117 波乱の予兆(2)
「メリアローズ嬢、探しましたよ。俺を置いていくなんて酷いな」
置いてったも何も、今日あなたと会ったのはこれが初めてよ。……という言葉を、メリアローズは何とか飲み込んだ。
べたべた纏わりつかれるのは鬱陶しいが、バートラムはいい所にやって来た。
ここは彼の芝居に付き合ってやろう。
「まぁ、バートラム様! 申し訳ございません、わたくしもあなたを探していたところですの。こうして会えて嬉しいわ」
親しげな笑顔を浮かべて、メリアローズはバートラムに身を寄せた。
きっと傍から見れば、親密な仲に見えることだろう。
「おやおや、これはこれは……年寄りは馬に蹴られないうちに退散するとしましょうかね」
メリアローズの狙い通り、オーガスタス卿は意味深な笑みを浮かべて退散していった。
ふぅ、と息を吐いて、メリアローズはバートラムから一歩距離を取る。
「ありがとう、サブ盾。助かったわ」
「なんだその言い草は。ちなみにメイン盾は」
「ウィレムよ」
「そうだと思ったぜ」
やれやれと肩をすくめたバートラムを見て、メリアローズはくすりと笑う。
「……で、あなたはこんなところに何しに来たの?」
「なんだよ。お前が困ってそうだから助けてやったのに、酷いな」
「まぁ、困ってるって状況は変わらないんだけど。どこかに、無難なダンスパートナーがいれば……」
そこまで言いかけて、メリアローズははたと気が付いた。
最初にダンスを踊っても困ったことにはならない「無難な相手」――目の前にいるではないか。
「ちょうどよかったわ。一曲でいいから私と踊ってくださらない?」
メリアローズがそう声をかけると、バートラムは驚いたように目を丸くした。
「え、マジで俺に言ってんの? どういう風の吹き回しなんだ」
「せめて一曲は誰かと踊らないと、周りに示しがつかないじゃない。『こいつ何しに舞踏会に来たの?』って感じになるのよ。だから、踊っても厄介なことにならない相手を探してたの」
メリアローズが事情を説明すると、バートラムは苦笑した。
「それで俺をご指名頂いたわけか」
「ね? 私とあなたの仲じゃない」
甘えるように頼んでみたが、バートラムは渋い顔をしていた。
大抵の相手はメリアローズがこうして頼めば、速攻で了承してくれるものだが……さすがは百戦錬磨の色男。一筋縄ではいかないようだ。
「別にお前と踊ること自体はいいんだが……後でウィレムに理不尽にキレられるのは俺なんだよ」
「あら、ちゃんと理由があればウィレムだってわかってくれるわ」
「いいや、お前はあのメガネを舐めてるね。あいつあんな爽やかそうな顔して、意外とねちっこいとこあるぞ」
「そうかしら……」
メリアローズにはバートラムの言葉がうまく実感できなかった。
バートラムはメリアローズの知らないウィレムを知っているのだろうか。
そう考えると、少し悔しい。
「まぁでも……そんなに困ってるなら相手になってやるよ。お前が変な男に引っかかったら、それこそウィレムが荒れそうだしな。俺が尊い犠牲になってやるか」
仕方ない、といった様子でバートラムが差し出した手に、メリアローズは嬉々として自身の手を重ねた。
「でも、俺とお前の仲が噂になったらどうすんだよ」
「あなたと噂になる女の子なんて腐るほどいるじゃない。私一人追加されたところで大したことはないわ」
にやりと笑ってそう告げると、バートラムは気まずそうに目を逸らした。
バートラムは女性を口説くことを日課としている。むしろ女性に出会ったら、口説かなければ失礼だと思っているようなのだ。
彼に口説かれまんざらでもない女性――通称「バートラムの女」は、この王宮に出入りする者の中だけでも、相当な人数が存在する。
今更メリアローズがそのうちの一人に加わったとしても、周囲はいつものことだと流してくれるだろう。
「はいはい、今日は気高いお姫様の言うとおりにしますかね」
「ふふ、頼むわよ、サブ盾」
メリアローズとバートラムが連れ立ってホールの中央へと進み出ると、周囲から痛いほどの視線が突き刺さる。
「見ろよ、ウィレムがすごい顔してこっち見てる。やばい泣きそう」
「目の錯覚よ。我慢なさい」
ここで彼に逃げられては元も子もない。
バートラムが逃げないように確保しつつ、メリアローズはちらりとウィレムの方へと視線をやる。
ユリシーズ王子とリネットの傍ら、護衛騎士として控える彼は……怖いほどに、無表情だった。
だがその表情を見た途端、何故かぞくりと背筋に冷たいものが走ったような気がした。
――き、気のせいよ。そうよね……?
