116 波乱の予兆(1)
先日の諍い以来、ジェフリーはメリアローズたちのお茶会に出席こそすれど、必要以上に近づいてくることはなかった。
――でも、油断は禁物ね。
一瞬のスキが命取りになる場合だってあるかもしれない。
メリアローズはお茶会の場では常に、穏やかな笑みを浮かべながらも、警戒は怠らなかった。
今日もフロアの端から端まで目を凝らして、メリアローズは状況を確認していた。
――随分と、人が増えたわね……。
最初の時に比べると、このお茶会も随分とにぎやかになったものだ。
今も新たにやって来た者の紹介を受けながら、メリアローズは次々と現れる貴族たちの顔と情報を頭に叩き込んでいく。
「メリアローズ様、ご紹介申し上げたい方が……」
その時やって来た人物の姿を見て、メリアローズはおや、と目を瞬かせた。
「こちらは、アップルトン男爵家のイーディス嬢です」
メリアローズの同級生である貴公子に伴われてやって来たのは、まだあどけなさを残した少女だった。
「お目にかかれて光栄に存じます、メリアローズ様」
少女が淑女の礼を取ると、彼女の鮮やかなストロベリーブロンドの髪がさらりと肩を流れる。
その様子を見て、メリアローズの体に電撃が走る。
――思い出した! この子は……。
メリアローズは彼女の姿を目にしたことがあった。
あれは最初にお茶会を開く直前だったか。王宮の廊下を歩いていたメリアローズの前で、盛大に転倒し掃除用具をぶちまけた侍女がいた。
今目の前にいる彼女が、その侍女だったはずだ。
「……初めまして、イーディス。お会い出来て嬉しいわ」
メリアローズは初対面を装って、優雅にそう声をかけた。
ここで「あなた、前に廊下で派手にすっ転んでたわよね」などと口にすれば、彼女を傷つけてしまうだろう。
悪役令嬢だった時の癖でそう言いかけ、メリアローズは慌てて出かかった言葉を飲み込んだ。
――危ない危ない……。今は知らないふりをするのが得策ね!
内心冷や汗をかきつつも、表面上は完璧な社交用の笑みを浮かべ、メリアローズはイーディスを見つめる。
彼女はその時のことを覚えているのかいないのか、少し緊張気味な表情で、メリアローズに会釈して見せた。
傍らの青年にエスコートされながら去っていく後姿を見つめ、メリアローズはそっと微笑む。
――学園の卒業生だけでなく、行儀見習いの子も参加してるのね……。いい傾向だわ。
メリアローズたちの周りには、どうしても上位貴族の者たちばかりが集まりやすい。
しかし、ユリシーズは将来の国王。上位貴族だけではなく、下位貴族や平民たちのことも気にかけなければならないのだ。
その為には、このお茶会に下位貴族のイーディスが参加してくれるのは良い傾向になるだろう。
――それにしても……人気ね、あの子。
イーディスが席に着いたテーブルには、幾人もの貴公子たちが集まっている。
皆、我先にとイーディスに話しかけているようだ。
彼女の取り合いで、喧嘩にならないといいのだけれど……などと考えながら、メリアローズは新たに挨拶にやって来た相手に意識を戻した。
◇◇◇
……壁の花も楽じゃない。
幾人もの貴公子たちに囲まれながら、メリアローズは扇で口元を隠しながら小さくため息をついた。
無数のシャンデリアと鏡に彩られた大広間は、光が反射しすぎて目が眩むほどだ。
寝不足の身にはなかなか辛いものである。
ぼんやりと壁を背に立つメリアローズは、目の前の青年の言葉に相槌を打ちながら、そっと欠伸を噛み殺した。
――はぁ……。早く帰って本の続きを読みたいわ……。
昨夜も遅くまで夢中になって「クールな騎士のイケナイ♡誘惑」を読みふけってしまった。
この本はタイトルの軽さに反して、波乱に次ぐ波乱展開が主人公を襲いうハードな内容になっている。
現在三巻目を読んでいるところだが、主人公の貴族令嬢とヒーローであるクールな騎士は、くっつきそうでなかなかくっつかない。
あと一歩でうまくいく! ……という所になるといつも邪魔が入ってしまうのだ。
昨晩読んでいた部分でも、実家の借金を返すために、主人公は性悪成金貴族の所へ嫁がされそうになっていた。一体あの後、主人公はどうなるのだろう……。
ついついそんなことを考えてしまい、目の前の貴公子の話もあまり頭に入らない。
国王主催の舞踏会ということで義務的に出席はしたが、メリアローズは早くも帰りたい思いでいっぱいだった。
――リネットは……大丈夫そうね。ユリシーズ様もいることだし。
ユリシーズ王子の婚約者として出席しているリネットだが、彼女の横にはぴったりとユリシーズがくっついている。
あの完璧王子が傍にいるのならリネットが何かミスを犯しても、そつなくフォローを入れてくれることだろう。
――それに……。
