12 悪役令嬢、ヒロインになめられる
そして、運命の日がやって来た。
どうやらウィレムは同じ学園に通う者で親交を深めるために、という名目で王子とジュリアをほいほい呼び寄せることに成功したようだ。
今回参加するのは、王子の鯉を……ではなく恋を応援したい隊のいつもの四人と、王子、それにジュリアの総勢六名である。
場所は王室御用達の狩場である。邪魔が入る心配はしなくともよいだろう。
「あっ、メリアローズ様! おはようございます!!」
やってきたジュリアはメリアローズの姿を目にすると、いつものようにニコニコと満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
まったくこの少女は最初の食堂での出会い以来、いくらメリアローズが完璧な悪役令嬢っぷりを披露しても、少しも堪えていないようだ。それどころか、このように嬉しそうに近づいてくるのである。
周囲は順調にジュリアに同情しメリアローズへのヘイトを溜めているというのに、当の本人はなぜこんなに堂々としていられるのか。メリアローズには理解不能だった。
「おはよ、子猫ちゃん! その服も似合ってるよ」
そう言って馴れ馴れしくジュリアの肩を叩き、朝っぱらから歪みない当て馬っぷりを見せつけてくれたのは、いつもよりいくらかラフな服に身を包んだバートラムだった。
当て馬の登場に焦るかと思った王子は、のん気に「おはようバートラム、どちらがたくさん魚を釣れるか競争しよう」などととぼけたことを口にしていた。
その様子にメリアローズは思わず小さくため息をついてしまう。
すると、ジュリアがじっとこちらを見ていることに気がついた。
「ジュリア、どうかしたのかしら」
「その……メ、メリアローズ様の御召し物は素敵ですね……!」
ジュリアは、どこか熱っぽい口調でそんなことを口にしたのだ。
「あら、そう?」
「えぇ、いつもと雰囲気が違うけど……今日のメリアローズ様もすっごく素敵です!」
ジュリアはきらきらと大きな空色の瞳を輝かせて、盛んにメリアローズを褒めたたえていた。
これは作戦なのか? フェイントなのか!?
メリアローズは混乱しつつも、「えぇありがとう」と優雅に返しておいた。
今日のメリアローズはいつもの悪役令嬢スタイルではなく、身軽な乗馬服に身を包んでいる。
野外での活動ということで化粧も必要最低限に抑えているし、長い髪もいつものようにきつい縦ロールにするのではなく、自然のまま後頭部で一つにまとめているのだ。公爵令嬢の野外にお出かけスタイルなのである。
そこでメリアローズは気がついた。
まずい、この格好では悪役令嬢としての威厳がなくなってしまうではないか……!
これではジュリアが気安く話しかけてくるのも納得である。
焦るメリアローズをよそに、何故かジュリアはメリアローズの傍に控えていたリネットと共に、メリアローズを褒めたたえながら盛り上がっていた。
「今日のメリアローズ様は一段と素敵で!」
「狩猟の女神アルテミスもメリアローズ様を見れば裸足で逃げ出しますわ!」
「私が獲物なら喜んで身を捧げます!」
「メリアローズ様に釣り上げられたいっ!!」
幸いにも、二人の言葉は慌てるメリアローズの耳には入っていないようだ。
その光景を見て、バートラムは苦笑した。
「まー、確かに今日のメリアローズはまったく悪役って感じしないよな。なぁウィレム?」
一緒に来ていたウィレムに同意を求めたが、返事がない。
不審に思って振り向くと、ウィレムはどこか呆気にとられた表情で、魅入られたように一心にメリアローズの方を見つめていたのだ。
その様子に、バートラムはにやりと口角を上げる。
「おい、どしたメガネ。まさかメリアローズに惚れたのか?」
「ちっ、違っ!!」
「ははっ、そんな焦んなって! 確かにあいつ普通にしてればすっげぇ美人だからなぁ」
バートラムは自他共に認める恋多き男だ。
この学園に入学前から、領主である父がその頭を悩ませ周囲に愚痴をこぼすほどの、色男っぷりを余すことなく発揮していた。
