34 悪役令嬢、ヒロインを教育する
「いい? 今日のことは絶対に外で喋っちゃだめよ。わかったわね!?」
「は、はいっ!」
まさか悪役令嬢がヒロインの為にドレスを仕立てている、など周囲に知られるわけにはいかないのだ。
念入りにジュリアに口止めをし、彼女を送るために出ていく馬車を見ながら、メリアローズはふぅ、とため息をついた。
まるで、これではシンデレラを王子の元に送り出す魔法使いではないか。
悪役令嬢も楽じゃないのだ。
ジュリアには今後も定期的にここに来るように言いつけてある。
いくら外見を王子に釣り合うように飾り付けても、ある程度は中身も伴わなければならないのだ。
田舎の男爵家で育ったジュリアは作法もダンスもいまいちだった。それをそれなりに見れるくらいまでは鍛えてやらねば。
今度の段取りを思い描きつつ、メリアローズは踵を返した。
◇◇◇
「あの、メリアローズ様。少しお疲れのようでは……」
「大丈夫よ、リネット。もう少しで全部うまくいくのだから」
にこりと微笑んでみせたが、それでもリネットは心配そうな表情を崩さなかった。
他の取り巻きたちにはうまく取り繕えているだが、聡い彼女の目は誤魔化せなかったようだ。
彼女の言う通り、ここ最近のメリアローズは疲れに疲れていた。
昼間は学業に加え、周囲の目を欺くための悪役令嬢っぷりにも手が抜けないのである。
うっかりジュリアが口を滑らせそうになって、慌ててフォローした回数も数えきれない。中々に神経を使うのである。
家に帰ってからも、ジュリアへの教育メニューを考えるのに必死で、いつものようにゆっくりティータイムを取ることもできなかったのだ。
でも、これもあと少しの辛抱だ。
ダンスパーティーで王子とジュリアがうまくいきさえすれば、メリアローズはやっと肩の荷を下ろせるのだから。
「ダンスパーティーが近いのよ。手は抜けないじゃない。……そうだリネット。あなたもちゃんと自分自身の準備は進めてるんでしょうね?」
ダンスパーティーと言えば学園内の一大行事。
皆、誰と踊るかという話題で持ちきりなのである。
このダンスパーティーで誰と一番最初に踊るかということは、将来的にも大きな意味を持つのだ。
既に水面下では熾烈な争いが繰り広げられているようである。
「あなたは……もう最初の相手を決めているんでしょう」
気がつけば、口からそう言葉が零れ落ちていた。
……また、だ。
脳裏にリネットとウィレムが抱き合っていたあの光景が浮かび、少しだけ胸がざわめいてしまう。
「……いえ、私はメリアローズ様のサポートに全力を――」
「まったく、何言ってるのよ。ねぇリネット、聞いて頂戴」
メリアローズはリネットの方を振り返り、そっと微笑んだ。
「このダンスパーティーっていうのは、私たちの今後に大きく作用することになるわ。だからね、リネット。あなたはもっと自分のことを考えてもいいのよ」
彼女には既にウィレムという意中の相手がいるのだ。
彼と一番に踊るということは、お互い先約済みである、ということを周囲に誇示する機会でもある。
そのチャンスを、無駄にはしてほしくない。
「……リネット。あなたには幸せになって欲しいのよ」
ウィレムは中々の好青年だ。きっとリネットを幸せにしてくれるだろう。
リネットとメリアローズが行動を共にしているのは計画上のこととはいえ、メリアローズは彼女が好きだった。
だからこそ、彼女には幸せを掴んでもらいたいのだ。
はっきりと視線を合わせてそう告げると、リネットが大きく目を見開いた。
「メリアローズ様、私は――」
「……いいのよ、リネット。あなたの幸せは、私の幸せなのだから」
優しくそう告げると、リネットの表情が泣きそうに歪んだ。
「わ、私の幸せも、メリアローズ様の幸せそのものです……!」
「ふふ、なら私たちも頑張らないとね」
「はいっ!!」
感極まったように何度も頷くリネットを見て、メリアローズは少し微笑ましい気分になった。
自分やリネットのためにも、何としてでもこの計画を成功させなければ。
◇◇◇
「いい? 今日はダンスのレッスンをするわよ!」
「はいっ!!」
ドレスの準備は着々と進んでいく。
それと並行して、メリアローズのジュリアへの教育も始まっていたのだ。
「さて、そろそろ来るはずだけど……」
広い部屋の中心で、緊張から棒立ちになっているジュリアから視線を外し、メリアローズは部屋の扉の方を振り返った。
するとタイミングよく、部屋の扉が開いたのだ。
「やあ、待たせて済まないね、メリアローズ」
「いえ、私の方こそ無理をいって申し訳ありませんでしたわ、お兄様」
メリアローズがジュリア用の「ダンスの講師」として呼んだのは、自らの兄――マクスウェル家の次期当主その人だったのだ。
彼はぽかんとした様子のジュリアに歩み寄ると、にっこりと人好きのする笑みを浮かべて、そっとジュリアの手を取った。
「初めまして、ジュリアさん。メリアローズの兄の、アーネスト・マクスウェルと申します」
彼に微笑まれた途端、ジュリアは頬を朱に染め上げた。
それでもさすがにメリアローズが叩き込んだ作法を思い出したのか、震える声で口を開く。
「ジュ、ジュリア・ロックウェルと申します……」
「もっと堂々と! はったりを効かせるのよ!!」
「ははっ、手厳しいね、メリアローズは」
ジュリアが王太子妃になった場合は、多くの身分の高い者たちと接することになるだろう。
その為に、今から少しでも慣れてもらおうと、わざわざ兄を呼んでおいたのだ。
「安心なさい。兄さまはダンスの技量に関しては……いや、何をなさっても一流なの。しっかりとあなたをエスコートしてくださるわ」
「いやぁ、かわいい妹にそんなことを言われると照れてしまうね」
アーネストが軽い口調でそう口にすると、ジュリアは少しだけほっとしたように表情を緩めた。
身内の欲目もあるだろうが、メリアローズはジュリアに説明した通り、兄のことを何をやらせても一流な人間だと認識していた。
メリアローズ自身も、幼い頃から兄にダンスの相手をしてもらい、淑女の中の淑女、と言われるほどの腕を身に着けたのだ。
期間は短いが、彼ならばジュリアをそれなりの技量まで育て上げてくれると、メリアローズは確信していた。
「よし、じゃあビシビシいくわよ!」
「まるで鬼教官だね。今日のメリアローズは」
「兄さま! 茶化さないでくださいまし!!」
兄の教え方は優しく丁寧だ。だからこそ、メリアローズは心を鬼にして鬼教官を演じなければならないのだ。
名付けて飴と鞭作戦である。
「それじゃあ始めようか、ジュリアさん」
「は、はいっ……!」
そして、アーネストにエスコートされるようにして、メリアローズ監修の元ジュリアのダンスレッスンが開始したのだ。
「そこっ! テンポが遅れてる!」
「は、はいぃ!」
「足元を見ない! 相手の顔を見るのよ!!」
「了解しました!!」
「それじゃあ酔っぱらいの千鳥足じゃないの! もっと優雅に!!」
「イエス、サー!!」
メリアローズの熱の入りようは、様子を見に来た使用人たちの度肝を抜くほどだった。
そして、後に彼らや兄からその話を聞いた家族によって、メリアローズは「大佐」や「軍曹」などと呼ばれ、からかわれることになるであったが、今のメリアローズにそんなことを気にする余裕はなかったのだ。




