27 悪役令嬢、真の悪役令嬢の座を死守する
ウィレム、リネット、バートラム……
現れた三人を目にして、ルシンダの表情が一瞬で凍り付く。
「何言ってるのメリアローズ。この方たちは?」
それでもしらを切ろうとするルシンダに、メリアローズは冷たく言い放った。
「今更言い訳は見苦しいですわ、ルシンダさん」
「お前が今更なんて言おうがなぁ、残念ながらもう証拠は上がってんだよ」
珍しく女性相手でも凄んで見せたバートラムに、ルシンダは悔しそうに唇を噛む。
そして、逃げ切れないと悟ったのか……彼女は豹変した。
「……そうよ、私がやったのよ。王子の婚約者でありながら男侍らせていい気になってる、あんたの目を覚まさせてやろうと思ってね!!」
憎悪に満ち、つり上がった目。深窓の令嬢らしからぬ荒れた口調。
今のルシンダは、とても聖女とは程遠い悪女のような笑みを浮かべていた。
……これが、彼女が隠していた本性なのかもしれない。
まったく、これじゃあどちらが悪役令嬢なのかわからないわ。
どこか他人事のように、メリアローズはそう考えていた。
ルシンダはおかしそうに高い声で笑うと、ぎらついた瞳でバートラムを睨みつけた。
「何よ、あんたが好きなのはジュリアでしょ!? なんでメリアローズの味方なんてしてんのよ。もしかして、負け犬同士惨めな傷の舐め合いなのかしら!?」
ルシンダは美しい顔には似合わない、下劣な言葉でバートラムを攻撃していた。
だが、そんな安い挑発に動じるようなバートラムではない。
彼はたった一言、軽蔑するように言い放ったのだ。
「惨めなのはあんただろ」
「なっ……」
絶句したルシンダは、今度はメリアローズの方へと向き直り、憎悪に表情を歪めた。
「あんたも……まったく王子に愛されてなんかいないのに、勘違いして可哀そうね! 王子はあの田舎娘にご執心で、あんたなんて眼中にないのよ!!」
「えぇ、そのようね」
「なによ、なんでそんなに平然としてられるのよ……!」
メリアローズが冷たく応えると、ルシンダは顔を真っ赤にして、勢いよく立ち上がった。
「生意気なのよ! たまたま公爵家に生まれただけの女の癖に、図々しく王子の婚約者になんてなっちゃって、それなのに男侍らせて街をうろついて……どれだけ厚かましいのよ!!」
激昂したようにそう叫ぶと、ルシンダは大きく手を振りかぶった。
その予想外の行動に、メリアローズは思わず固まってしまう。
「田舎娘に負ける雑魚の癖にっ!!」
メリアローズの顔めがけて、ルシンダの拳が飛来する。
だが、メリアローズの白磁の肌が傷つけられることはなかった。
「……いい加減にしろ。あんたにこの人の何がわかる」
メリアローズを守るようにルシンダの前に立ちはだかったウィレムが、軽々と彼女の拳を受け止めていたのだ。
「そうですわ! メリアローズ様のことを何も知らない癖に……いい気になっているのはあなたの方です!」
控えていたリネットも参戦し、メリアローズを守るようにルシンダの前に立ちはだかった。
ルシンダは顔を真っ赤にして、屈辱に打ち震えているようだった。
……そろそろ、頃合いだろう。
「……さて、こんな茶番はそろそろ終わりにしましょうか」
メリアローズがぱちん、と扇子を閉じてそう告げると、ルシンダはびくりと肩を震わせる。
どうやら、悪事を働いた自覚はあったようだ。
「まどろっこしいのは嫌いなので、単刀直入に言わせてもらうわ。選びなさい、ルシンダ」
メリアローズは立ち上がり、つかつかとルシンダに歩み寄る。
そして、ぱちんと閉じた扇を、ルシンダに突きつけた。
「一週間、猶予をあげる。その間にカルヴァート候にすべてを話し今後の身の振り方を考えるか……それとも、まだ私と戦うかをね」
メリアローズがそう告げた途端、ルシンダの瞳が怯えたように見開かれる。
大それたことを考える癖に、案外彼女は小心者なのかもしれない。
「もしこれ以上私と戦うつもりなら、私は全てを白日の下に晒すことにするわ」
「なっ!?」
「そうなれば、カルヴァート家はどうなるかしらね?」
公爵令嬢であり、王子の婚約者でもあるメリアローズを襲ったなどと露見すれば、カルヴァート家は王家とマクスウェル公爵家を敵に回したも同然だろう。
いくら歴史ある侯爵家といえど、そんなことになれば味方につくものはいなくなる。
待っているのは没落のみだ。
「いい、期限は一週間よ? しっかりと、あなたの選択を見せてもらいましょうか。オーホッホッホ!!」
久しぶりに悪役令嬢らしい高笑いを上げると、随分と気分がすっきりした。
どうやら自分が思っている以上に、悪役令嬢っぷりが板についてきたようである。
「これでも譲歩してやってるんだぜ? なんなら今すぐにでもお前の悪事を公表して、しかるべき裁きを加えてやってもいいんだが」
「メリアローズ様の御慈悲に感謝するべきですわ」
