28 悪役令嬢、不思議な喪失感を覚える
ジュリアがバートラムに思いを寄せていたと発覚したことで、一時はどうなることかと思った王子とジュリアの仲も、ここ最近は随分順調なようだ。
最近では校内の至る所で、王子とジュリアが仲睦まじく過ごしている様子が見られている。
生徒たちの間でも、どうやらジュリアを射止めるのは王子である、という説が有力なようだ。
「……なんだかんだで、うまくいきそうね」
いつものように、こっそり窓から王子とジュリアが二人で歩くさまを監視しながら、メリアローズはそっと呟いた。
やはり王子とジュリアは惹かれあう運命にあるのだ。バートラムがちょっと度を過ぎた当て馬っぷりを発揮してくれたおかげでうっかり混乱していたジュリアも、やっと自分が本当は誰を思っているのか気づいたのであろう。
なにせ、そろそろこの学園に入学して一年近くがたつのだ。
いい加減あの二人にもびしっと決めて欲しいものである。
「まったく、幸せそうな顔しちゃって」
メリアローズがこっそり見張っているとは夢にも思わないのであろう。
何の話をしているのかは知らないが、王子とジュリアの二人は、ひどく楽しそうに笑い合っていたのだ。
その様子を見ていると、少しだけ羨ましくなった。
結局のところ、未だメリアローズは「恋」というものがどんなものなのかわからずにいたのだ。
ルシンダの騒動が一段落した頃、バートラムは冷血だとかなんとか言ったメリアローズへの暴言を謝罪してくれた。
メリアローズも、バートラムと和解できたことにほっとしたものである。
だが、結局のところ、本質は何も変わっていないのだ。
メリアローズが気づいていないだけで、周囲はメリアローズのことを、高慢で冷血な思い上がった令嬢だと思っているのかもしれない。
悪役令嬢としてではなく、素のメリアローズのことを知る者まで……
「……駄目ね、こんなんじゃ」
メリアローズは悪役令嬢なのだ。こんなことで落ち込んでいてはいけない。
きっと、王子とジュリアの仲もあと一押しのはずだ。
最後まで、悪役令嬢役として気を抜いてはいけないのである。
しゃん、と背筋を伸ばして、メリアローズは颯爽と歩き出した。
しかし、こういう時はたいていよくない場面に遭遇してしまうものである。
またもや建物の陰から切羽詰まったような男女の声が聞こえて、メリアローズはげんなりしてしまった。
しかし、その時聞こえてきた声にはっと我に返る。
「……たし、どうしたらいいのか…………」
それは、メリアローズのよく知るリネットの声であった。
普段の落ち着いたリネットとは違う、心を引き裂かれるような悲痛な声だ。
一体何があったのだろう、とメリアローズは一気に緊張した。
「……も、やっぱり……なくて…………」
よくは聞こえないが、リネットは一人ではないようだ。
まさか、変な男に迫られているのでは……と心配になり、メリアローズは気配を殺しそっと近づく。
そして、気づかれないようにそっと覗き込み……思わず息をのんでしまった。
そこにいたのはリネットと……これはまたメリアローズのよく知る、ウィレムの二人であったのだ。
だが、問題なのはそこじゃない。
リネットは、泣いていたのだ。
メリアローズの知らない、悲しみに満ちた表情だった。
いい家柄の令嬢は、人前でみっともなく泣いたりすることはない。メリアローズの知るリネットは、もちろんそのような人物であったし、感情のコントロールにも長けていたはずだ。
そんなリネットが、涙を流して泣いている。
その信じられない場面に遭遇し、メリアローズは自分でも驚くほどショックを受けた。
だが、それだけでは終わらなかった。
「リネット……」
ウィレムが心配そうな声でリネットを呼び、彼女の方に一歩近づく。
そして、その細い肩を引き寄せそっと抱きしめたのだ。
メリアローズの目の前で、二人の男女はまるでそうするのが当たり前かのように、しっかりと抱き合っていた。
どこか絵になるような、パズルのピースが当てはまるような、そんな光景だった。
――あぁ、そういうことか。
