14 王子の取り巻き、今後の作戦を練る
「さて、一度現状を整理しましょうか」
重々しくそう口にしたウィレムを前にして、バートラムとリネットはごくりとつばを飲み込んだ。
授業後の学園の一室。だが、そこにはいつものようにメリアローズの姿はなかった。
……つまりは、メリアローズに聞かれたくない話が始まるということである。
「少し、よろしいでしょうか」
静かにそう口にしたリネットに、ウィレムが視線だけで続きを促した。
「この場に、メリアローズ様がいらっしゃらないのは……」
「これからの話を聞けば、きっとメリアローズさんはショックを受けるはずだ」
ウィレムがそう言うやいなや、リネットがはっとしたように手で口を抑えた。
「そんな、メリアローズ様がショックを受けることって、まさか……」
「……ジュリア・ロックウェルは」
ウィレムは意を決して、続きを口にした。
「まったく、悪役令嬢としてのメリアローズさんを恐れていない」
その途端、その場の空気が一斉に重くなった。
目を逸らし続けていた現実を、直視せざるを得ない時が来たのである。
先日の釣りの一件ではっきりした――その前からうすうすわかってはいたことだが、悪役令嬢メリアローズを恐れるはずのジュリアは、むしろ彼女に好印象を抱いているようなのだ。
三人とも、その事実を認めざるを得なかった。
「で、でも周囲の生徒たちは皆、メリアローズ様の悪役令嬢っぷりに恐れおののいていますわ!」
「そうだ! ジュリアは、その……ちょっと変わったやつなんだよ! そこがいいんだが……」
リネットとバートラムの言う通り、ジュリア以外の生徒にとっては、メリアローズはまごうことなき学園の女王――王子の婚約者である悪役令嬢であった。
残飯を与える、会うたびに包み隠して嫌味を言う、憐れむふりをして馬鹿にする等……ジュリアが気づいていない細かい嫌がらせにも、他の生徒はきちんと気がつき、悪役令嬢の暴虐に憤っているのである。
ただ、メリアローズの演技が通じないジュリアが異常なのだ。そのことについてはウィレムも同意していた。
「あぁ、少なくとも、周囲の嫉妬がジュリアにいっていないという点では、この作戦は成功してると言ってもいいだろう」
「メリアローズがうまく弾除けになってるってことだな」
「相手がメリアローズ様なら立ち向かおうという者も現れませんものね」
秘かにジュリアの盾になる、という点においては、メリアローズの悪役令嬢っぷりもうまく功を奏しているといってもいいだろう。
今のところ、公爵令嬢たるメリアローズに嫉妬で嫌がらせを仕掛けるような命知らずは、どこにもいないのだから。
「そうなると、後は王子とジュリアだが……バートラム、調子は」
「あー、なんていうか……あの二人はすごく仲がいいんだ。いいんだが……」
その言葉の先は、言わずともウィレムもリネットも察していた。
確かに王子とジュリアは仲がいい。その仲睦まじい様子は、見るものを笑顔にさせてくれると評判である。
だが……仲がいい、止まりなのであった。
「あのままほっといたら十年経っても変わらなさそうなんだよな」
「王子はもっと情熱的なタイプだと思ってたんだが……見込み違いだったのか?」
「王子は様々なものを背負っていらっしゃいます。やはりジュリアさんとの身分差がネックなのではないでしょうか」
厳密に規定があるわけではないが、王族の、それも世継ぎの王子となれば、結婚相手にもそれなりの身分が求められている。
今までの歴史からすると、少なくとも伯爵令嬢程度の身分でなければ、王子の結婚相手としては候補にも挙がらないのであった。
ユリシーズは聡い王子だ。ジュリアの身分の低さを気にして、決定的な行動でに出られないということも十二分に考えられる。
