18 悪役令嬢、自暴自棄になる
メリアローズは幼い頃から、十分すぎるほどに己の立場を理解していた。
自分は誇り高き公爵家の娘なのだから、それに見合う振る舞いを心掛けなければいけない、と。
その為に、我慢することも多かった。
周りの者は何一つ不自由のない令嬢だとメリアローズのことを思っていただろうが、メリアローズにはメリアローズなりの苦労があったのだ。
市井の子のように、朝から晩まで遊びまわったり、服が汚れるのも気にせず走り回ったりすることもできなかった。
メリアローズが怪我をしたとなれば、一緒にいた使用人が責を負うことになる。
そう理解していたからこそ、メリアローズはいつも節度ある態度を守り、おしとやかな令嬢としてやりすぎないように気を付けていたのである。
当然、恋愛関係についてもそうだった。
メリアローズとて、他の女の子と同じように恋物語は嗜んだ。いつか自分を迎えに来てくれる相手を夢想したこともある。
だが、それはあくまでも想像の中の話。
物語の中の登場人物のように、現実はうまくはできていないということも理解していた。
自分はマクスウェル公爵家の令嬢として、家柄とつり合い、マクスウェル家に利をもたらす相手と結婚することになるのだと、幼い頃からそう思っていた。
それはユリシーズか、国内の貴族の御曹司か、それとも他国の王侯貴族か……。
きっと誰が相手でも、メリアローズが文句を言うことはなかっただろう。
マクスウェル公爵家の娘として生まれた時から、そのような運命を背負っていると、メリアローズはわかっていたのだ。
だから、どこか自分に制限を課していたのかもしれない。
叶わない恋に身を焦がしても、辛いだけ。
無意識にそう信じ込み、むやみやたらに恋愛感情を抱かないようにと、自身を律していたのかもしれない。
いつのまにか自身に求愛する貴公子を見ても、どこか冷めた視点で見るようになってしまった。
そう、メリアローズは今まで、「恋」という感情を身をもって知ることはなかったのだ。
それを、バートラムに見透かされた。
「な、にが……言いたいのよ」
「やっぱりな。だろうと思ったぜ」
バートラムはどこか嘲るような薄暗い笑みを浮かべて、メリアローズを射抜いた。
その視線が少し怖くて、思わずメリアローズは俯いてしまう。
バートラムは小さく笑うと、そっとメリアローズの華奢な肩に触れる。その途端、メリアローズの体がびくりと跳ねた。
「お前は、誰かを好きになったことがない。だから、ジュリアや王子の気持ちなんてわからないだろ」
「それが何の関係があるのよ!」
「人間の心なんてそんな簡単にコントロールできるものじゃない。もっと早く気付くべきだったんだ」
バートラムがぐしゃりと無造作に前髪をかき上げる。
その仕草と彼らしくない自棄になったような表情に、メリアローズの心は揺らめいた。
「……昨日、ジュリアは俺を好きだといった」
「…………どうして」
「そりゃあ、俺がいつも甘いこと言って近づいてたからな。我ながら罪作りな男だよな」
バートラムの自嘲するような声に顔を上げると、彼はどこか辛そうな顔をしていた。
その表情で、メリアローズは気がついてしまった。
「まさか、あなたもジュリアのことを……」
「だったら、どうする?」
それは、ほぼ肯定の返答だと言ってよかった。
ジュリアはバートラムを好きになり、バートラムもまた、ジュリアに惹かれてしまった……?