この舞踏会が終わったら、真っ先にウィレムに事情を説明しておこう。
メリアローズは静かにそう誓った。
ゆっくりと曲が始まり、メリアローズはバートラムの手を取ってそっとステップを踏む。
ダンスが始まるまでは散々泣き言を呟いていたバートラムだが、さすが色男と名をはせる貴公子だけはある。
リードの腕は見事なものだ。
二人の距離が近づくと、バートラムが笑顔のまま小声で囁いた。
「……なぁ。さっきのおっさんと何話してたんだ?」
「おっさんって……失礼よ。彼は宰相補佐なのよ」
「知ってるって。でもおっさんはおっさんだろ」
「あなたねぇ……」
不躾な言葉に、メリアローズは笑顔が引きつりそうになるのを何とかこらえた。
傍から見れば、笑顔でダンスに興じる美男美女。
まさか周囲も、こんなくだらないことを話しているとは思わないだろう。
「別に、久しぶりに会ったから声をかけてくださっただけよ。まぁ、あなたが来なかったら彼とダンスを踊ってたかもしれないわね」
「まじかよ。あいつ、あの穏やかな見かけに似合わず女関係は派手だって話だぜ」
「え゛…………」
それは初耳だ。
あの人畜無害な羊のようなオーガスタス卿に、そんな裏の顔があったとは……。
「……それって本当なの?」
「まぁな。でも本人は隠してるし、知ってる奴もごく少数だ。お前もべらべら外で喋るなよ? お前の父親に解任されないってことは、それなりに有能なんだろ」
「ま、まぁ……私生活と職務遂行能力は別の話ですものね……」
どれだけ彼の私生活が乱れていようと、それを覆すだけの才を彼は持っているのだろう。
メリアローズとしてはいい気はしないが、表立って彼を糾弾できるような立場でもない。
今後も、知らないふりをしておくべきだ。
「お前も気をつけろよ。自己保身に長けたあのおっさんなら、上司の娘に手を出すような馬鹿な真似はしないと思いたいけどな」
「……そうね。念のため、気を付けておくわ」
先ほど彼がメリアローズをダンスに誘ったのは、ただの社交辞令……だったと思いたい。
しかし、これからは彼を見る目が変わりそうだ。
メリアローズは少しだけバートラムの忠告に感謝した。
やがて曲が終わり、メリアローズはにっこり笑ってバートラムに礼を言う。
「ふぅ、付き合ってくれてありがと。これで義務は果たせたわ」
「それはよかったな。これからどうするんだ?」
「これ以上ここにいても、また誘われたら困るし……挨拶して今夜は帰ろうと思うの」
「なら送ってやるよ」
「え、別にいいわよ」
「いいからいいから。万が一帰りに何かあったら、やっぱりウィレムにキレられるのは俺なんだよ。ここで点数稼ぎさせてくれ」
ウィレムはそんなに短気だったかしら……とメリアローズは思案したが、確かにウィレムはバートラムに対してはやたらとあたりが強かった気がする。
メリアローズは時折、その気安い関係を少しだけ羨ましく思ったものだ。
「ふふ、じゃあお願いしようかしら」
「仰せのままに、姫」
気取ったように胸に手を当ててお辞儀をしたバートラムに、メリアローズはくすりと笑った。