104 新たな季節
『もう、この思いを抑えられない』
彼の熱情を秘めた視線が私を射抜く。
それだけで、私は絡めとられたように動けなくなってしまう。
彼の指先が私の体に触れ、そのまま彼の腕の中に捕らわれても……抵抗することはできなかった。
だって、冷めない熱に蝕まれているのは……私も同じなのだから。
『ずっと夜が明けなければいい。朝が来れば、また君はここから逃げてしまうのだろう。だから――』
大きく節くれだった手が私の頬に添えられる。
彼の瞳が、視界いっぱいに広がっていく。
そして――
◇◇◇
「なーに読んでんだ?」
うららかな春の昼下がり。
王宮の周囲に広がる巨大な庭園の一角にて。
夢中になって本の世界に入り込んでいたメリアローズは、背後から突然声を掛けられ、思わずその場から飛び上がってしまう。
「ひゃああぁぁぁ!!?」
「うぉっ!?」
慌てて振り返ると、バートラムが驚いたように目を見開いてこちらを見つめている。
読書に熱中するあまり、メリアローズはまったく彼の気配に気づいていなかった。
それこそ口から心臓が飛び出そうなくらい驚いてしまったのである。
「いいい、いきなり声をかけないでよ! 驚くじゃない!!」
「今から声掛けますよ、なんて言う方が変だろ! つーか、何でそんなに慌ててんだ?」
「べべ別に!? 私は何もやましいことなんてしてないわ!」
慌てて読んでいた本を、他の真面目な本の下へと滑り込ませる。
よし、これで隠蔽完了。メリアローズは落ち着きを取り戻すように咳ばらいをし、あらためてバートラムへと向き直った。
「それより……あなた今仕事中じゃないの?」
そう問いかけると、バートラムは意味深に笑う。
それだけで何となく事態を察し、メリアローズは大きくため息をついた。
季節は巡り、この春メリアローズたちはロージエ学園を卒業した。
ジュリアが無事に卒業試験を通過できるかどうかが、長い間メリアローズの心配の種だった。
だが、ジュリアもギリギリとはいえなんとか試験をパスすることができたのだ。
隙あらばダラけるジュリアを文字通り引きずるようにして、時には椅子に縛り付けて、地道に勉強会を開き続けたのが功を奏したのだろう。
由緒正しき貴族たちの学び舎――ロージエ学園を卒業した後の生徒の進路は、実に様々である。
上位課程を学ぶために大学に進む者、他国に留学する者、王宮で宮仕えを始める者、領地に戻り、領主としての仕事に携わる者、聖職や商売の道に進む者……。
はたまた既に婚約者のいる貴族令嬢であれば、卒業と同時に結婚というパターンも少なくはない。
そんな中メリアローズが選んだのは、王宮へと上がる道だった。
メリアローズの友人であるリネットは、第一王子ユリシーズの婚約者である。
学園を卒業したとなれば、いよいよ本格的な妃教育が始まるのだ。
元々ユリシーズがリネットを見初めるきっかけを作ったのも、メリアローズなのである。
陰謀渦巻く王宮にリネット一人を放り込み、自身は悠々とお気楽公爵令嬢ライフ……というわけにもいかないのだ。
リネットを心配したユリシーズに、教育係就任を直々に頼まれたということもあり、メリアローズの王宮での新生活が始まったのである。
「あなたの職場は確か……史書編纂室だったわね。こんなところで何をしてるのよ」
メリアローズがそう問いかけると、バートラムはぱちん、とこちらに向かってウィンクを飛ばしてきた。
「メリアローズ、フィールドワークっていうのも大事なんだよ」
「何がフィールドワークよ……」
相変わらずの軽薄さに、メリアローズは大きくため息をついてしまった。
学園を卒業後、バートラムもメリアローズと同じように宮仕えを始めた。
所属はなんと、史書編纂室という地味な部署である。
メリアローズは派手な彼の地味な就職先を意外に思ったが、すぐにその理由は分かった。
――フィールドワークとかなんとか言って、王宮の女性を口説きまわりたかっただけなのね……!