ユリシーズとリネットの方へと視線を向けたメリアローズは、その向こうにいる人物――ウィレムに視線を奪われてしまう。
近衛隊の制服を身に着けた彼は、王子の護衛としてこの場にいる。
メリアローズの存在に気づいていないことはないと思うが、職務中の彼が視線をこちらに向けることはなかった。
――同じ場所にいるのに……随分と遠く感じるわ。
できれば彼の視線がこちらを向くまで見つめていたかったが、いつまでもぼんやりしているわけにはいかないだろう。
メリアローズは後ろ髪引かれる思いで、意識を目の前の貴公子たちへと戻した。
「…………ふぅ」
隙あらばアプローチを繰り返す貴公子たちを何とか撒いて、メリアローズは大広間の片隅で一息ついた。
本日は一体何回ダンスの誘いを受けただろうか。
馬鹿馬鹿しくなって途中で数えるのをやめてしまったので、残念ながら正確な回数はわかりそうにない。
少なくとも、両手の指を駆使しても足りない回数は超えているはずだ。
ここは国王主催の舞踏会の場。招待を受け出席している以上、一度は誰かとダンスを踊らねば失礼にあたるが……今夜は未だ無難な相手が見つかっていない。
頼みの綱の父と兄は仕事の関係者に囲まれており、とてもメリアローズがダンスに連れ出せる状況ではなかった。
だからといって、しつこく追いかけてくる貴公子の誘いに応えるわけにもいかない。
「メリアローズ様の本命は〇〇様ですって!」……などと変な噂を立てられては困るし、何より他の誰かの手を取っている場面をウィレムに見られたくはなかった。
さてどうするか……と思案した時、不意に声をかけられて、メリアローズは慌ててげんなりした表情を笑顔に変えた。
「これはこれは……いい夜ですね、メリアローズ嬢」
「お久しぶりです、オーガスタス閣下」
メリアローズが会釈すると、恰幅の良い中年の男性が人の好い笑みを浮かべた。
彼の名はオーガスタス・ラティマー。現ラティマー伯爵の弟で、長く宮廷に仕える身である。
役職は宰相補佐であり、メリアローズも昔から彼とは面識があった。
「お目にかかるたびに、あなたは美しくなられますな。今宵最初に、麗しの美姫の手を取る栄誉を賜るのは一体誰かと、皆注目しておりますよ」
彼が愉快そうに告げた内容に、メリアローズは辟易してしまった。
ユリシーズとの婚約を解消して以来、メリアローズは対外的には、お相手なしのフリーの状態となっている。
ウィレムとの仲は、マクスウェル公爵家に正式に認められたわけではないのだ。
当然、感づいている者はいるだろうが、公にできることではない。
それゆえに、学生時代と同じように、いや……むしろそれ以上に、メリアローズのハートを射止めようとやって来る者は後を絶たない。
こうして逃げ回るのも一苦労なのだ。
「今夜はどうも調子が優れなくて……閣下は踊られないのですか?」
内心うんざりしながらそう返すと、オーガスタスはにこにこと穏やかに笑う。
「私はどちらかというと、皆が踊るのを眺めている方が好きなのですよ」
その気持ちはメリアローズにもよくわかる。
意匠を凝らしたドレスの裾が美しく翻る光景や、色とりどりの宝石がシャンデリアの光を受けてキラキラと輝く様などは……見ているだけで楽しいものだ。
「ですが、自分が踊るのも中々楽しいものですわよ?」
踊る相手にもよるが……という部分は口に出さずに、メリアローズはにこりと笑ってそう告げた。
すると彼は、愉快そうに笑う。
「ははっ、それもそうですね。ではメリアローズ嬢、一曲お相手いただけますかな?」
彼の誘いに、メリアローズは少し悩んでしまった。
既婚者で、父の側近。安全圏の「無難な相手」ではあるが……ここで彼の手を取ってしまってもよいものなのだろうか。
――年上もいけるなんて思われて、年配の方々にまで迫られたら厄介よね……。
昔、そんな噂を広められて、大変苦労したらしい令嬢の話を聞いたことがある。
残念ながら年配貴族の中には、正式な配偶者を持ちながら他の相手に手を出そうとする輩が、男女問わず少なくない。
ここでオーガスタスと一番に踊り、「なんとメリアローズ・マクスウェルは、年上のオジサマ好きだったのである!」なんて思われたら困ったことになる。
どう答えようか迷っていると、ふと背後に気配を感じた。
「見つけましたよ、お姫様」
聞き覚えのある声とともに、軽く背後から抱き寄せられ……メリアローズは少し驚きながら振り返る。
「バートラム……様。いらしていたのですね」
そこにいたのは、どこかミステリアスな笑みを浮かべたバートラムだった。
書籍2巻、無事に買えました!(ご報告)
力尽きたので次回からは通常更新に戻ります。
3章はまだまだ続きますので、ごゆるりとお楽しみください。
2章ではバートラムくんが若干空気気味だったので、3章では推していきたいです!