16 悪役令嬢、見てはいけないものを見てしまう
そして翌日。
いつものようにジュリアに嫌味を言いながらユリシーズをかっさらい、メリアローズは一応昨夜のことを謝っておくことにした。
「申し訳ありませんでしたわ、ユリシーズ様。わたくし、どうしても行かなければならない用事がありまして……」
「気にすることはないよ、メリアローズ。誰だってそういう時はあるさ。それに、リネットが来てくれたおかげで退屈せずに済んだよ」
「それはよかったですわ」
ユリシーズはいつもと変わらず完璧な王子スマイルを浮かべている。
どうやらリネットはそつなく王子の相手をこなしてくれたようだ。
メリアローズはほっと安堵に胸をなでおろした。
さて、王子が問題ないようなら次はリネットの様子の確認だ。
リネットはいつも通り、しゃきしゃきと取り巻きたちを統率していたが、たまにどこかぼぉっとしているのにメリアローズは気がついた。
「ねぇ、大丈夫だった? 昨日」
「はっ、はい!」
二人になった時にメリアローズにこそりと問いかけられ、リネットは慌てたように背筋を伸ばした。
大丈夫だとは思っていたが、特に傷ついたりショックを受けているような様子もなく、メリアローズは安心する。
「まるで、夢のようでした……。ほんの少しの間だけでも、私が王子の隣に立てるなんて……」
リネットはどこか夢見るような表情で、うっとりとそう零したのだ。
そんなリネットの様子を見て、なるほど、そういえばあの王子は乙女の憧れなんだった、とメリアローズはやっとそのことを思い出したのである。
「それはよかったわ。そうね、これからも私が行けない時はあなたにお願いしようかしら」
「そんな、無理ですよ! やっぱり王子の隣にふさわしいのはメリアローズ様ですっ!」
「ちょっとリネット、私たち『王子の恋を応援したい隊』の最終目的は?」
「……ユリシーズ様と、ジュリアの恋を成就させること、です」
「そうよ。王子の隣に立つのは、私でなくジュリアなのよ」
一番の目的を思い出させるようにそう言い聞かせると、リネットは珍しく不服そうな顔を隠そうともしなかった。
「それでもやっぱり……王子の隣にふさわしいのはメリアローズ様だと思うんです」
「何言ってるのよ。王子が好きなのはジュリアなのよ?」
「それはわかりますけど……」
「まぁ、ジュリアも王子に正式に選ばれれば自覚が出てくるでしょう。王妃としての教育も受けさせられるだろうし……数年もすれば立派になるわ」
今のジュリアは原石だ。
多少荒い所もあるが、彼女は王子ユリシーズに見いだされた宝玉なのである。
きっと磨けば光るはずだ。
きちんと王妃としての教育を受ければ、きっとどんな宝石にも負けないほどに輝く、ダイヤモンドへと成長するであろう。
メリアローズはそんな日を楽しみにしていた。
「ふふっ、あの田舎娘が王妃なんて……笑っちゃうわ」
「メリアローズ様……」
「リネット。王子はあんな、何を考えてるのかわからない御方だけど……見る目は確かなはずよ。きっとジュリアは、素晴らしい王妃になるわ」
そうして、二人の身分の差を超えた恋物語は長く語り継がれていくことだろう。
……少しだけ、羨ましく思った。
「昨日は無理言って済まなかったわね。いつもありがとうリネット。感謝してるわ」
「メリアローズ様……!」
リネットは感激したように目を潤ませ、手で口を覆った。
その様子に、メリアローズはくすりと笑った。
リネットに話した通り、メリアローズは案外ジュリアのことを買っていたのである。
メリアローズの悪役令嬢っぷりにも中々怯まない胆力、愛用の銛で自ら魚を捕りにいくような逞しさ、周囲を味方につける魅力……一般的な令嬢とは少し異なるが、ジュリアは確かに他者にはないものを持っているのだ。
元々、メリアローズやユリシーズが幼い頃は、周囲は二人をいずれは結婚させようと目論んでいたようである。
その為、メリアローズは幼い頃からユリシーズに嫁いで王妃となっても恥ずかしくないように、との教育も受けていた。
だからこそ、わかるのだ。
ジュリアは、よい王妃になれると。
いつものような息抜きで、放課後の校内を一人散策しながら、メリアローズはそんな未来を想ってそっと微笑んだ。
その時だった。
「私、やっぱり……!」
どこか緊迫したような、ただならぬ雰囲気を思わせる声が聞こえ、メリアローズはそっと足を止める。
――これは、ジュリアの声だ。
「私、わかったんです!」
一体なんだろう、とメリアローズは気配を殺して声の方へと歩み寄る。
そして、物陰に隠れてそっと現場を覗き見た。
そこには、ジュリアとバートラムが向かい合っていたのだ。
「私、私が本当に好きなのは……」
おや、メリアローズがチャミの誕生日を祝っている間に、事態はかなり進行していたようである。
メリアローズはこのようなシーンを知っていた。
ヒーローとの苦難の恋に苦しむヒロインに、当て馬は真摯に愛を告白する。
愛を告げられたヒロインは悩み……そして、答えを出すのだ。
やはり自分が本当に愛しているのは、ヒーローただ一人であると……。
てっきりバートラムをジュリアにけしかけて王子の嫉妬をあおるものだと思っていたが、この様子だとジュリアの方が先に動きそうだ。
予想とは違うがこの展開でも問題ない。
ジュリアを愛しているユリシーズなら、ジュリアに迫られればころりといってしまうだろう。
さあ行け、ヒロインよ……。今こそ愛を叫ぶのだ!……とメリアローズはこっそり手に汗を握った。
ジュリアは珍しく緊張した面持ちで、何度も息を吸いながら切ない瞳でバートラムを見つめている。
そして、彼女は叫んだ。
「私が好きなのは……バートラム様、あなたなんです!!」
…………え?
思わずメリアローズの喉がひっと鳴ったが、ジュリアが草を踏みしめる音に掻き消されたようである。
「ジュリア、俺は……」
「わかってます、でも……好きなんです!」
ジュリアが、あの、メリアローズに何を言われても常にニコニコと笑みを絶やさないジュリアが、切なげな表情でバートラムを見つめている。
その真摯な表情から、これが演技ではないのはすぐにわかった。
「こんな風になるの、初めてで、もうどうしていいかわからないんです……!」
「ジュリア……」
ジュリアは泣いていた。
そんな彼女に、バートラムが一歩近づく。
そして、そっとその体を抱きしめたのだ。
――がさり、と
混乱したメリアローズが一歩足を引いた瞬間、足元の草が大きく音を立てた。
「っ、誰だ!?」
その途端、バートラムが弾かれたように顔を上げた。
とっさのことで混乱し、メリアローズは全速力でその場を走り去ろうと駆け出した。
『私が好きなのは……バートラム様、あなたなんです!!』
先ほどのジュリアの言葉が耳から離れない。
とにかく頭が混乱して、心臓が弾けそうなほどドキドキと鼓動を打っている。
そして誰もいない建物の片隅にまでたどり着くと、思わず膝を抱えて座り込んでしまった。
ジュリアは、バートラムを好きだといった。
あれが嘘や演技だったとは思えない。
王子と愛をはぐくむはずのジュリアは、その為に現れたはずの当て馬に心惹かれてしまったのだ……!
「……嘘よ」
その事実が信じられず、メリアローズはただ茫然とこれが夢であることを願いながら、その場に座り込んでいた。