「だ、駄目よ! 落ち着きなさい、バートラム・メイヤール!」
「お前が落ち着けよ」
「うるさい! あなた、よく考えて! 相手は王子、この国の王族なのよ!? そしてジュリアは、王子のものなの!!」
これは大臣がメリアローズ達に持ち掛けた計画。国の中枢部にも、この計画に関わっている者が多数存在することは想像に難くない。
なのに、その依頼を反故にすれば……
「王子のものになるはずだった令嬢を横取りなんて……国への反逆だと思われてもおかしくないのよ! 今すぐに取り消して!!」
「王子の『もの』ね……。なるほど、さすがは公爵家のご令嬢。物わかりの良いことで」
「ふざけないで! 自身の立場をわきまえなさい、バートラム・メイヤール!!」
自分たちは王に使える貴族の一員なのだ。
バートラムがユリシーズからジュリアを奪うなど、許されるはずがないではないか。
バートラムはじっとメリアローズを見つめる。メリアローズも視線を反らしたくなるのをこらえて、ぐっと睨み返す。
すると彼は、ふっと笑った。
「……お前ならそう言うと思ったよ」
「バートラム……」
「安心しろ。ジュリアの告白は……断った。最低だよな。あんなに思わせぶりな態度取っといてさ。あいつ、泣いてたんだぜ……」
「あの、ジュリアが……」
今朝挨拶を交わしたジュリアは、少しおとなしかったような気はするが、それでもいつものジュリアのように見えた。
だが、それは演技にしか過ぎなかったのだろう。
彼女は、あの時も今も……きっと悲しみを抱えたままのはずだ。
「俺だってわかってるさ。ジュリアは王子のもので、俺たちは二人をくっつけるためにここにいる。だから、お前やウィレムやリネットを巻き込むようなことはしない」
「バートラム……」
「でもな、メリアローズ」
バートラムは顔を上げると、ぐっとメリアローズに顔を近づけてくる。
いきなりのことで、メリアローズは固まってしまう。
まるで恋人に囁くような声色で、バートラムはゆっくりと口を開いた。
「人間の心はそんな、計画なんかで動くほど単純にはできてないんだよ。冷血な公爵令嬢様にはわからないかもしれないけどな」
「なっ……!」
「お前は、心から誰かを好きになったことなんてないんだろ。だからわかんねーんだよ」
それは、明らかに馬鹿にしたような口調だった。
メリアローズは悔しさに唇を噛む。
バートラムはそのままメリアローズから離れると、教室の出入り口に向かって歩き出した。
「今後のことは、また四人で相談して決めようぜ。……それと、メリアローズ」
教室を出る間際にバートラムは振り返り、そして告げた。
「お前は、それでいいのか?」
メリアローズが何も答えられないでいるうちに、バートラムの足音が遠ざかっていく。
そして、すぐにその場は静寂に包まれた。
メリアローズはただ、ぎゅっと拳を握り唇を噛んでいた。
自分は、間違ったことはしていない。
王子がジュリアを見初めた時点で、ジュリアは王子のものになったのも同然なのだ。
だから、いくら二人が惹かれあっていようとも、バートラムがジュリアを王子から奪い取るなど許されるはずがない。
間違っていない、はずなのに。
『お前は、誰かを好きになったことがない。だから、ジュリアや王子の気持ちなんてわからないだろ』
『人間の心はそんな、計画なんかで動くほど単純にはできてないんだよ。冷血な公爵令嬢様にはわからないかもしれないけどな』
『お前は、それでいいのか?』
先ほどのバートラムの言葉が、耳にこびりついて離れない。
メリアローズも認めざるを得なかった。
そこまでその言葉にショックを受けるのは……バートラムの言葉が、まぎれもなく図星だったからだ。
大臣が持ってきた恋愛小説をたくさん読んだ。
だから、王子の気持ちもジュリアの気持ちも分かったような気になっていた。
だが……確かにメリアローズは、ジュリアの想いを読み間違えていたのだ。
「……このままじゃ、いけないわ」
――計画を成功させたい。
――悔しい。
――王子とジュリアを結ばせたい。
――私は冷血なんかじゃない。
様々な思いがぐるぐると頭を駆け巡り、思考が沸騰しそうになる。
こう見えて、メリアローズは負けず嫌いな性分であった。
だから、バートラムに馬鹿にされ、確かに傷ついたというのもあったのかもしれない。
「……恋を、しなきゃ」
メリアローズは王子の婚約者(内定)である。
だが、だからなんだというのだ。王子はメリアローズという者がありながらジュリアにうつつを抜かしているではないか。
だったら、メリアローズが同じようなことをしても問題がないはずだ。
自暴自棄になったメリアローズは、そのまま勢いよく教室の扉を開け廊下へと飛び出した。
悔しい。
恋をしたことがないという、たったそれだけことで、バートラムに馬鹿にされるなんて。
それに、計画を成功させるためにも、もっと王子とジュリアの想いに寄り添わなければならない。
だから、メリアローズは「恋」を知らなければならないのだ。
「誰でもいいわ。誰でも……」
もうこの際相手は問わない。
とにかく、恋愛小説の中のような燃え上がる恋を身に持って体験し、バートラムの鼻を明かしてやるのだ……!
そう燃え上がった時、廊下の向こうから見覚えのある姿が近づいてきたのに、メリアローズは気がついた。
「あ、メリアローズさん。一人なんて珍しいですね」
能天気にそう話しかけてきたのは、王子の取り巻きでメリアローズの同士の一人――ウィレムであった。
これはちょうどいい。メリアローズはつかつかとウィレムに歩み寄る。
そして、強くその肩を掴んだ。
「ちょうどいいところに来たわ。あなた、私とデートする男を一人用意しなさい」
一思いにそう告げると、ウィレムは訳が分からない、といった顔をしていた。
だが数秒後、やっと意味を理解したのか……彼は学園中に響きそうな素っ頓狂な声を上げた。
「えっ?…………ええええぇぇぇぇ!!??」




