109 恋する淑女と近衛騎士(3)
ウィレムがメリアローズを連れてきたのは、訓練場の近くのカフェテラスだった。
休憩中の騎士のほかに、熱心に訓練場を眺めるご婦人方の姿も見える。
ウィレムとメリアローズが二人して席についても、そこまで目立つことはなかった。
「コーヒーと紅茶、どちらにします?」
「……紅茶で」
手早く注文を済ませたウィレムが、ちらりとメリアローズの方へと視線をよこした。
その途端、メリアローズの鼓動が大きく音を立てる。
しばしの間、二人の間には沈黙が落ちていた。何となくウィレムの方を見られなくて、メリアローズは視線を外へと向ける。
――……ダメよ。ちゃんと話さなきゃ。せっかく、ウィレムに会いに来たのに……!
メリアローズが意を決してウィレムの方を向き、口を開いた瞬間だった。
「私――」
「あの――」
数秒間、二人はぽかんと見つめ合っていた。
だがやがて、おかしくなって二人同時に吹き出してしまう。
「何よ、タイミング悪すぎ!」
「あなたもじゃないですか」
メリアローズの目の前で、ウィレムはくすくすと笑っている。
その笑顔を見て、やっとメリアローズの緊張は解けたのだった。
――よかった、いつものウィレムだわ。
「……なんで怒ってたのよ」
メリアローズがそっと問いかけると、ウィレムはどこか言いにくそうに口を開いた。
「……メリアローズさんもご存じかとは思いますが、騎士団は男所帯です」
「えぇ、知ってるわ」
「そんなところに供もつれずに一人で来るなんて……狼の群れに子羊が飛び込んでいくようなものなんですよ」
冗談かと思ってメリアローズはウィレムを見つめたが、彼はひどく真剣な顔をしていた。
……どうやら冗談ではないようだ。
「何を言ってるのよ。近衛騎士隊の高潔な騎士が、そんなこと――」
「さっそく悪質な奴に捕まりかけてたのに何言ってるんですか」
「うっ……」
メリアローズもうすうす感づいてはいた。
先ほどメリアローズに声を掛けてきたハンフリーは、あえてウィレムがここにいないとの嘘をついたのではないかと。
だが、信じたくなかったのだ。
「……そういう人って、多いの?」
「残念ながら。近衛隊に選ばれるような者はたいてい自信家で、落とせない女はいないなんて思ってますからね。理想を抱く気持ちはよくわかりますが、現実も知っておいてください」
「…………そう」
メリアローズは少なからずショックを受けた。
どうやらここに所属する騎士たちは、メリアローズが憧れる物語の中の高潔な騎士……とはかけ離れた者も多いようだ。
ため息をこぼすメリアローズに、ウィレムは心配そうな視線を投げかける。
「だから、気を付けてください。あなたがマクスウェル公爵家のご令嬢だと承知している者なら、よっぽど馬鹿な真似はしないと思いますが……。さっきみたいに無礼を働く輩がいないとも限りませんから」
先ほど、さっそく無礼を働かれたメリアローズは、何も言い返せなかった。
「そんな、誇り高き騎士の中に、ただのナンパ野郎が混じってるなんて――」
「騎士と言っても男ですからね。美しい女性の魅力には抗えないんですよ」
訳知り顔でそう告げたウィレムに、メリアローズは少しだけ不安になった。
「……あなたもそうなの?」
「えっ? いや、その……まぁ、そうとも言えなくもないですけど……」
やたらと慌てた様子を見せながらも、ウィレムは否定はしなかった。
その態度が、ますますメリアローズの心を重くする。
――そう、そうよね……。
王国祭の剣術大会での折に、ウィレムが多くの乙女たちに熱心な視線を注がれていたのを思い出す。
悪い気はしないだろうと思っていた。だが、今の言い方からすると……ウィレムもそんな少女たちの魅力には抗えないというではないか。
近衛騎士隊は乙女たちの憧れの的だ。
当然、今日のメリアローズのように、お目当ての騎士に近づきたいとやってくる乙女もいるだろう。
今だって視線をやれば……少し離れた席に座る令嬢たちが数人、ちらちらとウィレムに熱い視線を送っているのが目に入る。
「……あなた目当てでやって来る女性も多いんでしょうね」
「えっ?」
「良かったじゃない、美しい女性に囲まれて。羨ましいくらいだわ」
駄目だとわかっていても、口から皮肉が飛び出すのを止められない。
――なんで私はもっと可愛いことが言えないのかしら……。
リネットやジュリアや……ウィレムに憧れるような少女なら、こんな時はどうするのだろう。
きっと、メリアローズのように、こんな風に可愛げのない態度は取らないのだろう。
これなら、ウィレムが怒って当然だ。
「……馬鹿なことを」
予想はしていたが、切り捨てるような冷たい言葉を吐かれ、メリアローズはびくりと肩を跳ねさせた。
スカートの上できゅっと握り締めた指先が、みっともなく震えている。
目の前のウィレムが大きくため息をついて立ち上がり、メリアローズはぎゅっと目を瞑る。
こんなメリアローズに愛想をつかして、ウィレムはどこかに行ってしまうのかもしれない。
立ち上がったウィレムが、メリアローズのすぐ傍までやって来たのが気配で分かった。
いよいよ……決別の言葉を切り出されるのかもしれない。
だが、次に耳元で聞こえてきたのは予想外に優しい声だった。
「俺が愛を捧げる姫君は、あなただけですよ、マイレディ」
その言葉と共に手を重ねられ、メリアローズは驚きと共に目を開いた。
ウィレムはそのままメリアローズの手を取ると、そっと指先に口づける。
その瞬間、メリアローズは全身の血が沸騰しそうになってしまった。
――ななな、なんで!? さっきは何ともなかったのに……。
先ほどのナンパ騎士に手の甲に口付けられた時は、寒気こそすれどこんな風にはならなかった。
全身が熱い。嬉しさと恥ずかしさが爆発して、口から魂が飛び出てしまいそうだ。
こんな風になってしまうのも、相手がウィレムだから……?
