31 悪役令嬢、敵に塩を送る
学期末のダンスパーティーを控え、学園中が浮ついた空気に包まれている。
貴公子たちはどの令嬢と踊るかということを秘かに話し合ったり、牽制したりしており、それに加え令嬢たちはドレスやアクセサリーといった装いの話に余念がないようだった。
「でも楽しみですわ。王子とメリアローズ様が踊られるのをこの目で見られるなんて」
「一生の語り草になりますわ!」
そんな取り巻きたちのお世辞に高笑いで答えながら、メリアローズは内心でくすりと笑った。
彼女たちは知る由もないだろうが、話題のダンスパーティーで、メリアローズは王子の婚約破棄を宣言されるのだ。
そして、王子が正式にジュリアのことをパートナーとして選ぶであろう。
悪役令嬢の一大イベントに、不思議とメリアローズはどこか高揚感を覚えていた。
「メリアローズ様はどんなドレスをお召しになられるのですか?」
「そうね……そろそろ仕立て屋と相談しなくてはね」
「楽しみですわ~。メリアローズ様のドレス……きっと素敵でしょうね!」
きゃあきゃあと盛り上がる取り巻きたちを眺めながら、メリアローズはふぅ、と小さく息を吐いた。
そうだ、そろそろそのことについても考えなくてはならないだろう。
悪役令嬢物の一大舞台。婚約破棄イベントなのだ。
メリアローズの悪役令嬢っぷりが最も映えるようなものを選ばなくては。
そこまで考えた時に、ふとメリアローズはジュリアのことが気にかかった。
あの貧乏令嬢は、いったいどんなドレスを着てくるのだろうか、と。
なにしろメリアローズの婚約破棄イベントとはすなわち、ジュリアが王太子妃になるのとセットなのだ。
あまりみすぼらしい格好をされては、せっかくのイベントが台無しになってしまうではないか。
とりあえずそのあたりも探りを入れておこう、と、メリアローズは頭の片隅に書き留めた。
そして周囲の心配をよそにメリアローズが一人で渡り廊下を歩いていると、丁度いいことに向こうからジュリアがやってくるではないか。
ジュリアはメリアローズに気がつくと、にっこりと嬉しそうに笑った。
「御機嫌よう、メリアローズ様」
「ふふっ、田舎貴族の割に挨拶が板についてきたじゃないの」
「えっ、ほんとですか!? わー、メリアローズ様に褒められちゃった……!」
両手で紅潮した頬を挟み、締まりのない笑みを浮かべるジュリアを見て、メリアローズは苦笑する。
まったく、この娘にはもう少し淑女としての訓練が必要なようだ。
いずれ始まるであろう王太子妃の教育に、ちゃんとついていけるのかどうか今から心配になってしまうではないか。
「……そうね。ねぇ、ジュリア」
ちらりと周囲を見回したが、幸いなことにここにはメリアローズとジュリア以外には人っ子一人いないようだった。
これは好都合。さっそく懸念事項の確認をしておこうと、メリアローズは口を開いた。
「あなた、学期末のダンスパーティーにはどんなドレスを着ていくつもりなの?」
まるで舞踏会に参加しようとするシンデレラを邪魔する義姉のように、メリアローズは嫌味たっぷりに聞いてやった。
だが憤慨するか、いつものように脳天気に答えると思われたジュリアは、少し悲しそうに目を伏せたではないか。
これにはメリアローズも焦った。慌ててジュリアの肩に手を触れ、顔を近づけ問いかける。
「ちょっと! 何よその反応は!!」
「その、メリアローズ様。私……ダンスパーティーは欠席しようかと思っていて」
…………ちょっと待て。
「はあぁぁ!!? 欠席ですって!!」
一体何を考えているのかこの田舎娘は!!
今度のダンスパーティーは、まさしく王子とジュリアが主役だというのに!
主役の片割れが欠席など、婚約破棄イベントどころではないではないか!!
今までになく慌てるメリアローズに、ジュリアは顔を上げ気丈にも笑顔を作ってみせた。
「あの、私の家ってお恥ずかしいほどに貧乏で……とてもじゃないけど、皆さんと一緒に踊れるようなドレスなんて買えないんです……」
そう言ったジュリアの声は、確かに震えていた。
あのいつも能天気な田舎娘が、まるで涙を耐えるように、必死に震える声でそう絞り出したのだ。
その光景に、メリアローズは多大なるショックを受けた。
確かにジュリアのロックウェル家はお世辞にも裕福とは言えない家だ。
だが、まさかドレスの一着も買えないほどだとは思ってもいなかった。
いや……ここロージエ学園は貴族の中でも選りすぐりの家の子女が通う学園だ。
ドレスと一口で言っても、田舎貴族のパーティーとは天と地ほども違うだろう。
きっとジュリアは、どこかでその現実を知ってしまい、王族の隣に立っても遜色のないドレスを……などとは言い出せなかったのだろう。
くっ、あの大臣はそのあたりも根回しはしてなかったのか……!?
メリアローズは何とか今の状況を打破しようと、頭をフル回転させた。
もちろん、ジュリアのパーティー欠席など言語道断である。
まさに婚約破棄イベントの為にあつらえたような舞台。彼女はこのダンスパーティーの主役なのだ。何が何でも出席して王子の隣に並んでもらわなければならない。
しかし、他の令嬢に見劣りするようなドレスを着てこいというのも酷だろう。
年頃の少女にとっては、何よりもつらいことである。
そんな状況で王子に選ばれたとしても、ジュリアは心の底から喜べないかもしれない。
せっかくこのために一年近くも、メリアローズは悪役令嬢生活を頑張って来たのだ。どうせなら最高の舞台に仕立て上げなくては。
だとしたら、何とか彼女に一級品のドレスを与えるしかない。
王子からのプレゼントということにしようか……?
いや、それだとジュリアが新たな婚約者に選ばれた時のサプライズ感が薄れてしまう。
これは却下だ。
メリアローズはむむむ……と頭を悩ませた。
だったら、当て馬バートラムからのプレゼントだということにするか?
いや……これも却下だ。
そんな窮地を救うような真似をすれば、再びジュリアのバートラムへの恋心に火がついてしまうかもしれない。
せっかく王子とうまく行こうとしているときに、そんな危険は冒せないだろう。
だとしたら、ウィレムから……
……なんかモヤモヤするので却下。
それに、ウィレムにはもうリネットという相手がいるのだ。いくら作戦の一環とはいえ、大切なリネットが傷つくような真似はしたくない。
……となると、どうするべきか。
メリアローズは珍しく悩みに悩み、考えつくした。
そして、思い付いた。
……どこかの国の言葉には、「敵に塩を送る」というものがあるらしい。
だとしたら、「悪役令嬢がヒロインにドレスを贈る」のも、間違っていないのではないか……?
どうせこの計画もあと少しで完遂なのだ。
ここでジュリアのパーティー欠席という致命的なミスを犯すよりも、多少悪役令嬢らしくないとしても、ドレスを贈る方がうまく事を進められるだろう。
そうとなったら急がねば。
もうダンスパーティーは迫ってきているのだ。
ドレスを二着仕立てるとしたら、それなりに時間がかかるはずである。
「ジュリア、来なさい」
「えっ? いったいどこに……」
「私の家よ」
そう告げると、ジュリアは大きく空色の目を見開いた。ぽかん、と間抜けに口まで大きく開いているではないか。
あなたも淑女なのだからそんな間抜けな表情はおやめなさい、とメリアローズが口にしようとした、その時だった。
突如、ジュリアは奇声を上げたのだ。
「えええぇぇぇっ!!?!?」