「メリアローズさんの悪役令嬢っぷりがジュリアに通用しないとなると……残されたのはバートラム、君だ」
「え、俺?」
「そうですわ。あなたが完璧な当て馬として振舞い、王子の嫉妬を煽らなければ」
今でもバートラムは当て馬らしくしょっちゅうジュリアに絡んでいるが、それで王子が反応しないとなると、当て馬っぷりが手ぬるいと言わざるをえないのかもしれない。
もっと過激に行け、とウィレムとリネットは目線だけで告げた。
「いやー……大丈夫か、それ」
「仕方ないだろう。他に手はないんだ」
「あなた、最初はもっと乗り気だったではありませんか。ここに来てしり込みですか?」
リネットにちくりと棘を刺され、バートラムは大きくため息をついた。
そのらしからぬ様子に、ウィレムとリネットは思わず顔を見合わせる。
最初は当て馬役にノリノリだったバートラムが、ここに来て何故躊躇する必要があるのか、二人にはわからなかったのだ。
彼はしばし物憂げに目を伏せていたが、やがて小さくため息をついて顔を上げた。
「……わかった。子猫ちゃんのハートを奪いつくすくらい過激にいってやるさ」
「おい、奪いつくしたら本末転倒だろ。あくまで王子の嫉妬をあおるのが目的だ」
「わかってるって。ジュリアは王子が好きなんだ。俺になんて揺らぐわけねぇよ」
どこか自嘲するようにそう呟いて、バートラムは緩慢な動きで立ち上がり、部屋を出て行ってしまう。
残されたウィレムとリネットは、わけがわからず再び顔を見合わせた。
「なんだあいつ」
「やはり、王子とジュリアさんを騙しているという罪悪感があるのではないでしょうか」
「罪悪感?」
「えぇ、取り巻き役の私たちはまだいいですが、まったく本心とは別の行動を演じなければならない、メリアローズ様やバートラム様は……きっとお辛い気持ちになることもあるんでしょう」
「リネット……」
まったくそのとこに思い当たらなかった自分に、ウィレムは内心で舌打ちした。
ウィレムの役割は王子の取り巻き。やることは多くそれなりに忙しい。
だが、ウィレム以上に神経をすり減らしているのは、バートラムとメリアローズの二人だろう。
いずれ他人のものになるとわかっている女性を口説いたり、婚約破棄が待ち構えているのにわざと憎まれ役を買って出るなど、並みの精神では耐えられるとは思えなかった。
きっと、ウィレムの見えない所でメリアローズとバートラムに負担がかかり、二人は人知れず傷ついているはずだ。
「誰かを幸せにするための嘘なら、許されると思ったんだけどな……」
「それでも、お辛い気持ちはあるはずですわ。今はなんとしても、この計画を成功させなくては」
リネットに慰められ、ウィレムは決意を新たにした。
ここまでやるのだから、こうなったら絶対に自分たちの苦労が報われるような結末に持っていかなければならない。
その為に、今まで以上に気を引き締めなくては。
「俺たちも気が抜けないな」
「えぇ、私たちが二人を、そして王子とジュリアを支えなくては」
二人は顔を見合わせ、大きく頷き合った。
一方その頃――
「ぶえっくしょい!……よかった、誰も聞いてないわね」
一人で中庭を散策中、うっかり深窓の令嬢らしからぬ派手なくしゃみをしてしまったメリアローズは、おそるおそる周囲を見渡した。
しかし、運よく誰にも聞かれていなかったようである。
「まったく、リネットはどこ行ったのかしら。せっかく次の悪役令嬢らしい台詞を考えたのに」
ウィレムとリネットの心配とは裏腹に、メリアローズは今でも悪役令嬢役にノリノリであったのだ。
こうなったらやけくそだ。徹底的に悪役令嬢っぽく振舞ってやろうではないか!
「オーホッホッホ!!」
放課後の学園にメリアローズの高笑いが響き渡り、善良な生徒たちは恐ろしい悪役令嬢に見つからないようにと、こそこそ帰り支度を始めるのであった。