21 悪役令嬢、屋台料理に感動する
次にメリアローズが目をつけたのは、香ばしい匂いが漂ってくる屋台であった。
「あそこは何かしら」
群がる人の後ろから、メリアローズはそっと屋台を覗き見た。
ジュージューと美味しそうな音を立ててあげられている、あれは……
「揚げジャガですね」
「揚げジャガ?」
メリアローズの疑問を察したようにウィレムが答えてくれる。
どうやらジャガイモを揚げた料理のようだ。
人がたくさん集まっているところから見ると、どうやら人気料理のようにも見える。
「揚げジャガ……初めて見るわ」
今目の前で売られている揚げジャガなる食べ物は、今までメリアローズが見たことも食べたこともない物であった。しかし、周囲の人たちは嬉しそうに次々と揚げジャガを買っていく。
「……食べてみます?」
「そ、そうね……! 何事も経験よ!!」
メリアローズは高鳴る鼓動を感じつつ、揚げジャガを二つ購入するウィレムを見守っていた。
そして戻ってきたウィレムの手元にある揚げジャガを見つめ、ごくりとつばを飲み込む。
「これが、揚げジャガ……」
二つに割れたホクホクのジャガイモ間に、溶けかけたバターが挟まっている。
「座って食べませんか?」
「えぇ、そうするわ」
メリアローズはわくわくした気分で揚げジャガを持ってベンチへと腰かけた。
周囲には、同じようにベンチに腰掛けくつろいでいる人たちがいる。
親子、友人、カップル……自分たちもあんな風に見えているのだろうか。
そう考え、メリアローズは少々不思議な気分になった。
「食べないんですか?」
「えっ!? た、食べるわよ……!」
はっと思考を現実に戻し、メリアローズは手の中の揚げジャガを見つめた。
そして、首をかしげる。
「これは、どうやって食べるのかしら」
「……そうか。メリアローズさんは初めてなんでしたっけ」
ウィレムがちょいちょいとメリアローズの肩をつつき、噴水の淵に座っている子供の方を指示した。
母親に揚げジャガを買ってもらった子供が……嬉しそうにぱくりと食らいついている。
なるほど、ナイフもフォークもないので不思議だったが、メリアローズはやっと揚げジャガの食べ方を理解した。
おそるおそる揚げジャガに視線を落とし、そして……一気にぱくりと食らいつく!
「熱っ!」
「大丈夫ですか!?」
くらいついた揚げジャガは、思ったよりも熱かった。
それでも……
「おいしい……」
普段メリアローズが食べているような味とは違う。だが、美味しいのは確かだ。
なるほど、あの店が繁盛している理由を、メリアローズは身をもって思い知らされた。
一度食べると止まらなくなり、メリアローズはぱくぱくと揚げジャガにくらいついていく。
そんな中ふと視線を感じた。
「……あなたは食べないの?」
「えっ!? 食べます!」
何故かウィレムは、手元の揚げジャガを放置したままメリアローズの方をじっと見つめていたのだ。
悪役令嬢として名を馳せるメリアローズが揚げジャガを食べるのが、珍しかったのだろうか。
――そんなに、私が揚げジャガを頬張るのは変だったかしら……。
メリアローズは少々恥ずかしくなった。
だが、相手がウィレムなら学園で言いふらすような真似はしないのだろう。
今日は、悪役令嬢は休業だ。ゆっくり街娘のデートを楽しまなければならないのだ。
「……少し、聞いてもいいですか」
メリアローズが揚げジャガの美味しさに感動していると、ふと横から呟くような声が聞こえてきた。
視線を向けると、ウィレムはどこか真剣な顔つきでメリアローズを見つめていた。
その真摯な翡翠の瞳に射抜かれて、思わず鼓動が跳ねる。
ウィレムはメリアローズの返答を待たずに、ゆっくりと口を開く。
「どうして、急にデートなんて言い出したんですか」
……聞かれないと、思っていたわけじゃない。
もし立場が逆なら、間違いなくメリアローズも同じことを聞いていただろう。
「しかも誰でもいいなんて……変な奴が相手だったらどうするつもりだったんですか」
「それは……」
正直に言うと、あの時のメリアローズはそこまで深くは考えていなかった。
ただ頭に血がのぼって、バートラムをぎゃふんと言わせたい、その一心だったのだ。
今思えばかなり危ない状況だったのかもしれない。相手によっては、マクスウェル公爵家の醜聞の種ともなりかねなかったのだ。
ウィレムがデート相手を引き受けてくれて、本当によかったと、メリアローズは今更ながらに安堵した。
