17 悪役令嬢、当て馬を問い詰める
「あの、メリアローズ様。少し顔色が優れないようですが……」
翌朝、恐る恐るといった様子のリネットにそう声をかけられ、メリアローズは力なく頷いた。
『私が好きなのは……バートラム様、あなたなんです!!』
昨日聞いたジュリアの声が、今もまだ耳に残っている。
結局あの後逃げるようにして屋敷に戻り、昨夜はジュリアとバートラムのことを考えていたら、ほとんど眠れなかったのだ。
その心労が顔に出ているということは、散々侍女のシンシアやメイドたちにも心配された。
なんとか公爵家選りすぐりのメイドたちの化粧技術で取り繕うことはできたが、この聡い筆頭取り巻きの目は誤魔化せなかったようだ。
「いえ……おもしろい本を手に入れて、ついつい夢中で読みふけってしまったのよ」
「あら、珍しいですね」
「リネット。私が夢中で本を読むのが珍しいと?」
「いっ、いえ! そんなつもりでは……」
「ふふっ、冗談よ。でも恥ずかしいからこのことは黙っていて頂戴」
「えぇ、もちろんです!」
リネットの朗らかな笑顔を見ていると、どうしても胸がちくりと痛む。
よっぽど彼女には事情を話そうかとも思ったが、メリアローズはまず当て馬に直接ぶつかることにしたのである。
リネットやウィレムに相談するのはその後でも遅くはないだろう。
遅くはない……と思いたい。
まったく、あの当て馬はいったい何を考えているのかしら……。
流れるように取り巻きたちに挨拶をしながら、メリアローズは寝不足で重い頭を振った。
メリアローズ達「王子の恋を応援したい隊」の一番の目的は、王子とジュリアをうまくくっつけることである。
元々二人は惹かれあう者同士。うまく外堀を埋めてやれば、簡単にくっつくはずだったのだ。
メリアローズとバートラムは、あくまで二人の恋を燃え上がらせるスパイスであり、本当の意味で二人の恋路を邪魔するようなことがあってはいけないというのに。
だから、本当にジュリアがバートラムに心変わりをしてしまったというのなら……それこそ本末転倒ではないか。
メリアローズは周囲に悟られないように、内心で歯ぎしりした。
今はとにかく、あの馬鹿当て馬をとっちめてやらなければならない。
バートラム一人の失敗では終わらないのだ。王子とジュリアの恋がうまくいかなかった場合は、連帯責任でメリアローズ達にも咎が及ぶ可能性もある。
なんとかバートラムの尻を叩き、軌道修正を施さねばならないのだ。
そう考えた時、前方から見覚えのある人物が歩いてくるのに気がついて、メリアローズははっと息をのんだ。
どこか意気消沈したような様子で廊下を近づいてくるのは……メリアローズの頭の中を占めている者の片割れ、ジュリアだったのである。
「おはようございます、メリアローズ様」
ジュリアはメリアローズに近づくと、取り巻きたちの視線にもおののくことなくいつも通りににっこり笑って声をかけてくれる。
その顔を見ているといつものように嫌味を言う気にもなれずに、メリアローズは静かに挨拶を返した。
「……おはよう、ジュリア」
「メリアローズ様、どこか具合が……」
「余計なお世話よ。精々あなたは落第しないように自分のことだけ考えてなさい」
なんだかジュリアの顔を見ていられなくて、俯き気味にそう返すと、ジュリアはきょとん、と目を丸くした。
……そういえば、今日はユリシーズは傍にいないようだ。
なんだかその事実すら腹立たしくなり、メリアローズはきっと顔を上げた。
「……ユリシーズ様は、一緒ではないのね」
「え? あ、はい……。でもユリシーズ様もメリアローズ様のそんなお顔を見たら、心配されるのでは――」
「それが余計なお世話だって言うのよ……」
……駄目だ。これ以上ジュリアと話しているとぼろが出そうになってしまう。
メリアローズは早々にその場を後にすることにした。
