26 悪役令嬢、真の悪役に対峙する
カルヴァート侯爵家のルシンダは、まるで聖女のよう、とも称される清楚な令嬢であった。
一歳年上の彼女を、幼い頃からメリアローズはある意味お手本のようにしていた。
それが……このざまだ。
「それは、確かな情報なのよね」
「えぇ、間違いありません」
「そう……」
そう念押ししたウィレムに、メリアローズはそっと俯いた。
メリアローズはルシンダが嫌いではなかった。いつも穏やかに微笑む彼女に、憧れのような感情も抱いていた。
だがそんな彼女は……メリアローズのことを憎んでいた。
メリアローズを傷つけ、王子の婚約者の座から引きずり落とそうとしていたのだ。
「確かに、カルヴァート侯爵家の娘なら王子の相手としては申し分ないな」
「メリアローズ様がいたからこそ、お声がかかることはなかったでしょうが……ありえない話ではありませんものね」
バートラムとリネットも、納得したように頷きあっている。
年齢差もたった一歳と、確かに王子とルシンダは釣り合いが取れていると言えるだろう。
だからこそ、彼女はメリアローズさえいなくなれば自分が王子の隣に……と夢想したのだろう。
「私……思ったよりも多方面から、恨みを買っているのかもしれないわね」
その気もないのに恨まれる、というのはいくらメリアローズであっても多少は堪えた。
蝶よ花よと育てられたメリアローズにとって、まっすぐに悪意を向けられるという経験は、そうそうあるものではなかったのだ。
「……やめますか、悪役令嬢そのものを」
そうウィレムに問いかけられ、メリアローズは小さく首を左右に振る。
「いいえ、少し悲しいけれど……この道を選んだことに、後悔はしてないわ」
悪役令嬢を演じるようになって、メリアローズの世界はがらりと一変した。
今回の件のように不利益を被ることもあるが、それなりに得たものもあるのだ。
少々苦手に思っていた王子に、親しみを覚えるようになった。
ジュリアのことも、嫌いではない。日々「メリアローズ様!」と寄ってくる彼女を、最近では愛しく思うようにすらなってきたのだ。
それに……
メリアローズはぐるりと三人の顔を見回す。
あけすけな言葉で、周囲を明るくするバートラム。
いつもメリアローズの傍で穏やかに微笑み、空気を和ませてくれるリネット。
いつもは地味で目立たないが……本当は誰よりも頼りになるウィレム。
この三人に出会えたことが、メリアローズにとっては何よりもの収穫であった。
きっとこの計画に参加しなかったら、こんなにくだらないことで笑ったり、腹の底から話し合いぶつかったりできるような友人を得ることはなかっただろう。
だから、メリアローズは後悔はしていない。
最後まで、全力で悪役令嬢を演じ切る覚悟はできているのだ。
「悪役令嬢は私一人で十分よ。不相応な悪役には、ご退場願いましょうか」
扇子で口元を隠しつつそう告げると、三人は心得たように頷いてみせた。
◇◇◇
「あら、久しぶりね、メリアローズ」
やって来たルシンダは、いつものように聖女のごとき微笑みを浮かべていた。
取り巻きを使い「相談したいことがある」と持ち掛けると、ルシンダは慌てるそぶりも見せずにこうしてメリアローズの元へとやって来た。
まったく、とんだ役者である。
学園の一角、ひとけのないベンチに並んで腰かけて、メリアローズとルシンダは対峙していた。
「あなたとこうしてお話しするのはいつ以来かしら……最近は王子のことばかりで、私になど構ってくれないんですもの」
ルシンダはそう言って、口元を手で隠しながらころころと笑った。
その優しい態度に、思わずほだされないように、メリアローズはぐっと気を引き締める。
こうしていると、まるであの日の出来事が嘘のように思えてくる。
だが、騙されてはいけない。
目の前のルシンダは、悪漢を雇いメリアローズを傷物にしようと企てるような人間なのだ。
「……メリアローズ、何か悩み事でもあるの?」
怒りを押し殺し悲しそうな表情を作ると、ルシンダが心配そうにメリアローズの顔を伺ってきた。
