124 メリアローズ、不名誉な噂を立てられる(3)
ミルフォード侯爵の姿が見えた途端、オーガスタス卿はあからさまに慌てだした。
「では、今夜はこの辺りで……。健闘をお祈りしております」
「ちょ……」
引き止める間もなく、彼は素早い動きで人ごみに紛れてしまった。
――……彼も大臣が苦手なのかしら。まぁ、気持ちはわかるけど。
いついかなる時もハイテンションに王子愛を公言してはばからないミルフォード侯爵である。
彼の傍にいると疲れる。かなり疲れる。その気持ちはメリアローズにも痛いほどわかった。
「おやおやメリアローズ嬢。あなたのような方が壁の花とは、珍しいこともあるものですな!」
「声が大きい!!」
これでは無駄に悪目立ちしてしまうではないか。
メリアローズは近付いてきた大臣に、慌てて音量を下げるようにジェスチャーを送った。
「私は今大変な状況なんです! とにかく目立ちたくないのでお静かにお願いしますわ!」
そう小声で告げると、大臣は愉快そうに笑う。
そして、メリアローズの望み通り小声で囁いた。
「ふむ、くだらない噂に翻弄されているようですね。噂とは生き物のようなもの。人の噂も七十五日と言いますが……しばらくは煩わされるでしょうな」
どうやら大臣はメリアローズに関する噂を知っていたようだ。
だったら最初から静かに声をかけて欲しかったわ……と思いつつ、メリアローズはじとりと大臣を睨む。
「元はと言えば、あなたが『悪役令嬢役』なんてものを私にやらせたから、変なイメージがついたのではなくって?」
「おやおや、メリアローズ嬢もノリノリだったではありませんか」
「そ、それとこれとは別です!」
半分黒歴史となっている過去をほじくり返され、メリアローズは羞恥に顔を赤くした。
確かに当時はノリノリで悪役令嬢を演じていた。今思えば、もう少し冷静に後々への影響を考えるべきだった、
後悔しても後の祭りだ。
「ですが……私もこの状況に罪悪感を覚えなくもないのですよ。小指の爪の先ほどは」
「もっと罪悪感を持ってください!!」
憤るメリアローズをまぁまぁと宥め、ミルフォード侯爵はこそりと囁く。
「ですから、私から少しだけ助言を」
「助言……?」
「この王宮に集う人々は、駒となる者と駒を動かす者に別れます。本人にその自覚がなかったとしても」
「駒? ……なるほど、かつて私たちが、あなたの駒として動いていた時のように、ということね」
「お察しが早くて助かります」
「否定しないの!?」
宰相の娘であり公爵令嬢であるメリアローズを駒扱いとは。本当にこの大臣、王子以外の者の扱いは雑である。
もう怒りすら湧いてこず、メリアローズは乾いた笑いを浮かべた。
「そうね、確かに私たちは駒としてあなたの手のひらの上で踊らされていたわ。悔しいけど」
それに気付けるようになっただけ、自分も成長したと思いたい。
メリアローズは小さくため息をついた。
「貴族という生き物はとにかくゴシップが好きでしてね。彼らにとっては物事の真偽なんてどうでもいいのですよ。ただ、秘密を共有し盛り上がることができればそれでよいのです」
「……迷惑だわ」
「ならば、勝者になりなさい、メリアローズ嬢。ここでは一番うまく駒を動かした者が勝者となり、勝者の言葉が真実となる。……うまく踊らされないようにお気を付けを」
「………それって、どういう――」
メリアローズは彼の謎かけのような言葉の意味を問いかけようとした。
だがその瞬間、ユリシーズ王子の入場が告げられ、会場がわっとざわめく。
「あぁ、王子! 今日も麗しい♡♡♡」
「ちょっと!」
王子が会場に姿を現した途端、ミルフォード侯爵の頭からメリアローズの存在は吹っ飛んでしまったようだ。
彼はご主人様に駆け寄る犬のように、一目散に王子に向かってダッシュしていった。
メリアローズが引き止めようとしたときには、既に大臣の姿はそこにはなかったのだ。
――……私への助言、って言ってたわよね。でも勝者って……誰に、何を勝てばいいの?
残念ながらメリアローズは、大臣の言葉を正確に理解することができなかった。
視線の先の彼は、今日もやたらと大げさに王子を褒め称えているようだ。
王子はいつもの何を考えているかわからないロイヤルスマイルを浮かべており、その隣のリネットの表情は引きつっている。いきなりやって来た大臣の奇行にドン引き状態なのだろう。
彼らの背後にウィレムの姿を見つけ、メリアローズの胸は高鳴る。
――今日はウィレムがユリシーズ様の護衛についてるのね! 仕事中ってことはわかってるけど……。
王子やリネットと話をするついでに少し声をかけるくらい、大丈夫だろうか。
周囲から好奇の視線に晒されて、少し心が弱っていたのかもしれない。
どうしてもウィレムの傍に行きたくなり、メリアローズは一歩足を踏み出そうとした。
だがその途端、嫌な想像が頭をよぎり、足が止まってしまう。
――今の私が近づいたら……。
ユリシーズ王子はともかく、ウィレムやリネットに悪影響を与えてしまうかもしれない。
特にリネットはただでさえ不安定な立ち位置にいるのだ。
彼女を支えるはずのメリアローズが、逆に足を引っ張るような事態は避けなければならない。
――私は何も恥ずかしいことはしていないのだから、堂々としてればいいのよ……!
そう自分に言い聞かせても、どうしても怖くなってしまう、
多くの人に囲まれるユリシーズとリネット。二人を守るように控えるウィレム。
彼らが、随分と眩しく見えた。少し前まで、メリアローズもそこにいたはずなのに。
――駄目、私は行けない……。
メリアローズは、足を踏み出せなかった。
自分は誹りを受けるようなことは何もしていない。
そうわかってはいたが、それでも……近づけなかったのだ。
メリアローズは彼らから視線を背けるように踵を返し、一人薄暗いバルコニーへと逃げ込んだ。
誰もいない場所にやって来て、ほっと息を吐く。
――私……何やってるのかしら……。
王宮が華やかなだけでなく、恐ろしい場所だということは理解していた。
いや、理解していた気になっていただけなのかもしれない。
実際にこんな目に遭えば、どうすればいいのかわからず右往左往するだけではないか。
「……しっかりしなきゃ」
メリアローズは大事な友人たちを支え、守るためにここにいるのだ。
くだらない罠に足を掬われている暇などない。
――とにかく、堂々としていればいいのよ。
こんな風にいちいち傷ついて逃げ出していては、それこそ相手の思うつぼだ。
少し落ち着いたら会場に戻ろう。
メリアローズがそう決めた時、会場とバルコニーを隔てる背後の扉が開く音が聞こえた。
とっさに振り返ったメリアローズは、驚きに目を見張る。
そこには、一人の青年がいた。
「こちらにいらっしゃったのですね、メリアローズ嬢」
――彼は、確か……。
メリアローズは彼を知っていた。メリアローズとリネットのサロンの参加者の貴公子の一人だ。
彼は驚くメリアローズを見て、にこりと笑った。