メリアローズはやっと理解した。
『やっぱりいるのね! ね、誰?』
『べ、別にそんなの――』
『いいじゃない教えてくれたって。もしかしてジュリアに横恋慕? それともリネットかしら!』
『はぁ、まったくあなたは……』
つい先日、ウィレムとデートした際に、彼に好きな相手はいるのかと問いかけたことがあった。その時ウィレムは答えをはぐらかしたが、その相手は……リネットだったのだろう。
そしてきっと……リネットも同じ想いを抱いていたのだ。
抱きしめ合う二人の姿はとても美しかった。
メリアローズは邪魔をしないように、そっと音を立てないようにその場を後にする。
そして誰もいない学園の片隅の休憩所にたどり着いた時……ずるずると座り込んでしまった。
リネットは大事な腹心であり、親友だ。
ウィレムは地味だが、頼りになる青年だ。いや……彼はあえて地味な装いをしているだけで、本気を出せばだれもが羨むような好青年なのだ。
……お似合いの、二人じゃないか。
それなのに、まるでメリアローズはぽっかりと心に穴が開いたような、奇妙な喪失感を味わっていたのだ。
「……メガネの奴、私のリネットを勝手に奪うなんて、誰に許可取ったのよ…………」
リネットを取られたようで、悔しい。
その想いは確かにメリアローズの中に息づいていた。だが、それだけではなく……
――私だけ特別、じゃなかったんだ……
そんな風に浮かんでくる身勝手な想いに蓋をしようと、メリアローズはぎゅっと目を閉じた。
『大丈夫。ここにいてください。あなたには指一本触れさせません……絶対に』
ウィレムはそう言って、メリアローズを悪漢たちの手から守ってくれた。
そして、恐怖に涙ぐむメリアローズを抱き寄せ、慰めてくれたのだ。
でも、それは……相手がメリアローズだったから、と言う訳じゃなかった。
彼は優しいから、同じような境遇の相手がいれば、誰にでもそうしたのであろう。
なにもメリアローズ一人が特別だったわけでは、ないのだ。
その事実に落ち込んでいる自分を、メリアローズは認めたくなかった。
「……メガネの癖に」
あいつがあんなに格好つけてるから悪い。
メリアローズのデートについてきたりするから悪い。
そうだ、悪いのはウィレムなのだ。
「…………はぁ」
そんな身勝手な思考に嫌気がさす。
これでは、ルシンダの言う通りではないか。
高慢で哀れなメリアローズ。言い得て妙だ。
もう何も考えたくなくて、メリアローズは力なくその場から立ち上がった。
屋敷に帰って、愛猫のチャミと遊ぼう。そうすれば、多少は気分も晴れるはずだ。
そう思ってふらふら帰路に着いた時、ふいにメリアローズは背後から声を掛けられた。
「メリアローズ?」
その聞きなれた声に慌てて振り返る。
そこにいたのは、メリアローズの(一応)婚約者であるはずの相手……ユリシーズ王子だったのだ。
「あらユリシーズ様、奇遇ですわね」
どうやらジュリアは一緒ではないらしい。
だったら、ここでユリシーズに絡んでもジュリアの嫉妬は煽れない。いつものように纏わりつく元気もなくて、メリアローズはなんとか笑顔を作るのが精一杯だった。
するとユリシーズは、少し驚いたような顔をしてメリアローズの方へと近づいてきた。
「……こうして君と二人で話すのは久しぶりな気がするな」
「あら、そうでしょうか」
「そうだよ。最近の君は忙しそうだったから」
直球にそう言われ、メリアローズは言葉に詰まってしまった。
確かに、ルシンダの事件に気を取られ、王子との約束のことはリネットに任せっきりであったのは確かだ。
しかしまさか、当の王子からそんなことを指摘されるとは思わなかった。
「うふふ、レディにはいろいろあるのですよ?」
「それは大変だね。でも今日は大丈夫なのかい?」
「えぇ、一つ、懸念が片付いたところですので」
「それはよかった。じゃあ、久しぶりに二人で食事にでも行かないか?」
流れるようにそう誘われ、メリアローズは思わず目を見開いた。
目の前の王子は、相変わらず何を考えているのかわからない、完璧な王子スマイルを浮かべていたのである。