最近は行く先々で、彼が宮廷に出入るする女性を口説く場面を目にすることができる。
てっきり休憩時間の多い職場なのだと思っていたが、どうやら彼は仕事中にもかかわらず、ふらふらと遊びまわっているようだ。
地味な閑職など普通の貴公子であれば嫌がりそうなものだが、彼にとっては渡りに船なのかもしれない。
むしろ、暇そうな部署を探して彼自ら志願したのだろう。
「お前こそこんなところで何やってんだよ。リネットの教育はどうしたんだ」
「リネットはただいま語学の授業中よ。私は自己研鑽のための読書中。ふらふら遊びまわってるあなたと一緒にしないでほしいわ」
ここ最近のメリアローズは、様々な知識を得ようと、以前にもまして読書に没頭していた。
今も王宮の書庫で借りた本をお供に、庭園の一角に位置する池のほとりでのんびり読書中だったのである。
メリアローズが胸を張ってそう告げると、何故かバートラムはにやにや笑っていた。
「ふーん、『クールな騎士のイケナイ♡誘惑』を読んで勉強してたわけか」
「きゃああぁぁぁぁ!!」
直前に読んでいた恋愛小説のタイトルを読み上げられ、メリアローズは羞恥のあまり絶叫した。
しっかりと隠蔽できたと思っていたが、どうやら彼は目ざとく本のタイトルを見ていたようだ。
「と、殿方にはわからないかもしれないけど……こういう駆け引きの仕方を学ぶのも大事なことなのよ!?」
慌てふためくメリアローズはとっさにそう叫ぶ。
すると、バートラムはにやにや笑いながら近付いてきた。
そして、彼は馴れ馴れしくメリアローズの肩を抱いてきたのだ。
「ちょっと……」
「水臭いな、メリアローズ。本に頼らなくても、そういうことなら俺に相談してくれよ」
春という季節がそうさせるのかもしれない。
バートラムはやたらと浮かれた調子でメリアローズの耳元で囁く。
「俺に言ってくれれば手取り足取りじっくり……いけないレッスンを――」
「あら、ユリシーズ様にウィレムだわ」
「ぎゃあああぁぁぁぁ!!!」
二人の名前を出した途端、バートラムは先ほどのメリアローズのように絶叫して、弾かれたように飛び退いた。
だがその拍子にバランスを崩したのか……バシャーン! と盛大な水音を立てて、彼は背後の池へと転落したのだ。
水しぶきから本を守りつつ、メリアローズはその光景を見てくすりと笑う。
「あらごめんなさい、見間違いだったみたい」
「お前なぁ! マジで焦っただろ!!」
「見られて焦るようなことを堂々とする方が悪いのよ。いいじゃない、水も滴るいい男ってことで」
「まったくお前は……」
全身びしょぬれになったバートラムが、ぶつくさ文句を言いながら池から上がってくる。
そんな彼を見て笑っていると、メリアローズの視界の端に見慣れた姿が映った。
「あ……ユリシーズ様とウィレム――」
「またかよ。今度はその手には引っかからないからな! 嘘ばっかりつくお嬢様には、俺が愛を込めたお仕置きを――」
「お仕置きが必要なのはお前の頭だろ」
「うわぁ!?」
唐突に背後から第三者の声が聞こえ、バートラムは驚いたのか再び池に転落した。
本当に騒がしい人ね……と呆れながら、メリアローズは立ち上がり、やって来た相手に丁寧に淑女の礼をとる。
「ご機嫌よう、ユリシーズ様、ウィレム」
「やぁメリアローズ、いい天気だね」
「メリアローズさん、バートラムの奴に何かされませんでしたか」
いつものように穏やかな笑みを浮かべるこの国の王子――ユリシーズに、彼の護衛として付き添うウィレム。
そんな二人を見て、メリアローズはにこりと笑った。
【お知らせ】
書籍二巻が三月中旬に発売決定しました!
こちらの二章をベースに、かなり書き直した感じになります。
イラストが超超超絶素晴らしいので、是非お手に取ってみてください!
というわけで、自分の尻を叩く意味でも三章の投稿を開始します。
まだ全部分は書き終えてないのでぼちぼち投稿になるかとは思いますが、よろしくお願いします!