137 時季外れの断罪イベント(10)
「あら嫌だ。そんな化け物を見るような目で見られたら、わたくし傷ついてしまいますわ」
妖艶な笑みを浮かべたメリアローズが、コツコツと靴音を鳴らしながら室内に足を踏み入れる。
「な、何故、ここに……」
「あなたに会いに来たのです。オーガスタス卿。……随分と、愉快なことをしてくださったようで」
思わず足を引きかけて、オーガスタスは何とか踏みとどまった。
そうだ、何を恐れることがあるのか。
メリアローズ・マクスウェルは着飾るしか能のない、ただ見目が美しいだけの小娘だ。
なのに……この威圧感は何だ!?
「何をそんなに驚いているのかしら。……あぁ、外のあなたの私兵なら、私の騎士が片付けさせていただきましたわ」
「なっ……!?」
オーガスタスは信じられない思いでメリアローズと、彼女の傍に控える騎士に目をやった。
いざという時の為に、オーガスタスは必ず数人の私兵を身の回りの配置するようにしている。
実力も経験も申し分ない、いざという時は手を汚すことも厭わな手練ればかりのはずだ。
それが、たった一人の若い男に片付けられただと……!?
「でもまさか、あなたが一連の出来事の黒幕だったなんてね。自分が踊るよりも他人が踊るのを見ている方が好き……でしたよね。どうでしたか? 私があなたの手の上で踊らされる様は」
「め、滅相もない……」
「あなたの目的は私とイーディスの対立構造を作り出し、イーディスが毒殺された時に私が犯人だと周囲に思わせることだった。例え裁判で私が無罪だと判決が下りても、人々の疑念の目は消えることがないでしょうしね。殺人者の烙印を押された娘を庇えば、宰相たるお父様の立場も危うくなる……」
心の中を見透かしたかのようなメリアローズの言葉に、オーガスタスは戦慄した。
オーガスタスはずっと、宰相であるマクスウェル公を疎ましく思っていた。
家柄も、才能も、何一つ彼には敵わない。彼が今の立場を捨てない限り、オーガスタスにこれ以上の出世は望めない。
だが、やっと彼の弱点を発見した。彼が溺愛する、娘のメリアローズの存在である。
そのメリアローズが、ふらふらと不用心にも宮廷に足を踏み入れたのだ。
これを利用しない手はなかった。
オーガスタスにとってのメリアローズ・マクスウェルは、ただの操りやすい駒の一人にすぎない。
見目はいいので、もし自分に縋ってくるようなことがあれば可愛がってやってもよい。その程度の存在だった。
それなのに……今は何故、駒である彼女に自分は追い詰められているのだろう。
「あと一歩でうまくいったのに……。残念でしたわね。わたくし、これでも怒ってるんですのよ?」
メリアローズは微笑んでいる。
だが彼女が纏うのは、底知れない怒気のオーラだった。
「物語の最後に、悪役はそれ相応の罰を受けるものです。……覚悟はよろしくって? オーガスタス卿」
「ひっ!」
にっこりと笑ったメリアローズに、オーガスタスは思わず悲鳴を上げてしまった。
今の彼女が纏うのは圧倒的な強者のオーラだ。
オーガスタスは必死に退路を見出そうと視線を動かすと、メリアローズの傍らの騎士が威嚇するように剣を鳴らした。
少しでもおかしな真似をすれば、この場で斬り捨てられるのは間違いないだろう。
「……いつから、気づいていたのですか」
オーガスタスが繰り手で、メリアローズはただの駒の一人のはずだった。
ただの小娘を利用することなど、オーガスタスに赤子の手をひねるよりたやすいことだ。
いや……そう思わされて、彼女に誘導されていたのかもしれない。
彼女は宰相の娘――能ある鷹は爪を隠す。自分は、彼女に欺かれていたのだ。
「さぁ? ご自分で考えてくださいな」
最後まで、メリアローズは手の内を明かすつもりはないようだ。
その姿がにっくき彼女の父を思わせて、オーガスタスは悔しさに唇を噛む。
「本当ならその後ろの窓から今すぐ飛んでください……と言いたいところだけれど」
「っ!?」
メリアローズの言葉に、オーガスタスの背筋に冷たいものが走った。
ここは塔の上階。窓から落ちたら……待ち受けているのは死のみだ。
だが、それもおかしなことではない。
政争に負けた敗者が命を落とすことは、宮廷ではありふれた光景なのだから。
「ねぇバートラム。そこの窓の下には何があったかしら」
「薔薇の迷路が広がってるな。今はちょうど、白の薔薇が見頃だったはずだ」
「あらあら……せっかく綺麗に咲いたお花が汚れてしまうのは忍びないわ。それとも、あなたの血で赤く染まった薔薇も素敵かしら。どう思います、オーガスタス卿?」
「ひっ!……と、とんでもない!」
「やっぱり、白の薔薇は白のままで素敵ですものね。……今の季節に感謝することね」
口元に笑みを浮かべたメリアローズが、ぞっとするような声色でそう囁く。
――もしも花が咲いてない季節なら、躊躇なくお前を窓から突き落としていた――
メリアローズの言葉の意味を正確に理解したオーガスタスは、だらだらと冷や汗をかく。
「私も、ユリシーズ様とリネットの進む道を血で濡らすような真似はしたくないの。だから……」
メリアローズはオーガスタスの眼下に指を突きつけると、思わず見惚れてしまうような、妖艶な笑みを浮かべた。
「今すぐにここを出て、二度と私たちの前に姿を現さないこと。それで手を打ってあげるわ」
メリアローズの言葉を補足するように、傍らの騎士が続ける。
「万が一お前の姿を目にするようなことがあれば、すぐにこの剣の錆となってもらう。お前の手の者が怪しい動きをした時も同様だ。二度と姿を現さないと誓えないのなら……今すぐにでも」
その言葉を裏付けるように、騎士は抜刀する。
月明かりが鈍く光る刃に反射し、オーガスタスは思わず悲鳴を上げて後ずさった。
「ち、誓う……!」
「なら早くしなさい。私、今夜はそんなに気が長い方じゃないの。もしかしたら、心変わりしてしまうかもしれないわ」
三人の若者は、勝者の余裕を漂わせてこちらを眺めている。
……負けた。
オーガスタスは、駒として利用していたはずの彼らに負けたのだ。
そう、観念せずにはいられなかった。