しかし、メリアローズは迷っていた。
デートを決意した経緯を話せば、当然バートラムとジュリアの間のことにも触れなければならない。
先日のバートラムとジュリアの件を、簡単に話してもいいものなのだろうか。
「……何か困っているのなら、話してみてください。俺でよければ力になりますから」
ふと。ウィレムの声色が変わった。
顔を上げると、どこか心配そうな表情で、彼はじっとメリアローズのことを見ていたのだ。
その様子に……ふっと体の力が抜けるような気がした。
「そうね……」
彼は、メリアローズと同じ「王子の恋を応援したい隊」の仲間だ。
今後の方針を練るためにも、いずれは彼にもリネットにも事情は話さなくてはならなかっただろう。
バートラムもそのようなことを言っていた。
だったら……今話してみてもいいのかもしれない。
きゅっと揚げジャガを手で包むようにして、メリアローズはそっと口を開いた。
◇◇◇
「……バートラムの奴、やりやがったな」
あらかた事情を話し終えると、ウィレムは呆れたように額を押さえていた。
今まで必死に王子とジュリアの仲を取り持とうとしていた彼からすれば、きっとバートラムを殴り飛ばしたいような気持になっていることだろう。
「私……冷血かしら」
「気にしてるんですか。あいつが言ったこと」
「…………少しはね」
メリアローズはメリアローズなりに、王子とジュリアの幸せを願っていた。二人の想いに寄り添っていたつもりだった。
だが、バートラムから見ればメリアローズは冷たい人間のように見えていたというのだ。
「あいつも、たぶんその場にいたメリアローズさんに当たってしまっただけで、本当にそう思っていたわけじゃないと思います」
「でも……」
「それに、俺は……あなたを冷血だとは思わない」
ウィレムははっきりとそう口にした。
その言葉に、メリアローズの胸は熱くなる。
「あなたはいつも一生懸命だった。バートラムだってそれはわかってるはずです。……メリアローズさん」
メリアローズは黙ったまま、ウィレムの言葉の続きを待つ。
「どうして、この計画に乗ろうと思ったんですか」
……そういえば、ウィレム達実行部隊の間で、そのことについて話したことはなかったのかもしれない。
彼らのことをよく知っているつもりになっていたが、本当は何も知らなかったのかもしれない。
「そうね。私は……色々理由はあるけれど、やっぱり……」
――悪役令嬢を演じてみたい。
――王子の婚約者となれば求婚相手から解放される。
色々理由はあるが、一番は……
「やっぱり、王子の恋を、応援してみたかったからかしら」
そう言うと、ウィレムは意外そうに目を丸くした。
「ユリシーズ様って、昔からよくわからない御方なのよ。そんな人が田舎の娘に恋をしたって聞いて……羨ましくなったの」
「羨ましい?」
「あっ、ジュリアじゃなくて、ユリシーズ様がね。バートラムに言われた通り、私って、今まで誰かを好きになったりするようなことがなかったから」
だから、「恋に落ちる」ということ自体が羨ましく、純粋に王子の恋を応援してみたいと思った。
元々の理由は、それだったのだ。
「だって素敵じゃない。物語の中みたいな、身分違いの恋なんて」
二人が結ばれる道筋に、少しでもメリアローズの存在が影響するならば誇らしいことだ。
そう思ったからこそ、わざわざ悪役令嬢役なんてものを引き受けたのだ。
「でも……これでいいのかどうか、迷うこともあるのよ。恋を知らない私が、人の恋を応援することなんてできるのかしら、なんてね。だから……デートでもすれば、少しはわかるかと思ったんだけど……」
どこか迷走しているような気がしてならないのだ。
本当に、このままで大丈夫なのか。気がつけば不安が押し寄せてくるようだった。
ウィレムは、そんなメリアローズを元気づけるようにそっと口を開いた。
「……あなたは、あなたの優しさは……いつかきっと王子とジュリアに伝わります。少なくとも、俺やバートラムなんかよりは、ずっと二人のことを想ってるんだから」
思わぬ言葉に振り向くと、ウィレムはどこか自嘲するような表情で、じっと通りを歩く人たちを眺めているようだった。
「俺は、あなたのように二人のためを思ってこの計画に参加したんじゃない。ただの打算だったんです」
そうして、メリアローズは初めて、彼がこの計画に参加する理由を知るのだった。




