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120 イーディス・アップルトンという少女(2)

 イーディスは王都から遠く離れた地――アップルトン男爵領の領主の娘として生まれた。

 その名の通りリンゴの果樹園が点在する、のどかな田舎である。

 そんな田舎に似合わず、イーディスは幼い頃から人並外れた美貌を兼ね備えていた。


「なんて可愛いのかしら、イーディス。あなたはうちの自慢のお姫様よ!」


 艶やかなストロベリーブロンドの髪に、ルビーのように澄んだ瞳。

 絵本の中のお姫様より、イーディスの方がずっとずっと可愛かった。

 家族も使用人も領民も、皆イーディスを愛した。

 イーディスが可愛くおねだりすれば、どんな願いでもすぐに叶えられた。

 小さな領地の中で、イーディスの思い通りにならないことなど何一つなかった。


 幼い頃イーディスは、本気でこの世界は自分の為に存在するのだと思いこんでいたのだ。


「可愛いイーディス、大きくなったら僕と結婚しよう」


 隣の領地を治める伯爵家の少年――オーウェンは、出会ってすぐにイーディスに夢中になった。

 母や姉たちが教えてくれたのだが、彼は長男であり伯爵家の跡継ぎだそうだ。


「彼と結婚すれば、あの大きなお屋敷があなたのものになるのよ、イーディス」


 彼の屋敷は、アップルトン家の屋敷よりもずっとずっと大きく豪華だった。


 ――このお屋敷が、私のものに……!


 それは小さなイーディスにとって、とてつもなく魅惑的な誘いだった。

 屋敷も、多くの使用人も、大きな馬車もドレスや宝石も、すべてイーディスのものになるのだ!


 ――そうよね。この素敵なお屋敷こそが、私にふさわしいのよ!!


「はい、お受けいたします、オーウェン様」


 その少年のことは取り立てて好きなわけではなかったが、イーディスは彼の婚約者となった。

 正式な誓いは立てていないとはいえ、両家公認の婚約者である。

 イーディスは彼と結婚し伯爵夫人の座を手に入れる日を、今か今かと待ち望んでいた。


 やがてオーウェンは王都にあるロージエ学園に通うため、イーディスの元を離れていった。


「ねぇお母様、私もあと何年かすればロージエ学園に入れるのよね?」

「それがね、イーディス。うちみたいなしがない男爵家の娘は、ロージエ学園には入学できないのよ」

「ぇ…………」


 そんなことは知らなかった。イーディスは自分も当然のように、オーウェンの後を追って学園に入るものだと思っていたのである。


「あそこはもっと高位の貴族の方々のための学園だからねぇ……。でもイーディス、あなたがそんなに学問に興味があるなら、他の学園でも――」

「いい、いらない」


 高位貴族や王族の通う学園だからこそ、イーディスはロージエ学園に入学したかったのだ。

 下位貴族や庶民だらけの学園など、何の意味もない。


 ――まぁいいわ。オーウェンが帰ってくれば、私は次期伯爵夫人だもの……!


 大きなお屋敷はイーディスの物になり、ドレスも宝石も何でも好きな物が手に入る。

 学園に通えなかったからなんだというのだ、伯爵夫人になれば、もっとキラキラした世界が待っているのだから……!


 やがて長期休暇に入り、オーウェンが領地に戻って来るとの知らせが届いた。

 イーディスは嬉々として帰郷したオーウェンの元へと赴く。

 だが、そこでイーディスを待っていたのは、婚約者の愛の言葉などではなかった。


「済まない、イーディス。婚約を解消してくれないか」


 彼が何を言っているのか、イーディスはわからなかった。

 家族も使用人も領民も、皆イーディスを愛した。

 だから、彼がそんなことを言うはずがないのに……。


「いったい、どういうことでしょうか……」


 呆然自失状態のイーディスの代わりに、父がオーウェンに抗議をしてくれた。

 だがオーウェンは悪びれる様子もなく、恍惚とした様子で語り始めたのだ。


「僕は、運命の人に出会ってしまったんだ。あぁ、メリアローズ様……!


 ――……誰? 誰なの、それは……!


 オーウェンが語るところによると、どうやら彼は「メリアローズ」という女と恋に落ち、イーディスを捨てようとしているらしい。

 父も母も必死に抗議した。だがこちらは男爵家で、相手は伯爵家。

 慰謝料もきちんと支払われていしまえば、それ以上何も言えるはずがない。


 生まれて初めて、イーディスは突き放された。

 大きな屋敷もドレスも宝石もオーウェンも、すべて失ってしまったのだ。

 いや……奪われたのだ。その「メリアローズ」という名の女に……!


 憤る家族の会話を聞きながら、イーディスは一人俯いていた。


「婚約破棄なんて、いくら何でもひどすぎるわよ!」

「でも、相手は公爵家のお嬢様だって言うじゃないか。あちら下の兄弟もいるし、婿入りでもできればラッキーだと思ったんだろ」

「でも、マクスウェル公爵家のお嬢様って、王子の婚約者でしょ? オーウェンが入り込む隙なんて――」

「それが、つい先日婚約を解消されたそうだよ。メリアローズ様が王子の婚約者の座を降りたそうだ」


 ……意味が分からない、理解ができない。

 王子の婚約者といえば、未来の王妃だ。

 屋敷どころか大きな城も、数え切れないほどのドレスや宝石も、皆の愛も称賛も、すべてを手に入れられる立場なのに……!

 それを、自分から投げ出すなんて。


「……なんなのよ」


 イーディスを馬鹿にしているとしか思えない。

 イーディスが失ってしまったものよりも、ずっと素敵なものを手に入れられる立場にいるのに、それをわざわざ手放すなんて。

 メリアローズはすべてを奪い去ったうえで、イーディスを嘲笑っているのだ。

 そうとしか思えない。


「……さない」


 きっと生まれて初めて、イーディスは誰かをこんなに憎んだ。


「許さない、メリアローズ・マクスウェル……!」


 その日イーディスは、顔も知らない女に確かに復讐を誓ったのだ。

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