113 波乱のお茶会(4)
メリアローズは大きく息を吸うと、ゆっくりと言い聞かせるように、ジェフリーに言った。
「そうね、確かにあなたの言う通り、私はユリシーズ様の婚約者……のようなものになって、そして円満にその地位を退いたわ」
「なるほど。だが何故、公爵家の令嬢である君が、王子の婚約者の座を降りる必要がある?」
「ユリシーズ様はリネットを選んだの。私はその選択を祝福するわ」
「へぇ、つまり君はあんな地味で取り柄もなさそうな女に負けたわけか」
彼がそう言った瞬間、メリアローズの表情は引きつった。
こいつ……今なんと言った?
「……口を慎みなさい、ジェフリー。不敬よ。それ以上言うのなら、ここから出て行ってもらうことになるわ」
――クレーマーには毅然とした対応を。
そんな、以前読んだ本の一節を思い出しながら、メリアローズはぴしゃりとそう告げる。
すると、ジェフリーはやれやれといったように肩をすくめた。
その余裕の態度に、メリアローズはまたしてもイラッときてしまう。
「わかった。この話はやめようじゃないか」
「そうね、せっかく来ていただいたのだから、もっと楽しい話をしましょうよ」
メリアローズは何とか気力を振り絞って、にっこりと社交用の笑みを浮かべた。
ジェフリーはメリアローズの方へちらりと視線をよこすと、何故が得意げな笑みを浮かべて口を開く。
「そうだな。君が王子に婚約破棄された件だが」
――話変わってない! ていうか私、婚約破棄されてないんだけど!!?
どうやらジェフリーは、この話題を出せばメリアローズが傷つくと思っているようだ。
にやにやと笑いながらこちらの様子を伺うさまなど、見ているだけで舌打ちしたくなる。
彼はそういう人間なのだ。
他人が傷ついたりおろおろするのをみて喜ぶような、下種な人種なのだろう。
――駄目よ、挑発に乗っては駄目。淑女たるもの、いつも優雅に微笑んでいなければならないのよ……!
メリアローズは何も言わず、穏やかな笑みをキープした。
オホホ、私はあなたの低俗な挑発になんて乗ってやりませんわよ!……と心の中で叫びながら。
「君は数多くの男と浮名を流しながら、それでも未だに次の婚約にはたどり着けていない。遊ばれているだけなんじゃないのか?」
…………?
数多くの男と浮名を流す、とはなんだ。
メリアローズにはまったくそんな覚えはない。
覚えもないのに、「遊ばれているだけなんじゃないのか?」と言われても、答えようがないではないか。
メリアローズの頭の中を、無数のクエスチョンマークが乱舞した。
「あの、おっしゃる意味がよくわからないわ」
「なるほど、そうやって純情ぶって多くの男を誑し込んでいるわけか」
だからなんでそうなる!
彼の思い込みの激しさに、メリアローズはくらりと眩暈を覚えるほどだった。
「この前も近衛隊の訓練場に来ていただろう。大方、新しい男でも探しに来たんだろう?」
どうやら、メリアローズがウィレムを訪ねて近衛隊の訓練場に行った際に、その姿をジェフリーに目撃されていたようだ。
メリアローズとしては、まったくジェフリーの存在には気づかなかったが。
「あら、それは誤解よ。私がそこに行ったのは……友人に会うためだもの」
「別に、そうやって強がる必要はないだろう」
――だから強がってないってば! いい加減ちゃんと話を聞きなさい!!
ピキピキと怒りを覚えながら、メリアローズは心の中でそう叫んだ。
もちろん、表面上は優雅な笑みを浮かべたまま。
「まぁそこまで――なら……、――ってやってもいいぞ」
「え?」
現実逃避に心の中でひたすらサンドバックを殴り続けていたメリアローズは、うっかりジェフリーの言葉を聞き逃してしまった。
「あの、悪いけど今なんて……?」
「だから!」
聞き返すと、何故かジェフリーは顔を赤く染めて、怒りながら叫んだ。
「どうせ、君にはろくな嫁ぎ先が残ってないんだろう! だから! 僕が貰ってやってもいいと言ったんだ!!」
「………………はぁ?」
その瞬間、ついにメリアローズの顔から、穏やかな淑女の仮面がぽろりと剥がれ落ちた。
「間に合ってるから結構よ」
反射的に、真顔でぴしゃりとそう言い放ってしまう。
するとジェフリーは、がしりと力強くメリアローズの肩を掴む。
思わぬ反撃にメリアローズはびくりと身を竦ませた。
「メリアローズ! いい加減に――」
「はいはいそこまでー」
言葉の途中で、メリアローズとジェフリーの間に割って入ってきた者がいた。
「……バートラム」
とっさにそう呼びかけると、素早くメリアローズとジェフリーを引き離したバートラムは、こちらに向かってぱちんと片目を瞑って見せた。
「公爵令嬢へのおさわりは禁止でーす。次やったら出禁だからな?」
一見からかうように、だがその実「これ以上やったらここから摘まみ出す」と、バートラムはジェフリーに軽い脅しをかけた。
その途端、ジェフリーがギリッとバートラムを睨んだ。
「貴様は……!」
「言っとくけどお前ら、さっきからけっこう目立ってるぞ。ジェフリー、お前もここら辺で引いとけよ。しつこい男は嫌われるぞ?」
メリアローズはその言葉に、はっとして周囲に視線を走らせた。
確かに、それとなく皆がちらちらこちらの様子を伺っているのがわかる。
ジェフリーもここまで注目を浴びては、分が悪いと判断したのだろう。
無言でメリアローズの隣から立ち上がり、すたすたと歩いて行ってしまう。
メリアローズはぽかんとその後姿を見送った。
「…………なんだったのかしら」
何はともあれ彼から逃れることができて、メリアローズはほっと息を吐いた。
すると先ほどジェフリーが座っていた場所に、今度はバートラムが腰を下ろす。
「お前も災難だなぁ。変な奴に絡まれて」
「まったくよ。ありがと、助けてくれて」
「今日はウィレムが不在でよかったな。あいつなら即座にジェフリーに決闘申し込んでただろうな。近衛騎士二人が女を巡って私闘なんて洒落にならねぇからな」
バートラムの言う通り、今日はユリシーズの護衛に別の騎士が付いている。
もしここにウィレムがいたら……と考えて、メリアローズはどきりとしてしまう。
基本的に、騎士団では正規の模擬戦以外の騎士同士の私闘はご法度となっている。
メリアローズがウィレムの足を引っ張るような展開は避けたい。
何故ジェフリーがあんなことを言い出したのかはわからないが、確かに今日はウィレムがいなくて助かったのかもしれない。
そんなことを考えていると、何故か大きなパイを両手に持ったジュリアが、急ぎ足で近付いてきた。
「メリアローズ様! ご無事ですか!? 私、あの人にぶちまける用にクリームたっぷりのパイを持ってきたんです!!」
「やめなさい。クリーニング代請求されるわよ」
過剰にクリームが塗られたパイを見ていると、どっと疲れが押し寄せてくるようだった。
メリアローズは扇で口元を隠しつつ、大きなため息をついた。