15 悪役令嬢、愛猫を溺愛する
「はぁ……」
いつものように作戦会議に向かう道すがら、メリアローズは小さくため息をついた。
今日は王子とジュリアが仲睦まじく会話を交わしている場面に出くわし、うっかりその場で放課後に王子との約束を取り付けてしまった。
しかし、メリアローズにはどうしても外せない用事があったのだ。
――メリアローズが愛してやまない、愛猫チャミの三歳の誕生日なのである。
他の用事ならいくらでもキャンセルが効くが、こればかりは無理だったのだ。
何としてでも愛くるしいチャミの誕生日を祝いたい。しかし、相手は王子、この国の王族なのである。
いくら学生同士の約束とはいえ、さすがにこっちから誘っておいてドタキャンというのはまずいだろう。
そこで、メリアローズは代打を頼むことにした。
「えぇっ!!? 無理ですよ!!」
「大丈夫! 王子はあなたのこともよく知ってるから!!」
自分の代わりに王子との約束に行ってくれ、と頼むと、リネットは珍しく慌てたように両手をぶんぶんと振っていた。
しかし、こんなことを頼めるのはリネットくらいしかいないのだ。
幸いなことにユリシーズは、メリアローズの筆頭取り巻きであるリネットのこともよく知っているはずだ。
「ただの演奏会だから座ってればそれでいいのよ」
「よくないですよ! 私とメリアローズ様では格が違いすぎます!! 私が王子の隣に座るなんて……」
「大丈夫大丈夫、あの王子ですもの。隣にいるのがジュリア以外なら、私でもあなたでもクマのぬいぐるみでもなんとも思わないわ」
「いやいや、全然違いますよ……!」
「平気よ。ねぇ、リネット……」
甘えるように目を瞬かせると、リネットがはっと息をのむ。
「チャミの三歳の誕生日は、今日だけなの。私が王子の元へ行けば、きっとチャミは傷つくわ……」
「メリアローズ様……」
「……わかって、くれるわね」
「…………はい」
リネットはメリアローズの真摯な気持ちに心打たれ、深く頷いた。
頷いて、しまったのだ。
……よし、言質は取った!
メリアローズは心の中でにやりと笑う。
そして、そのまま脱兎のごとく駆けだしたのだ。
「それじゃあよろしく!」
「あっ、ちょっと! メリアローズ様!!」
背後からリネットの呼び止めるような声が聞こえてきたが、メリアローズは気にせず全力疾走した。
もちろん、いきなりこんな相談を持ち掛けて、リネットには申し訳ないことをしたと思っている。
だが、愛猫の一大事には代えられなかったのである。
ユリシーズは優しく寛容な人物だ。それに、メリアローズに特別なこだわりがあるわけでもない。
先ほどリネットに告げた通り、彼ならばやって来たのがメリアローズであってもリネットであっても、それこそ気にすることはないだろう。
リネットに捕まらないように、かつ誰にも見つからないように廊下を全力疾走していると、ふと窓の下に見慣れた人影が見えた。
それと同時に、風に乗って小さな声が聞こえてくる。
「……だと、…………ですね」
「あぁ、それが……でさ……」
それはよく知った二人の声だった。
ちらりと気づかれないように覗くと、やはりそこにいたのは当て馬バートラムと、ジュリアの二人であったのだ。
そういえばメリアローズは、颯爽とジュリアの目の前からユリシーズを奪い去り、今夜の約束を取り付けたのであった。
バートラムはそのフォローに入っているのかもしれない。
「それじゃあ、また明日……」
「あぁ…………だ」
ふむ、バートラムは中々うまく働いているようだ。
今の二人の様子からは、惹かれあいかけている二人の微妙な距離感が、ひしひしと伝わってくる。
これならば、王子の嫉妬の炎も燃え上がるのかもしれない。
そう一人満足し、メリアローズは再び走り出した。
そしてメリアローズは、無事に愛猫チャミの誕生会に参加することができたのである。
今頃王子の相手をしているはずのリネットが気にかからないでもなかったが、やはり愛猫の誕生日という記念すべき時間には代えられない。
いつもより念入りにブラッシングをしてもらい、煌々と輝くシャンデリアに照らされるチャミは、まるで神話の世界から抜け出してきたような輝きを放っていた。
その神々しい姿に、メリアローズは感極まってしまったのだった。
「あぁ、あんなに小さかったチャミがこんなに大きくなって……」
「小さなチャミがお腹を壊した時は、メリアローズはもうこの世の終わりかと思うくらいに泣いていたね」
「もう、お兄様ったら!」
ほろりと涙したメリアローズに、兄がからかうような声をかけてくる。
メリアローズは少し恥ずかしくなりながら、元気に成長した愛猫を抱き上げた。
三年ほど前に他国へ赴いた父が、向こうの貴族に土産として頂き連れ帰ったのが、まだ生まれたてのチャミであった。
メリアローズはその愛らしい子猫に一目で夢中になり、以来家族の一員として、目に入れても痛くないほどに溺愛しているのだった。
ここに来た当初は体調を崩すことが多かったチャミも、今は元気に成長し、いつも元気にマクスウェル公爵邸を走り回っているのだ。
マクスウェル公爵家の末娘であるメリアローズにとって、チャミはかわいい妹のような存在であり、よき友人でもあった。
辛いことも多い悪役令嬢生活に耐えていけるのも、愛くるしいチャミの存在あってのことである。
チャミの誕生会は、身内だけのささやかなものだった。
まあ身内だけといっても、そこは国一番の貴族であるマクスウェル公爵家である。
きっと他者がこの誕生会を覗けば、いったいどこの王族のパーティーなのか!?……という程度には豪勢なものだった。
家族や使用人達から大量のごはんやおもちゃを貰ったチャミは、満足げにごろごろと喉を鳴らしている。
「それでは、チャミに……そして我が公爵家の未来に乾杯!」
「「乾杯!!」」
父であるマクスウェル公の合図で、メリアローズは両親や兄たちと機嫌よくグラスを合わせた。
最近は苦労の多いメリアローズもこの瞬間だけは、王子のこともジュリアのことも悪役令嬢のことも忘れ、ただただ愛しいチャミの健やかな成長を祝ったのである。
……だが、この平和な時間は、嵐の前の静けさに過ぎなかったのだ。