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2 公爵令嬢、悪役令嬢へと転身する

 事の始まりは、ユリシーズ王子の学園入学の半年ほど前にさかのぼる……



 ――王都、マクスウェル公爵邸の一室にて――



「というわけで、あなたに悪役令嬢役をお願いしたい」

「…………はい?」


 人目を忍ぶようにしてやってきた大臣の切り出した言葉に、メリアローズはアメジストのような大きな瞳をぱちくりと瞬かせた。

 はて、悪役令嬢とはなんだろう。

 メリアローズが知らないうちに、王宮ではそのような役職が創設されたのだろうか。

 ちらりと傍らの父であるマクスウェル公爵に視線をやると、彼も困惑したように眉を寄せていた。どうやら国の重鎮である父であっても「悪役令嬢役」なる役目は聞き及んでいないようだ。


 悪役。令嬢。

 それぞれの言葉の意味は分かるが、メリアローズにはなぜ大臣がその悪役令嬢とやらの役目を自分に依頼しに来たのか、まったく理解ができなかった。

 はて、自分は何か悪役などと言われるような悪行を働いた覚えはないのだが……。


「……失礼、ミルフォード候。順を追ってお話しいただけないだろうか」


 理解が及ばないのは父も同じだったのだろう。

 大臣に説明を求めると、彼ははっとしたように手を叩いた。


 そして、大臣はつらつらと話し始めたのである。



 ここクロディール王国の第一王子ユリシーズは、見目麗しく、聡明で、心優しいどこから見ても非の打ちどころのない王子である。

 城に仕える家臣たちは皆王子を慕い、特に小さなころから王子の成長を見守っていた者にとっては、目に入れても痛くないほどの愛すべき国の象徴であった。


 そんな王子が、恋をした。


 お忍びで辺境の視察に行っていたところ、王子は偶然一人の地方貴族の娘を悪漢から救ったのであった。

 年頃の王子と娘はすぐに恋に落ちた。

 だが、相手は王子とは逆立ちしても釣り合わない弱小貴族の娘。

 王子は娘に泣く泣く別れを告げ、今も叶わない恋に苦しんでいるという……。


 ちなみに、これらの話はこっそりと王子の後をつけていた、過保護な兵士長から大臣の耳にはいったものである。王子は田舎娘と結婚したいなどと我儘を言いだすこともなく、いつもどおり完璧な王子スマイルを振りまいているとかいないとか……。

 まさか王子のお忍びの後をこっそりつけていました、とも言い出せず、家臣たちは苦悩した。

 そして、王子の恋を成就させようと秘かに燃え上がった。


「これがある程度の家柄……例えばメリアローズ嬢でしたらそれとなく縁談を持ち出すこともできるのですが、相手が吹けば飛ぶような小貴族となると……」

「不自然だな」

「不自然ですわね」


 一国の王子の縁談に、ほとんど平民と変わらないような小貴族の娘を持ち出すことなど不自然極まりない。

 家臣たちは、どのようにして王子と娘を結ばせようか苦心しているとのことだった。


「だが、ここに来て一筋の光明が見えたのです。来年の春、王子は王立ロジーナ学園に入学し、件の娘も特待生として学園にやってくるように仕向けました……! そこで我々はなんとか王子と娘の恋を実らせようと、『王子の恋を応援したい隊』を結成したのです!」

「馬鹿馬鹿しい……」

「なにをおっしゃるマクスウェル公! これは国の未来に関わる一大事ですぞ!? 王子の幸せこそ我々全国民の幸せ!!」


 熱弁を振るう大臣に、父は呆れたようなため息を隠そうともしていない。

 だが、メリアローズの心は浮きたっていた。

 あの、完璧すぎて若干不気味にすら思っていた王子に、そんな秘密があったとは!


「そこで王子と娘の恋を大炎上する勢いで燃えがらせて、身分差など吹き飛ばすほどの愛をはぐくんで欲しいのです。そのためにはメリアローズ嬢、貴女のご協力が不可欠なのです……!」

