121 イーディス・アップルトンという少女(3)
季節は流れ、イーディスは15歳を迎えた。
この国では、15歳を迎えた貴族令嬢は正式に社交界にデビューする権利を得る。
そのお披露目の場が、王宮で開かれるデビュタント・ボールだ。
初々しい少女たちは、自分に一番似合うだろうドレスを仕立てて、もう一人前のレディであるということを大々的に示すのだ。
貴族令嬢がよりよい結婚相手を探すために、必要不可欠なイベントなのである。
「ねぇ、イーディスはどんなドレスにするの?」
「もうオーウェンのことはさっぱり忘れて、もっといい相手を見つけないとね!」
母や姉の勧めるままに、イーディスはどこか空虚な心のままにドレスを仕立てていく。
オーウェンに婚約を破棄されたからには、別の相手を探さなければならない。
そう頭ではわかっているのに、心に湧き上がるのはメリアローズへの復讐心ばかりだ。
「……ねぇ、デビュタント・ボールには多くの貴族が集まるのよね」
「えぇ、特に高位の貴族の方々は必ず出席されるはずよ」
ならば、きっとその場にメリアローズもやって来るのだろう。
仄暗い思いを抱えたまま、イーディスは笑う。
「あはっ、あはははは!」
会える。やっと会える。
にっくき「メリアローズ・マクスウェル」に!
オーウェンと長期間離れていたときでさえ、こんなにも誰かと会えるのを心待ちにしたことはなかっただろう。
「待ってなさい、メリアローズ・マクスウェル!」
◇◇◇
待ちに待ったデビュタント・ボールの場にて。
イーディスが会場を進むと、数多くの男性から視線が集まり、声を掛けられる。
その感覚に、イーディスは久方ぶりに満ち足りた気分を味わっていた。
――やっぱりそうよ! 私なら、メリアローズ・マクスウェルにだって負けないわ! オーウェンのことは、きっと何かの間違いだったのよ。
そのメリアローズとかいう女も、どうせ大したことはないに違いない。
秋波を送る貴公子たちに微笑みながら、イーディスはさりげなく周囲を見回した。
デビューを迎えた初々しい少女たちは、皆それぞれ華やかなドレスを身に纏い、緊張気味な表情で佇んでいる。
領地で目にする村娘などよりはよほど洗練されているが、やはりイーディスに並ぶような美少女はいなかった。
その状況に、イーディスは内心でほくそ笑む。
そんな時、イーディスの耳に大嫌いな相手の名が聞こえてきた。
「見て、メリアローズ様だわ!」
その声に、イーディスはとっさに入り口の方を振り返る。
そして、わが目を疑った。
そこにいたのは、まるで磨き抜かれた宝石のような……艶やかな色気を放つ美しい女性だったのだ。
――あれが……メリアローズ・マクスウェル……?
イーディスは憎んでいたはずの相手に、視線を奪われずにはいられなかった。
デビューを迎える少女たちに気を遣ったのだろう。彼女の身に纏うドレスは、シックな濃紺色でどちらかというと地味なものだった。
だが、そんなドレスは少しも彼女の魅力を損なうことはなかった。
抑えるからこそ、滲み出る美というものがあるのだろう。
イーディスはそう思い知った。
「いつ見てもメリアローズ様は素敵ね」
「ほら、もうあんなに殿方が集まって……」
メリアローズが会場に足を踏み入れると、さっきまでイーディスに熱い視線を送っていた貴公子たちが我先にと彼女の元へと近づいていく。
人垣に邪魔されて、すぐにイーディスの位置からメリアローズは見えなくなってしまう。
だが、その姿ははっきりとイーディスの目に焼き付いていた。
深紅の薔薇のように、色鮮やかな赤い髪。
高貴さを感じずにはいられない、紫水晶のような美しい瞳。
陶磁器のように滑らかな白い肌に、薄紅色に染められた頬や唇がよく映えていた。
まるで精巧に作られた人形のように、天上に咲く花のように、美しい女性だった。
イーディスは呆然としたまま、自身の纏うドレスに視線を落とす。
有名な仕立て屋に頼んだ、自慢のドレスだ。誰も彼もが、よく似合うとイーディスを褒めてくれた。
だが、イーディスにはわかってしまった。
先ほどメリアローズが纏っていたドレスと自身のドレスを比べれば、違いは一目瞭然だ。
メリアローズのドレスは一見地味に見えるが、裾から胸元にかけて濃紺から薄紫へ、まるで夜明けの空のような見事なグラデーションが描かれている。
裾に施された金糸の刺繍は、空に輝く星のように美しい。
メリアローズのドレスは、生地やデザインや何もかもが一流の出来だ。
きっと彼女の細い腰を彩るリボン一つで、優にイーディスのドレスの値段を超えてしまうことだろう。
イーディスはふらふらとメリアローズを囲う人垣の方へと近づく。
だが、集まった者たちに道をふさがれてそれ以上は進めなかった。
「メリアローズ様、今日もお美しい――」
「是非、今度私と一緒に――」
「ごめんなさい、急いでいるの……ありがとう、お兄様」
彼女の兄だろうか。美貌の青年にエスコートされているメリアローズは、群がる貴公子たちに済まなさそうな笑みを向けながら、彼らに構うことなく進んでいく。
彼女に近づこうとする貴公子の中に見覚えのある姿を見つけて、イーディスの心臓がどくんと音を立てた。
――オーウェン……!
それは、かつて自分を捨てた婚約者の姿だった。
彼は必死にメリアローズに声をかけたが……まったく相手にされていなかった。
その姿に、イーディスは衝撃を受ける。
――何よ、全然相手にされてないじゃない……!
オーウェンはただ、メリアローズ・マクスウェルに遊ばれていただけだったのだろう。
それなのに……イーディスは負けたのだ。
オーウェンに振り向いてさえくれない、メリアローズに。
「……馬鹿みたい」
それは誰に向けられた言葉だったのだろうか。
オーウェンか、それともイーディス自身か。
ただ確かなのは、イーディスの中の復讐の炎が更に勢いを増したということだけだ。
皆を惑わせ、上から嘲笑い、イーディスからすべてを奪った女。
――見てなさい、すぐにそこから引きずり落としてやるんだから……!
華やかなデビュタントの舞台で、イーディスはそう誓ったのだった。
◇◇◇
必死に親戚や知人の伝手をたどり、イーディスはやっと思いで行儀見習いとして王宮に上がることが許された。
時を同じくして、メリアローズは自らの後釜として王子の婚約者となった令嬢の、教育係に就任したようだ。
――あの女と同じ場所にいる……。
そう実感するたびに、仄暗い愉悦がイーディスの心を満たしていく。
あのお高く留まった女を引きずり落としてやる。
たとえ、どんな手を使ってでも。
イーディスの胸に宿る復讐の炎は、決して消えることはなかった。