29 悪役令嬢、王子と話し合う
……もしかして、ここで婚約破棄を言い渡されるのだろうか。
王室御用達の料理店で、一応婚約者であるユリシーズと向かい合いながら、メリアローズは平静を装いつつも内心で焦っていた。
今までのことを思い返してみても、こうしてユリシーズから自発的に誘われることなど、ほぼ皆無であったのだ。
ということは、今こうして二人っきりで向かい合い、何か話したいことがあるのだろう。
その内容として考えられるのは……婚約破棄以外にはありえない。
しかし困った。別に婚約破棄自体は望む展開なのだが、できればこんな観客のいない場所ではなく、もっと大勢の人間が集まる……例えば学園のパーティーや夜会などで、華々しく宣言してもらわなければならないのだ。
ついでに断罪イベントもセットだとなおよしだ。
ここで静かに婚約破棄を言い渡されたとしても、それではいくら何でも地味すぎる。
悪役令嬢物の一大イベントである「婚約破棄」を何だと思っているのか!……とメリアローズはユリシーズに説教をしたい思いをぐっと堪えた。
ユリシーズからすればいい迷惑である。
「どうかしたのかい?」
「い、いいえ! なんでもありませんわ!!」
どうやら悶々と考え込んでいたのが顔に出ていたらしい。
王子にそう問いかけられ、メリアローズは慌てて優雅な笑みを取り繕い、ローストチキンを口に運んだ。
それにしても……と、メリアローズはちらりとユリシーズに視線をやった。
相変わらず何を考えているのかわからない王子は、メリアローズの視線に気がつくと、にっこりといつもの王子スマイルを浮かべて見せたのだ。
「よかった、少しは元気が出たみたいだね」
「えっ?」
「最近の君は……どうにも落ち込んでいるみたいだったから。心配していたんだ」
思ってもみなかった言葉に、メリアローズはぽろりとフォークを取り落としそうになるのを、寸前で慌てて取り繕った。
その様子を見て、ユリシーズはくすくすと笑っている。
「学園に入学してからの君は、いつも楽しそうだったから。何かあったんじゃないかって心配してたんだ」
楽しそう……に見えていたのだろうか。
メリアローズは王子の目と頭が大丈夫かどうか疑わざるを得なかった。
入学してからメリアローズがやってきたことといえば、せこせこと地道に王子の愛しのジュリアを虐めていただけである。
それを楽しそうとは……実はこの王子はとんでもないサディストだったりするのだろうか。
一瞬役目を忘れてジュリアに警告すべきか、メリアローズは本気で悩んだ。
「さっき、一つ懸念が片付いた、と聞いて安心したよ。君は昔から、苦労を隠そうとするからね」
「そうでしょうか……」
「あぁ、幼い頃からメリアローズは、僕の知らないうちにどんどん何でもできるようになっていったからさ。僕は君に追いつこうと必死だったんだ」
どこか懐かしそうに目を細めて、ユリシーズはそんなことを口にしたのだ。
これにはメリアローズも驚いた。
知らないうちにどんどん先に進んでいたのは、メリアローズではなくユリシーズの方ではないか。
思わずそう言い返すと、ユリシーズはおかしそうにくすくすと笑った。
「隣の芝生は青い……ってやつなのかな」
「そんな、ご謙遜を……」
「メリアローズ、知ってるかい? 優雅に泳ぐ白鳥も、水面下では必死に足をばたつかせているそうだよ」
ユリシーズは、そんな訳の分からないことを言いだした。
きょとん、と目を丸くするメリアローズに、彼はくすりと笑い目を細める。
「きっと……みんな、そうなんだろうね。努力も、苦労もしていないような顔をして、実は見えない所で必死に頑張っているんだ」
「あ……」
メリアローズはやっと、ユリシーズが何を言いたいのかを悟った。
でも、やはり信じられない。
この目の前の完璧王子も、水面下で努力をしたり、苦労を重ねていたのだろうか。
そう考えると、不思議な感傷が湧き上がってくる。