「あら、わたくしですか?」

「えぇ、詳細はこちらをご覧ください」


 そう言うと、大臣は傍らに控えていた従者に重い荷物を持ってこさせていた。

 従者がうやうやしく荷物の中身を豪奢なテーブルの上に乗せていく。

 それは……どうみても若者、それも女性向けの何冊もの本だった。

 表紙には見目麗しい男女のイラストがでかでかと載せられている。

 どうみても、一国の大臣が嬉々として目を通すようなものではなさそうだが……。


「あの……これは?」

「『悪役令嬢』については、それらの書物がすべてを物語っております。本日はこの辺りで失礼いたしましょう。……レディ・メリアローズ、よい返事を期待しておりますぞ」


 どうやら詳細はこれらの本を読め、ということらしい。

 大臣はそれだけ言うと、どこかウキウキした様子で公爵邸を後にしたのだった。


「まったく、王宮の奴らは他にやることはないのか……。メリアローズ、お前も真剣に取り合うことはないのだぞ」

「そうですね……。ですが、まずは頂いた書物に目を通さなければ」


 呆れたようにそう零した父に、メリアローズはにっこりと笑ってみせる。

 そして、すぐに使用人を呼び山のように積みあがった本を自室へと運ばせたのだった。


 そしてメリアローズは、部屋に閉じこもった。

 朝も昼も夜も、大臣に貰った書物を夢中読みふけった。


 一週間後、メリアローズは完璧に悪役令嬢を理解した。




「えぇ、このお役目、お引き受けいたします」


 やってきた大臣にそう告げると、彼はぱっと表情を輝かせる。

 こうして、メリアローズは「王子の恋を応援したい隊」の一員に組み込まれ、その実働部隊として完璧な悪役令嬢を演じることになったのであった……。



 ◇◇◇



「えぇっ!? それで引き受けられたんですか!!?」

「そうよ、だっておもしろそうだったもの」

「いやいや……よく考えてくださいお嬢様。悪役令嬢ですよ?」


 メリアローズ付きの侍女、シンシアは大事な大事なお嬢様が「悪役令嬢」などという、得体のしれない役目を引き受けてしまったことに仰天した。

 まったく、あの狸親父だいじんは、どんな手を使ってこのちょっと天然気味なお嬢様を、その気にさせてくれやがったのか……。


「ほら、よく見てください! 悪役令嬢って、だいたいは悲惨な末路を辿るんですよ! これは追放、これはハゲデブ親父と結婚させられる、これは……断頭台! こっちなんて売春宿に売られてますよ!? まったく汚らわしい……」


 悪役令嬢とは、物語の中でヒロインとヒーローの中を引き裂こうとするする性悪な悪女のことである。

 当然、物語の中でカタルシスを得るために、多くの場合悪役令嬢は悲惨な最後を迎えることとなっている。

 一体なぜそんな役目を引き受けてしまったのか、シンシアには到底理解できなかった。


「でも、大臣からの依頼よ? きっとそこまで大変なことにはならないわ」

「どうですかね……」


 シンシアの心配などどこ吹く風で、メリアローズは目を輝かせて悪役令嬢の登場する本を読みふけっている。

 どうやらこれらの物語を随分と気に入ってしまったようだ。

 気に入るだけなら結構だが、まさか悪役令嬢をやりたいなどと言い出すとは。シンシアは今後の苦労を思って大きくため息をついた。


「それにしても、こんなに愛らしいお嬢様を捕まえて悪役令嬢だなんて、失礼すぎますよ!」

「王子と同じ時期に学園に入学する生徒の中で、一番悪役令嬢っぽかったのが私なんですって。光栄ね」

「全然光栄じゃないですから! 不名誉ですよ!!」


 つい大声を出すと、メリアローズはきょとん、とした表情でシンシアを振り返った。

 そのあどけない表情からは、とても「悪役令嬢役」などというものが務まるとは思えなかった。


 大輪の薔薇のように美しい娘に成長するように、と名付けられたメリアローズは、その大層な名に負けないほどに美しく成長を遂げた。

 豊かに波打つ艶やかな紅茶色の髪に、紫水晶の如き澄んだ瞳。

 幼い頃からどこに出しても恥ずかしくないように、と躾けられたメリアローズは、教養もマナーも礼儀作法もどんとこいだ。

 王子が完璧な王子なら、メリアローズは完璧な令嬢といってもよいだろう。

 あくまで、外向きは……


「ねぇチャミ、私、悪役令嬢になるんだって~」


 愛猫を抱っこして嬉しそうにごろごろとベッドを転がるその姿は、とてもじゃないが完璧な令嬢とは程遠かった。

 メリアローズは社交の場でなら完璧な令嬢をこなすことができる。

 だが、プライベートではちょっと間の抜けた天然お嬢様なのである。シンシアは再び大きくため息をついた。


「そうだ! 明日から特訓しないと!!」

「特訓って、なんの……」

「そんなの、悪役令嬢に決まってるじゃない!!」


 嬉しそうにはしゃぐ主人に、シンシアはもう何も言えなかった。

 メリアローズの決意は固い。こうなったら、万が一失敗しないようにメリアローズを立派な悪役令嬢に育てなければならない。

 シンシアはさっそく明日からのレッスンメニューを頭の中で組み立て始めた。


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― 新着の感想 ―
[一言] え、うわぁ……。 最低じゃん……。え、婚約者になって、2人の仲を引き裂くような真似をして、婚約破棄しろと。うわぁ……。 いくらなんでも失礼じゃね?公爵令嬢にそんなことを? 目に入れても痛くな…
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