13 悪役令嬢、ヒロインに魚を食べさせる
やってきたのは、王室所有の狩場の一つだ。
豊かな森が広がっており、その合間に緩やかな渓流が流れている。
王室所有というだけあって、近くには管理人付きのコテージもあり、もちろん調理場もある。
釣った魚を食べるのには問題なさそうだ。
「わぁ、すごい! 王都の近くにこんなところがあったんですね!!」
馬車を降りた途端、ジュリアは嬉しそうにきょろきょろとあちこちを見回していた。
「ふふ、嬉しそうね。あなたの故郷もこういう場所なのかしら」
「はい! ほんとにこんな感じの田舎で……懐かしくなっちゃいます!!」
本来ならここは、田舎出身ということをジュリアが恥じるはずの場面なのだが、彼女は満面の笑みを浮かべてメリアローズにそう返してきた。
その予想外の返答に、メリアローズは思わず言葉に詰まってしまう。
くっ、格好のせいか今日はいつも以上に悪役令嬢らしさが損なわれている気がする。
これはいかん。なんとか挽回せねば……!
メリアローズは気を引き締め、頭を回転させた。
「ユリシーズ様、私楽しみですわ。きっとユリシーズ様なら素晴らしい大物を釣り上げられますよね」
甘えるようにユリシーズにしなだれかかり、ちらりとジュリアに目配せして見せる。
さあ悔しがれヒロインよ! そして嫉妬の炎を燃やすのだ……!!
するとジュリアは、狙い通りに頬を膨らませた。
「じゃあ競争しましょう、王子! メリアローズ様は私の捕った魚も食べてくださいね!!」
「ははは、負けないよ、ジュリア」
「私だって負けませーん!!」
違う、そうじゃない!……とメリアローズは心の中で涙した。
ジュリアが張り合うべき相手は王子でなく、メリアローズでなければならないのである。
ユリシーズもユリシーズだ。ジュリア相手に競ってどうする。
ここは、ユリシーズが釣り上げた魚でジュリアの心も釣り上げる絶好のチャンスであるというのに……!
メリアローズの心中も知らず、王子とジュリアは相変わらずのん気な会話を繰り広げていた。
さて、残りの当て馬たちもやってきたところで、いよいよ釣りの開始である。
ジュリアは参加する気満々のようだったが、メリアローズとリネットは見学に留めておいた。
本当は参加しようと思っていたのだが、魚を引き寄せる餌を見た途端卒倒しそうになったので、断念したのである。
「任せてください、メリアローズ様、リネット様! 私がお二人の分も大物を仕留めて見せますから!!」
青ざめる令嬢二人に対し、ジュリアはノリノリで持参した釣り竿に巻きつけられた布を解いていく。
そしてその下から現れたのは、釣り竿ではなかった。
「あの、ジュリア」
「なんですか?」
「それは、いったい……」
メリアローズの問いかけに、ジュリアはいつものように満面の笑みで答えてくれた。
「銛です」
ジュリアが手にしていたのは、まるで長いフォークのような、どう見ても貴族令嬢が手にするには不似合いな道具だったのである。
メリアローズは言葉を失った。
「さすがだね、ジュリア。僕も負けてられないな」
「えへへ! ちんたら魚がかかるのを待つなんて性に合いませんから! これでぐさぐさやってやりますよ!!」
意中の相手が物騒な武器を手にしているというのに、王子はまったく動じることなくいつもの王子スマイルを浮かべている。
メリアローズはくらりと眩暈がした。
それでいいのか、王子よ……!