先ほど会ったジュリアは、メリアローズには普段と変わらないジュリアに見えた。
昨日のあの後バートラムとの間にどんなやりとりがあったのか、メリアローズは知らない。
それでも今のジュリアの態度を見ると、まるで、昨日の出来事が嘘のようだった。
……嘘だったら、いいのに。
ジュリアが王子から心変わりし、当て馬役のはずのバートラムを好きになった。
どうか夢であって欲しいと、昨日から何度もメリアローズはそう願っていた。
きっと真相は、バートラムと話せばすぐにわかるだろう。
それまでの我慢、とメリアローズはこっそりと痛むこめかみを抑えたのだった。
◇◇◇
そして放課後、取り巻きの一人を使いメリアローズはバートラムを学園内のとある一室に呼び出した。
「なんだ、お前からの緊急招集なんて珍しいな。ウィレムとリネットはまだ来てないのか?」
まるで何事もなかったかのように、バートラムはやってきた。
だが、彼もメリアローズの雰囲気を見て何かを察したのだろう。すぐに無駄口を叩くのをやめ、真剣な表情でメリアローズに向き直る。
「……今日呼んだのは、あなただけよ」
「嬉しいねぇ、学園の女王様直々にご指名とは。……で、用件は」
口調は軽いが、バートラムの警戒するようなぴりぴりとした雰囲気にメリアローズは気がついた。
しり込みしそうになるのをなんとかこらえ、大きく息を吸い……メリアローズはおもむろに口を開いた。
「昨日の放課後……あなたとジュリアが一緒にいるところを見たわ」
たったそれだけの言葉でも、バートラムが状況を理解するには十分だったのだろう。
彼の海のように深い蒼の瞳が大きく見開かれ、そして、すぐにどこか悲し気に伏せられたのだ。
「なるほどな。逃げてったのはあんただったのか」
「それで、どういうつもりなの」
腹の探り合いは貴族の得意技だ。
だが、今はそうしている時間も惜しい。
メリアローズは直球に、バートラムにそう問いかけた。
「ジュリアが、あなたのことを好きだと言ったのを聞いたわ」
「栄えあるマクスウェル公爵家のご令嬢が、盗み聞きとは趣味が悪いな」
「ふざけないで。あなたどういうつもりなのよ!」
初めて会った時から、メリアローズはバートラムのことを買っていた。
不安に思うことがないわけではなかったが、彼ならばきっと立派に当て馬役を務めてくれる。そう信じていたのだ。
だからこそ、この事態がショックだったのである。
「私たちの目的はなに? ユリシーズ様とジュリアを結ばせることでしょう! それなのに……」
「なぁ、メリアローズ」
言葉の途中で、バートラムは珍しく真剣味の籠った声でメリアローズに呼びかけてくる。
メリアローズはその気迫に押され、思わず言葉をつぐんでしまった。
「お前も初めてこの作戦の話を聞いた時、馬鹿馬鹿しいって思っただろ」
「だからって……」
「そうだよ。最初からおかしかったんだ。王子やジュリアの……人の心をコントロールするなんて無理があったんだよ」
「何を、言ってるの……」
目の前にいるのは、本当にバートラムなのだろうか。メリアローズはそう思わずにはいられなかった。
いつも軽薄な笑みを浮かべ、浮名を流し、女生徒たちの視線を引き寄せる貴公子……。
そんな普段の彼と、今の思いつめたようなバートラムは、あまりにも違いすぎたのだ。
「いくら馬鹿馬鹿しくても、それが私たちの役目。私たちの使命なのよ! 私たちの働きに、国の未来が――」
「メリアローズ」
バートラムが一歩近づいてくる。
メリアローズはそれに気圧されて、一歩身を引いた。
「お前、本気で誰かを好きになったことがあるか?」
バートラムはいつになく真剣な声色で、メリアローズにそう問うてきた。
メリアローズはその問いに答えられずに、押し黙ってしまう。
……答えることが、できなかったのだ。
そう、バートラムの察しているとおり……メリアローズは今まで誰かを本気で好きになったことなどなかったのだから。