32 悪役令嬢、ヒロインを家に招く
引っ張るように公爵邸に連れてきたジュリアは、まるで借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。
普段のはしゃぎっぷりが嘘のようである。
「わわわ私、場違いですよね……!?」
「何言ってるのよ、平気よ」
「で、でも、こんな大きなお屋敷に足を踏み入れるなんて初めてで……」
戦々恐々といった様子のジュリアに、思わずメリアローズは笑ってしまった。
まったく、いずれ王太子妃になるであろう者が、こんな状態で大丈夫なのだろうか。
彼女が王子の新たな婚約者に選ばれた際には、多少鍛えてやった方がいいのかもしれない。そんなことを想像し、メリアローズはくすりとほほ笑む。
「こ、ここが、メリアローズ様のお屋敷なんですね……」
ジュリアはまるで初めて都会に出てきた田舎者のように、ちらちらとあちこちに視線をやっていた。
まあ確かに、ジュリアが臆するのも無理はないだろう。
メリアローズの暮らすマクスウェル邸は、初めて王都に来た者が「これが王宮か……」と見間違えるほどの規模を誇る館なのである。
もちろん屋敷内の装飾も手を抜いたりはしていない。
優美の限りを尽くし、かつ、相手を委縮させないようにとどこか軽やかさをも残している。
今ジュリアが目を見開いて凝視している壁には、精巧な薔薇の意匠が施されていた。
これは、メリアローズが生まれた時に、国一番の職人を呼びよせ父が作らせたものである。
その模様を見るたびに、メリアローズは少し恥ずかしくもあり、誇らしくもある気分になるのであった。
「すごい、シャンデリアがいっぱーい……」
ロックウェル男爵の館がどのくらいの規模なのかはわからないが、ジュリアのこの反応を見る限りは、きっとマクスウェル邸には遠く及ばないのであろう。
それでも、ジュリアはいずれ王太子妃となり、豪華絢爛な王宮で暮らすようになるのだ。今のうちに慣れておいた方がいいに違いない。
「あなたも貴族でしょ。このくらいで怖気づいてたらキリがないわよ」
「そ、そんな……やっぱり私と皆さんでは住む世界が違うんですよ!」
「まったく……」
メリアローズは今度の苦労を思い嘆息した。
そうだ。どうせメリアローズにはこんなに悪評が立ってしまったのだし、学園を卒業したらジュリアの教育係の一人になるのも悪くはないのかもしれない。
もちろん、ユリシーズがそれを許せば、の話であるが。
そんな未来を思い描きながら、メリアローズはジュリアを呼び寄せる。
「ほら、早く来なさい」
「あの、私はどうしてここにお呼ばれしたのでしょう……」
「あら、言ってなかったかしら。あなたのダンスパーティー用のドレスを仕立てるためよ」
そう告げると、ジュリアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「え、えええぇぇぇぇ!!?!?」
「ちょっと、静かにしなさい。変に思われるじゃないの」
現に、ジュリアの叫び声を聞きつけて、使用人たちがこっそりとこちらの様子を窺っているのがメリアローズにはありありと見て取れた。
とりあえず彼らに「問題ない」と目配せし、石のように固まるジュリアの手を掴み、引きずるように歩き出す。
「ドドド、ドレスって一体……!!?」
「いい、勘違いしないで頂戴! これは私からライバルであるあなたに塩を送るのと同じことなのよ」
「え、塩? ライバル……?」
要領を得ないジュリアに、メリアローズはびしっと指差し言い放つ。
「そうよ! あなたは私のライバルなんだから!」
「えっ、ええぇ!!? わ、私なんかがメリアローズ様のライバルなんておこがましい……!」
「いいから! そういうことにしなさい!! 少なくともダンスパーティーが終わるまでは!!」
ヒロインであるジュリアは、悪役令嬢メリアローズの恋のライバルなのだ。
ライバルなのだから、ドレスを贈っても何もおかしくはない。
……おかしくは、ないのだ。
メリアローズは必死に自分にそう言い聞かせた。
「ライバルが欠席で不戦勝だなんて、私の矜持が許さないのよ」
「すみませんメリアローズ様! 何言ってるか全然わかりません!!」
「いいから! あなたは黙って私の言うとおりにしなさい!!」
「はいぃっ!!」
よしっ、言質は取った!
これでもうジュリアに拒否権はないのだ。
そして悪役令嬢は、まんまとヒロインを部屋へと連れ込むことに成功したのである。
「お帰りなさいませ、お嬢様。あら、そちらのご令嬢は……」
「シンシア。彼女はロックウェル男爵家のジュリアよ」
「まぁ! するとあなたが……」
「えっ、私有名人……?」
これはいけない。うっかりジュリアに「王子の恋を応援したい隊」の計画の存在がばれないように、メリアローズは必死に出迎えてくれたシンシアに視線を送った。
もちろんシンシアも心得たものである。フォローの女神リネットに負けないほどに、鮮やかにジュリアに会釈して見せたのだ。
「お嬢様からよくお話を伺っております。不倶戴天の敵であると」
「えっ!? そんな、メリアローズさまぁ……!」
「ほら、なんでもいいじゃない! シンシア、マダム・エイプリルに使いを出してくれるかしら」
メリアローズに敵視されているのだと勘違いしたジュリアは涙目になっていた。そんなジュリアを宥めつつ、メリアローズはシンシアにここに来た目的を手短に告げる。
――マダム・エイプリルに使いを出す
それだけで、シンシアはすぐにメリアローズの意図を察してくれた。
「えぇ、仰せのままに」
すぐに行動に移し部屋を出て行ったシンシアを見送り、メリアローズはぱちんと指を鳴らす。
するとすぐに、メリアローズ付きのメイドたちがずらりと現れた。
「なんなりとお申し付けください、お嬢様」
綺麗に整列したメイドたちを見て、ジュリアは呆気にとられたような表情を浮かべている。
その様子を見てくすりと笑い、メリアローズは告げた。
「この田舎娘を着飾るのよ」
「えっ!?」
「承知いたしました!!」
「えっ、ちょっと待――」
メリアローズとはタイプの違う、新たな着せ替え人形の登場に、メイドたちの目はいきいきと輝いていた。
そしてメリアローズはメイドたちと一緒になり、ジュリアの大改造計画を開始したのである。