「今日の子猫ちゃんはまるで獲物を狙うチーターだな」
「やだぁ、バートラム様ったら!」
バートラムもこの事態に混乱しているのか、わけのわからない言葉をジュリアに囁いている。
それでも当て馬としても行動を忘れないのは、さすがというべきなのかもしれない。
ジュリアの方も、まんざらではなさそうに照れているではないか。
「大丈夫、大丈夫よ……。ジュリアが魚を食べれば全部うまく収まるはずよ……!!」
「メリアローズさん、少し休んだ方がいいですよ」
振り返れば、コテージの管理人が王子やそのご友人の為に木陰に休憩用のテーブルや椅子を並べていた。
ウィレムに勧められ、心を落ち着けるためにもメリアローズは一旦休憩することにしたのである。
一体、ここに何をしに来たんだったかしら……。
そう遠い目になるメリアローズの視線の先には、ざぶざぶと川の中に入ったジュリアがいた。彼女は「セイヤッ!」と勇ましい雄たけびを上げながら、次々に魚を仕留めていたのである。
結果は、ジュリアの大勝であった。彼女の圧倒的な銛さばきは、他者の追随を許さなかったのである。
次点は意外にもウィレムだった。彼は王子とバートラムが大物を狙う間に、地味に小さな魚を次々と釣り上げて数を稼いでいたのである。
互いの健闘を称え合う王子とバートラムを見ながら、メリアローズは大きくため息をつく。
もはや彼女の頭の中には、なんとかしてジュリアに魚を食べさせ、忠実に作戦指示書の内容を実行するという一点しかなかったのである。
一行が仕留めた魚は、すぐさまコテージの管理人が捌き、見事に調理してくれた。
ついでに肉や野菜なども焼いて、彼らは年相応にバーベキューを楽しんだのである。
「ジュリア、食べなさい」
もちろん、メリアローズは最大の目的であるジュリアに魚を食べさせる、というイベントも忘れてはいない。
ジュリアはメリアローズが差し出した魚を見ると、慌てたように両手を振ってみせた。
「そ、そんな……! 畏れ多いです!!」
「何言ってるのよ。あなたが一番の功労者でしょう。いいから食べなさい」
「はいぃ……!」
ジュリアはどこかうっとりした表情で、メリアローズの差し出した魚を受け取った。
そして、ぱくりと、確かにその魚を口にしたのである。
……やった!
まるで白雪姫に毒リンゴを食べさせることに成功した魔女のように、メリアローズは内心で飛び上がって喜んだ。
これこそが悪役令嬢。作戦指示書通りに、完璧な悪役令嬢を演じてみせたのである……!
「オーホッホッホ!」
「なんかその格好でその笑い方されるとすごい違和感あるな」
「お黙りなさい!」
「はは、二人は仲がいいんだね」
からかうようなバートラムにキャンキャンと噛みつくメリアローズ。それに二人をにこにこと見守る王子を見て、リネットは誰にも気づかれないように小さくため息をついた。
そんなリネットに、ジュリアがキラキラした瞳で声をかけてくる。
「リネット様、メリアローズ様って……本当に素敵な方ですね!」
そう同意を求められたリネットは……ジュリアに向かってにっこりと微笑んでみせた。
「えぇ、この国一番の令嬢ですもの!」
「やっぱり! 憧れるなぁ~」
「こうしてご一緒できるのが誇らしいわ!!」
リネットとジュリアはきゃいきゃいとメリアローズの話で盛り上がっている。
幸いなことにメリアローズはバートラムを突っつくのに忙しく、二人の会話の内容までは聞こえていないようだ。
もし聞こえていれば、きっと自らの悪役令嬢攻撃がまったく効いてないことにショックを受け、一週間は寝込んだであろう。
そんな皆の様子を見て、ウィレムは一人嘆息した。
……もうメリアローズの悪役令嬢っぷりで、ジュリアを怯ませるのには期待しない方がいいだろう。
ただ、自分たちは何とか穏便に王子とジュリアを相思相愛にさせ、王子にメリアローズとの婚約破棄を宣言させなければならないのである。
ジュリアはあのざまだが、周囲の生徒たちはメリアローズのことを、可憐なジュリアを虐める悪女だと少しずつ思い始めているのは確かだ。
そして、王子がジュリアを想っているのも確かなはずなのだ。
こうなったら、なんとかこのまま突っ走るしかない……!
きらり、と眼鏡を光らせ、ウィレムは一人そう決意したのである。