バートラムとリネットに追い打ちを掛けられ、ルシンダは目を血走らせ唇を噛んでいた。
そして彼女はまっすぐにメリアローズを見つめ、口を開いた。
「高慢で哀れなメリアローズ! いつか後悔するわ!!」
……完全な負け惜しみである。
まるで三下の悪役のようなセリフを吐き捨てると、そのままルシンダは走り去っていった。
その背中を見送り、ウィレムが納得いかないように呟く。
「……やっぱり今からでも公にした方がいいんじゃないですかね」
「そうしたいのはやまやまだけど……そうなれば王子とジュリアが気にするでしょう。二人がいい感じになっているのに、水は差したくないのよ」
心配そうにこちらを振り返るウィレムに、メリアローズは小さく首を振ってみせた。
メリアローズは別に、ルシンダに同情したわけではない。
メリアローズの身にあったことが露わになれば、王子とジュリア……とくにジュリアが大騒ぎをするのは目に見えている。
ここ最近いい感じに接近している二人の、邪魔はしたくなかったのだ。
「それに私は悪役令嬢なのよ? この学園一の悪役令嬢の座は、ルシンダには渡さないわ!」
扇子を広げそう言ってみせると、三人は呆れたように笑った。
◇◇◇
そして約束の一週間が過ぎる直前、学園内にある噂が舞い込んできた。
「聞きました? カルヴァート家のルシンダ様のお話」
「えぇ、隣国の貴族の元に嫁ぐとか……」
「かなり年の離れた方だと伺いましたけど」
「学園も退学されるなんて……よっぽどその方と一緒になりたかったのね」
どうやらカルヴァート侯爵家は、ルシンダを退学させ他国の貴族の元に嫁がせることで、この件を収めることにしたようだ。
メリアローズの元にもこっそりとカルヴァート家の使者がやって来たが、メリアローズは寛大な心で許してやった。
これ以上、ルシンダに振り回されたくはなかったのである。
果たしてあの事件が、ルシンダの独断だったのか、それともカルヴァート家自体がメリアローズを排除しようと動いていたのか……まぁ、今となってはどうでもいいことだ。
ルシンダはおそらく望まぬ結婚を強いられ、カルヴァート家には……これからじわじわと制裁が下されることだろう。
メリアローズは決してこの件を表沙汰にするつもりはない。だが、裏で何もしないと言ったわけではない。マクスウェル公爵家の愛娘を危険に晒し、何もお咎めがないわけがないのだ。
「たまたま公爵家に生まれただけの女……か……」
ルシンダの低俗な罵倒は、少しだけメリアローズの心にしこりを残していた。
彼女の言ったことは、あながち的外れではなかったのかもしれない。
「別に、気にすることないと思いますけど」
並んで歩く王子とジュリアを遥か上方の窓越しに眺めていると、いつの間にか隣にウィレムがやってきていた。
「あんなの口からの出まかせで適当に言っただけですよ」
「どうかしらね。でも、普段からそう思っていなかったらとっさには出てこないはずよ」
ルシンダはメリアローズのことを、ただ公爵家に生まれただけの高慢な女だと思っていた。
そう思っているのは……ルシンダだけではないのかもしれない。
そう考えると、メリアローズの心は少しだけ沈んでしまうのだ。
「ねぇ、あなた剣が得意なんでしょ?」
「……まぁ、一応」
「私にも教えてくれない?」
「はぁ!?」
いい案だと思ったのだが、ウィレムは驚いたようにメリアローズの方を振り向き、すごい速さで首を振った。
「何言ってるんですか! メリアローズさんにそんなことさせられるわけないじゃないですか!」
「そうかしら。少しでも剣が使えれば、王妃になったジュリアの護衛にでもなれるかと思ったのだけど」
「……はぁ、たまにあなたはとんでもないこと言いますよね」
ウィレムは呆れたようにため息をつくと、すっと表情を引き締め、メガネの奥に揺らめく翡翠の瞳でメリアローズを見据えた。
「メリアローズさんは、今のままでも十分素晴らしい人ですよ」
「……お世辞なら結構よ」
「だからお世辞じゃなくて、その、俺は……」
ウィレムが一歩メリアローズに近づく。
メリアローズは少しだけどきりとして、その場から動けなくなってしまう。
そして彼がどこか緊張したように、続きを口にしようとした瞬間――
「メリアローズ様ー!! こちらにいらっしゃったのですね!!」
廊下の端から、どこかはしゃいだ様子のリネットが駆けてくるのが見えたのだ。
「あら、ウィレムも一緒だったんですね」
「うふふ、二人で王子とジュリアを見張ってたのよ。ところでメガネ、あなた何か言いかけてたような……」
「ウィレムです、メリアローズさん。……いえ、たいしたことじゃないので、大丈夫です」
どこか気落ちしたようなウィレムを見て、メリアローズとリネットは顔を見合わせ首をかしげるのだった。




