嬢の務めなのよ!!」
飛び乗る勢いで馬車に乗り込み、メリアローズは御者を急かした。
「いい、事故を起こさない程度に全速力で!」
「承知いたしました!!」
普段は穏やかなお嬢様の突然の無理難題にも、マクスウェル公爵家の御者はきちんと答えて見せるのが務めだ。
わーわーと騒ぐジュリアを落ち着かせながら、メリアローズは、ぐっと拳を握り締めた。
◇◇◇
学園の生徒たちはざわめいていた。
なにしろ、今この学園で最も注目を浴びている二人の人物――ジュリアとメリアローズが来ていないのだ。
もうダンスパーティーが始まる時間になるというのに、一向に二人が姿を見せる気配はない。
その二人のうちどちらを選ぶのか、と注目されている王子は、じっと入り口の扉の方を見つめている。
「……ねぇ、もし二人とも来なかったら、誰が王子様と踊るのかしら」
「踊らないわけにはいかないでしょ? もしかしたら……」
「私たちにもチャンスが――」
女生徒たちの中には、既にそんな算段を立てている者もいる。
生徒たちは皆一様にはらはらと、事の行方を見守っていた。
そして、秘かなざわめきが最高潮に達した瞬間――
じっと入り口の方を見ていた王子が、驚いたように一歩足を踏み出した。
それにつられるようにしてそちらに視線をやった生徒たちは、皆呆気にとられたことだろう。
「……お待たせいたしました。皆様方」
そこには、対照的な紅と蒼のドレスを身に纏った、美しい二人の令嬢が立っていたのだから。