私の演技力も中々のものね……と自画自賛しつつ、メリアローズは震えたような声を作り、ルシンダに縋り付いた。
「ルシンダさん……私、怖いんです……!」
「ど、どうしたのメリアローズ!? 大丈夫、私がついてるわ」
ルシンダがそっとメリアローズの背中を撫でる。
メリアローズはぎゅっとルシンダの制服を掴み、哀愁を誘うような悲痛な声を出した。
「この前、街を散策していたら……いきなり、知らない人に追いかけられて……!」
「まぁ、そんなことが……!」
「私なんかが王子の婚約者だなんて、不相応だって……」
「メリアローズ……」
メリアローズはそっと涙をぬぐう振りをして、大きな瞳でルシンダを見つめた。
「またあんな目に遭ったりするんじゃないかと思うと、怖くて……こんなことなら、王子の婚約者になんて、なるんじゃなかった……!」
そう言って大げさに顔を覆うと、ルシンダがはっと息をのむ気配がした。
「ねぇルシンダさん、私はどうすればいいんでしょう……」
瞳を潤ませ、しおらしくそう問いかけると、ルシンダがそっとメリアローズの肩に触れた。
「メリアローズ……私などが口出しできる話ではないんでしょうけど……」
そう言って、ルシンダはそっとメリアローズに顔を近づけた。
そして、誰もが安心するような優しげな笑みを浮かべて見せたのだ。
メリアローズが幼い頃から知っている、聖母のような微笑みを。
「道は、一つじゃないわ。たとえ王子の婚約者でなくなったとしても、あなたは素敵なメリアローズのままよ。私は……あなたが大事よ。だから、できれば、自分の身のことを一番に考えて欲しいわ」
……やっぱり、そうなのね。
ルシンダの言葉は、メリアローズが確信を抱くのには十分だった。
あまりにも想定通りの展開に、メリアローズは思わず笑いだしそうになってしまう。
ルシンダも、メリアローズが弱気になって王子の婚約者をやめると言ったのを聞いて、有頂天になってしまったのだろう。
あと一歩で王子の隣が手に入る……。きっと今のルシンダは、そんな想像で頭がいっぱいになっていることだろう。
もう少し、焦らしてやろうか。
「でも……私が婚約者をやめるなんて言ったら、ユリシーズ様に迷惑をかけてしまいますわ……」
「メリアローズ、王子もわかってくださるはずよ」
「すごく、怖かったんです……もしまた、あんな目に遭ったらどうしようと……!」
「あんな目……?」
「大勢の男の人に追いかけられて、捕まえられそうになって……もし一緒にいた方が守ってくださらなかったら、今頃私は……」
「そうよ、メリアローズ。いつもいつも彼が隣にいてくれるわけではないのでしょう。あなたは自分のことをもっと大事に……」
「ルシンダ」
そこで泣く振りをやめて顔を上げる。
ルシンダは、未だ慈母のような微笑みを崩してはいなかった。
……待ってなさい。
すぐにその仮面を剥がして見せるから。
メリアローズはにこりと微笑んで、ルシンダに言葉を突きつける。
「私、一緒にいたのが殿方だなんて一言も言っていませんわ」
その瞬間、ルシンダの笑みが凍り付いた。
その反応で、メリアローズは確信してしまった。
やはり、彼女が黒幕であると。
……本当は、心の奥底で、ルシンダが犯人ではないことを願っていたのかもしれない。
しかし、現実は無情だったのである。
「そ、それは……当然その辺のごろつきを撃退するなんていうのは、男性だって思うじゃない……!」
笑えるほどに焦り始め、墓穴を掘り続けるルシンダに、メリアローズはくすりと笑みをこぼす。
……思ったよりも、小物ね。
「メリアローズさんを狙ったのが街のごろつきだってことも、今の会話からは導き出せませんよ」
足音と共に、冷静な声が振ってくる。
強張った表情のルシンダが振り返った先には、控えていたメリアローズの同士三人が冷たい目でルシンダを見据えていたのだ。
……こういうの、確か断罪イベントっていうのよね。
まさか断罪される側であるはずの悪役令嬢の自分が、断罪する側に回るとは。
メリアローズは心の中で嘆息し、きゅっと表情を引き締めた。




