144 つかの間の逢瀬
「……ねぇ、何かあったの?」
「えっ?」
傍らから心配そうに声をかけられて、ウィレムははっと意識を取り戻した。
声の方に視線をやれば、心配そうに眉を寄せるメリアローズと目が合ってしまう。
……やってしまった。
「いえ、大丈夫です」
「疲れてるんじゃない? 今日はもう――」
「いえ、全然大丈夫なんで!!」
戻りましょう、と立ち上がりかけたメリアローズを慌てて引き止め、ウィレムはそっとため息をついた。
王宮の庭園の一角、池のほとりに備え付けられたベンチにて。
メリアローズは「誰かに見られているかもしれない」ということを意識しているのか、心なしいつもよりもウィレムから距離を置いて腰掛けている。
少し開いてしまった二人の間の距離が、どこかもどかしい、
ウィレムとしては別に誰に見られてもかまわないし、むしろ見せつけてやりたいくらいなのだが、中々彼女はそうはいかないようだ。
「本当に、何でもないんです。少し考えことを」
今日の真夜中に、ウィレムはジェフリーとの決闘を控えている。
メリアローズに話そうかとも思ったが、無駄に彼女の負担を増やすようなことはしたくなかった。
「考え事って、何?」
少し不満そうにそう問いかけるメリアローズに、ウィレムは少しからかってやろうと笑って口を開いた。
「いえ、香水を変えたようなので、どこの銘柄なのかと」
「きっ、気づいてたの!!?」
途端にメリアローズは真っ赤な髪と同じくらいに赤面した。
その反応が可愛らしくて、ウィレムは二人の間の距離を少しだけ詰め、彼女の首元に鼻先を寄せた。
「気づきますよ。……誰よりも、好きな相手の変化なんだから」
「………………ばか」
メリアローズは耳の先まで真っ赤になって俯いたが、抵抗はしなかった。
「イーディスに教えてもらったの。あの子流行には驚くほど敏感なのよ。最近の若い女性の間で人気のブランドだって……って調子に乗りすぎよ!」
調子に乗って抱き寄せようとすると、ぺしりと軽く頭をはたかれてしまう。
どうやらこれ以上の接近はNGのようだ。
「だっ、誰が見てるかもわからないのにっ!」
「誰もいないじゃないですか」
「そんなのわからないわ。あの木の上とかに潜んでいるかもしれないじゃない!!」
そんな馬鹿な……と言いたかったが、あながちあり得ない話でもない。
特にジュリアあたりなら、こっそり木の上に潜んでいてもおかしくはない。
この間の一連の断罪劇を経て、メリアローズは随分と警戒心を持つようになった。
今までの無防備っぷりにはらはらしていたウィレムとしては喜ばしいことなのだが、こうして自分とのふれあいまで避けられるとなると、そうも言ってはいられない。
「……俺と一緒にいるところを見られるのが、そんなに嫌なんですか」
ふとした瞬間に、心に影が差す。
不釣り合い、不相応、さっさと身を退いた方がいい……。今まで何度となく、ウィレムにかけられた言葉だ。
それでも、メリアローズが自分のことを好きでいてくれるのならそれでいいと思っていた。
だが、メリアローズの好意は、一時の気の迷いなのかもしれない。
親友であるリネットが幼馴染である王子の婚約者になったことによって、心に空いてしまった穴を無意識に埋めようとしただけなのかもしれない。
別にその穴を埋める相手は、ウィレムでなくともよかったのかもしれない。
……そんな暗い考えが、頭をよぎってしまうのだ。
「ねぇ、メリアローズさ――」
「もう!」
だが次の瞬間、ウィレムの心を覆っていたドロドロとした感情は、こちらを振り返ったメリアローズの声によって霧散した。
「あなた、全然わかってないわ! 馬鹿メガネ!!」
「だからメガネはもうかけてませんって」
「そのネタももう飽きたのよ! 少しは新しい芸を……ってそうじゃなくて!!」
顔を薔薇色に染めたメリアローズはそこでいったん言葉を切ると、小さな声でおずおずと呟き始めた。
「ここで調子に乗って、また変な噂が立ったら困るでしょう? お父様やお兄様は嬉々として私たちを引き離そうとするでしょうし。だから……」
メリアローズの手がそっとこちらに延ばされる。
そして、彼女の細くしなやかな指先が、そっとウィレムの手に触れた。
「私、この先もずっと……あなたと一緒に居たいと思ってる。だから、今変なことで足を引っ張られるわけにはいかないのよ。……わかって頂戴」
そっと指と指を絡めるようにして、メリアローズは小さくそう告げる。
ウィレムは驚いた。一瞬夢ではないかと思ったが、指先に感じる確かな体温が、これが現実であると告げている。
メリアローズはただ単に恥ずかしがっていたわけでも、ウィレムを拒絶しようとしたわけでもなかった。
彼女は、これからの……二人の未来をしっかりと見据えている。
これからも共にいるために、今はあえて自制しようとしていただけなのだ。
ウィレムはつい三分ほど前の、情動に流されかけていた自分を恥じた。
まったく……いつも彼女には、驚かされてばかりだ。
「……そうですね」
「そうよ、そうなのよ! まったく、あなたももう一度メガネをかけてみれば、もっとまともに物事が見えるようになるんじゃないかしら!?」
「あれ、メリアローズさん意外とメガネフェチだったりするんですか?」
「――――!! そんなんじゃないんだから!!」
遂に羞恥心が限界に達したのか、メリアローズは涙目になってこちらを睨みつけてきた。
そんな表情すらたまらなく愛おしい。
「……メリアローズさん」
「何よ」
「好きですよ」
不意打ちの告白に、メリアローズは一瞬驚いたように目を見開いたのち……恥ずかしそうにぱっと顔を伏せた。
だが、ウィレムの耳には彼女の小さな呟きがしっかりと届いた。
「…………私も」
やっぱり手放したくない、手放せるわけがない。
ずっと一番傍で、彼女を守っていきたい。
ウィレムはあらためて決意を固めた。