……もしかしてユリシーズ王子は、メリアローズが思っていたような人物とは、少し違うのかもしれない。
彼と出会って十数年がたつはずだが、メリアローズはこの時初めて、そんなことを思ったのだ。
「ユリシーズ様……少し、お変わりになられたような気がしますわ」
気がついたら、そう口にしてしまっていた。
慌てて取り繕おうとしたが、ユリシーズは笑いながらメリアローズを制止した。
「はは、君もそう思ったかい? 実は……僕もそう思っていたんだ」
「ユリシーズ様も……?」
「あぁ、僕は変わった……のではないかと、自分では思う。きっとそれは、ジュリアに出会ったからだ」
愛しい者を思う優しい表情で、ユリシーズはそう呟いた。
メリアローズはその表情から目が離せなくなってしまう。
――この完璧王子も、そんな表情ができたのか
いつもの何を考えているのかわからない王子スマイルではない。それは、確かに愛しいものを想う、とてもわかりやすい表情だったのだ。
その表情を見ていると……素直に、祝福したいと思えてくる。
ユリシーズはジュリアに出会い変わった。彼女との出会いが、彼の根本を変えたのだ。
それが少し……羨ましく思えた。
「でも……メリアローズも少し変わった気がするな」
「そ、そうでしょうか……?」
「うん。学園に入学してからの君は……すごく生き生きしている気がするんだ」
メリアローズの頬がさっと朱に染まる。
王子の言ったことは……あながち間違いではない。もっと言えば、図星だったのだ。
確かに、悪役令嬢になりきるのは疲れる。だが、楽しいのは確かだ。
次はどんな悪役令嬢っぷりを発揮してやろうか考え、四人で作戦会議を繰り返し、執拗に王子やジュリアに絡む日々は……確かに充実していると言えなくもない。
幼い頃からひたすらマクスウェル公爵家の名に恥じないような令嬢に、と努力し続けていたメリアローズにとって、まったく新しい自分になりきるのは、確かに楽しかったのだ。
その事実は、メリアローズも認めざるを得なかった。
「お互い、いい変化があったんだね」
「……そうですね」
心の底から笑顔を作ると、ユリシーズも応えるように笑ってみせた。
幼い頃から、彼のことが理解できなくて、恐ろしく思っていた。その才能を、ある意味ライバル視していたのかもしれない。
だが、今は……不思議と友情のようなものを感じられるようになっている。
「……ユリシーズ様」
そっと呼びかけると、ユリシーズはメリアローズに優し気な視線を向ける。
そんな彼に微笑んで、メリアローズはそっと口を開いた。
「あなたは、ご自分のお気持ちに正直に生きてください」
そう伝えると、ユリシーズは驚いたように目を見開いた。
それに構わずに、メリアローズは続ける。
「あなたの幸せこそが、我々の幸せなのです。あなたはやがてこの国を統べる御方。あなたが幸福でないのに、この国の民は幸福にはなれませんわ」
だから、王子が真に想う相手と共に、これからの道を歩んで欲しいと思う。
今のメリアローズは、心の底からそう願っていたのだ。
「メリアローズ、僕は……」
「わたくしや、他の者のことはお気になさらないでください。なるようになりますので」
……決着の時は近い。
メリアローズは、その予感を抱いていた。
「あなたが選んだ選択なら、いずれ皆納得していただけますわ」
だから、婚約者(仮)のメリアローズに遠慮することなどないのだ。
ジュリアへの愛を貫き、どーんと派手に、婚約破棄を宣言してくれても構わない。
言外に、メリアローズは王子にそう伝えたかったのだ。
きっと、王子もわかってくれたことだろう。
彼は少し困ったように笑いながら、メリアローズに視線を合わせた。
「……やっぱり、君には敵わないな」
「あら、奇遇ですね。わたくしは常々そう思っておりましたわ」
そうして、メリアローズは初めて、この幼馴染ともいえる王子のことを、少しだけ理解できた気がしたのだ。