そんな女性慣れしているバートラムだからこそ、「マクスウェルの至高の薔薇」とも称えられるメリアローズを至近距離で見ても、己を見失うほど心奪われることはない。
だが、きっと耐性のない人間にとってはそうではないのだろう。
バートラムの友人の中でも何人も、一目でメリアローズに心奪われた者たちがいる。彼らは正々堂々とメリアローズに求愛し、見事に散っていった。
普段のメリアローズは、悪役令嬢スタイルとあの態度のおかげで、とっつきにくい印象を持たれている。だが素のメリアローズは、王子にも引けを取らないほどに、男女問わず他者を惹きつけてやまないのである。
「頑張れよ。王子と破局すればお前にもチャンスあるんじゃね?」
「だからそんなんじゃ――」
「はは、冗談だって!!」
いくらメリアローズに心惹かれたとしても、まずは彼女の視界に入るだけで一苦労。
更には娘を溺愛する公爵、婚約者の完璧王子などがメリアローズの傍には控えているのだ。
並みの男では、彼女の心を奪うことなどできないだろう。
案外、この悪役令嬢作戦はメリアローズにとってもよかったのかもしれない。
もしメリアローズが素のままで学園に入学すれば、きっと彼女を巡る貴公子たちの血で血を洗う争いが繰り広げられたことだろう。
今更ながらに、バートラムはそう考えた。
◇◇◇
目的地へ向けて、馬車は進んでいく。
メリアローズの乗る馬車には、王子とジュリアが同乗していた。
メリアローズはここぞとばかりにぴったりと王子に寄り添ってジュリアにアピールしてみた。
だが、ジュリアはそんな悪役令嬢の攻撃などどこ吹く風で、のん気に魚釣りの話などをしているではないか。
「でも魚捕るのなんて久しぶりです! うまくできるかな……」
「ジュリアなら大丈夫だよ。君は自然に愛されているからね」
「もう、王子さまったらー!」
自然に愛されているじゃなくて、「僕は君を愛してる」くらい言えよっ!!……とメリアローズは心の中で憤っていた。
王子とジュリアの会話は確かに仲睦まじく聞こえるが、内容は実にのほほんとしたものであったのだ。
もっと、もっと色っぽい会話をしろ!……とメリアローズはひたすら念じ続けた。
「メリアローズは釣りは得意なのかい?」
「えっ? いえ、お恥ずかしながらあまりそういった経験はないものですから……」
急にユリシーズに話を振られて、メリアローズは慌てつつも何とか言葉を返す。
なんだ、二人の世界が形成されているかと思ったら、王子は一応メリアローズの存在を認識していたようである。
公爵令嬢たるメリアローズは、自分で釣りなどしたことはない。
今日の計画もとりあえずバートラムかウィレムあたりに魚を釣らせて、それをジュリアに食べさせておこうと思っていたのだ。
「安心してください! メリアローズ様の分も私がばばーんと捕ってやりますから!!」
ジュリアはなぜか奮起した様子で、鼻息も荒く布でぐるぐると巻かれた釣り竿らしきものを握り締めている。
「それはあなたの道具なの?」
「はいっ! ここに来てから使う機会がなかったんですけど、楽しみです!!」
何故か得意気なジュリアに、ユリシーズは慈愛に満ちた笑みを向けている。
……これでいいのだろうか。
例の作戦指示書では、メリアローズが取り巻きに学園の池の鯉を捕まえさせ、その場でジュリアに食べさせるとなっていた。
バートラムかウィレムに釣らせた魚を、焼いてその場でジュリアに食べさせる。
もしくは、ジュリアが釣った魚をジュリアとメリアローズが共に食べる……。
大丈夫。作戦指示書から大きく外れていないはずだ。
外れてはいない、はず……。
メリアローズは珍しく弱気になっていた。
なんせ、この王子とジュリアをくっつける作戦が失敗した暁には、メリアローズ達の処刑もあり得ない話ではないのである。
お願い、私の未来はあなたたちにかかってるの……!
メリアローズは必死にそう祈りながら、他愛のない会話を交わす王子とジュリアを眺めていた。