「いくら美しい女性に囲まれても、俺はいつもあなただけを見ている」
「そそそ、そんな――」
「ある意味、俺もさっきの奴と変わらないのかもしれません。あなたのその、誰をも惹きつける魅力には抗えるわけがないんですから」
「も、もういいわ――」
「いや、よくない。俺がいつも、どれだけあなたのことを――」
「ひゃああぁぁぁぁ!!」
まるで砂糖漬けのケーキを口いっぱいに放り込まれたかのような、ウィレムの甘すぎる口撃に、メリアローズには全面降伏するしか道は残されていなかった。
ちょっとあなたキャラ変わったんじゃない? などと突っ込む隙も無かった。
そして気がついた時には、何か用があるときはメリアローズが使いをやりウィレムを呼び出すか、ここに来るときは供をつけるということを約束させられていたのだ。
――メガネの癖に、メガネの癖に……! はぁ……。
なんとか落ち着きを取り戻そうと、メリアローズは無心に紅茶を口に運ぶ。
「あれ、砂糖入れないんですか? いつもは入れてるのに」
「えぇ……甘さは十分なのよ」
不思議そうに首をかしげるウィレムに、メリアローズは小さくため息をついた。
◇◇◇
一人で帰れると言ったのに、ウィレムは聞いてくれなかった。
彼の時間を奪ってしまうことを申し訳なく思いつつも、メリアローズはそんな彼の気遣いに感謝した。
何よりも、少しでも長く一緒にいられるのが嬉しいのだ。
どこかふわふわとした足取りで、ウィレムにエスコートされるまま……気がついたらメリアローズは王城の見慣れた回廊に戻ってきてしまっていた。
――しまった、せっかく二人で歩いてきたんだから、もっとデート気分を楽しみたかったのに……!
そう後悔しても後の祭りである。
ふるふると悔しさに身を震わせるメリアローズを見て、ウィレムはくすりと笑う。
「今日俺が言ったこと、必ず守ってくださいね」
「わかったわ……」
色々あって、やたらと疲れてぐったりとしたメリアローズは、抗う気力もなく頷いた。
「それと、もう一つ」
「……?」
まだ何かあるのだろうか、とメリアローズは首をかしげる。
ウィレムはちらりと周囲に視線をやり、誰もいないのを確認すると……メリアローズの腕をひっぱり近くの柱の影へと連れ込んだ。
「なにして……っ!」
メリアローズの正面、驚くほど至近距離にウィレムの顔が見える。
背後は壁、傍らには柱。更に正面のウィレムに、気がつけば閉じ込められたような形になっていた。
そのままウィレムがぐっと顔を近づけてきたので、メリアローズの心臓が爆発しそうになってしまう。
そんなメリアローズの反応にくすりと笑うと、ウィレムは吐息がかかりそうなほど近い距離でそっと囁いた。
「覚えておいてください。俺も男だってこと」
見ればわかるわ……などとボケる気にもなれなかった。
きっと、今の自分は熟れた林檎のように真っ赤になっていることだろう。
その反応で、ウィレムにもメリアローズが正確に意味を理解したのが伝わったようだ。
彼はそっとメリアローズの頬を撫でると、甘く囁いた。
「……それでは、俺は戻ります。くれぐれも身の安全に気を付けてください」
「そ、そんなこと……あなたに言われなくてもわかってるわ!」
真っ赤な顔で俯きながら、照れ隠しに少し怒った口調でそう口にすると、ウィレムはどこか余裕を感じさせる笑みを浮かべた。
「怒ってもますます可愛いだけですよ」
「うるさいうるさい! あなたも早く戻りなさい!!」
ウィレムは小さく笑うと、今度こそ、その場から離れていった。
メリアローズもそっと顔を上げ、彼の後姿を見送る。
そして、その姿が完全に見えなくなると、ずるずるとその場に座り込んでしまった。
……駄目だ、油断するとすぐに口元がにやけてしまう。
先ほどのウィレムを思い出すだけで……体が紅茶に落とされた角砂糖のように、甘く溶けてしまいそうになる。
――メガネの癖に、メガネの癖に……いつの間にあんなにかっこよくなったのよ!!
火照った体を冷まそうと、傍らの柱に身を預ける。
だがタイミングが悪かった。
とろとろになりかけていたメリアローズは、ちょうどメリアローズを探していたらしきリネットとジュリアに見つかってしまったのだ。
「あれ、メリアローズ様!? もしかして、お加減でも悪いんですか!?」
「お顔が真っ赤で……大変! すぐにお医者様を!」
「だだだ、大丈夫なのよぉぉぉ……!!」
メリアローズの必死な叫びが、王宮の荘厳な廊下に響き渡り、通り過ぎる人たちは「一体何なのか」と首をかしげるのだった。