悪役令嬢の華麗なる浮気調査③
「嫌がるレディを無理やり連れ出そうなんて、紳士の風上にも置けませんわ。出直した方がよろしくってよ」
わざと高慢に聞こえるように、ウィレムの連れの少女に絡む男たちに、ことさら嫌味ったらしくメリアローズはそう言い放つ。
彼らの注意を、彼女からこちらへ向けるためだ。
――大丈夫。彼らもこんなところで暴力沙汰に及ぼうとは思わないはずよ……!
内心の焦りを表に出さないように、メリアローズは優雅な笑みを浮かべて彼らを見据える。
てっきりすぐに突っかかってくるとばかり思っていたチンピラたちは、驚いたようにメリアローズを凝視したままだ。
――……なに? なんなの? 私の顔に何かついてた!?
そう考えてみても、特に思い当たるふしはない。
ちらりと自身の格好に視線をやると、先ほど植え込みの陰に隠れた時についたのか、服の裾にまだ葉っぱが一枚張り付いていた。
素早く、かつ優雅に葉っぱを払い落とし、失態を誤魔化すためにメリアローズは追撃を加えることにした。
「あらあら、これだけ言ってもわからないなんて――」
「…………げぇ」
「え?」
チンピラのうちの一人が、何かぽそりと呟いた。
メリアローズが思わず聞き返すと、彼は何故かやたらと嬉しそうに、メリアローズの方へ距離を詰めてきたのだ。
「すっげぇ美人……! なああんた、名前は? この辺りに住んでんの?」
「……え? え!?」
「今暇? 俺と遊ぼうぜ!」
「ち、ちょっと……!」
もしや殴り掛かられるのでは……とは考えていたが、キラキラした目で手を握られるなどとは想定もしていなかった。
予想外の展開に、メリアローズはあたふたしてしまう。
「お嬢様から手を離しなさい!」
「おっ、もう一人女の子がいんじゃん! 三対三でちょうどよくね?」
メリアローズを守ろうと飛び出してきたシンシアを見て、チンピラたちは更に嬉しそうに口笛を吹いた。
その様子に、メリアローズは愕然とする。
――ま、まったく話が通じてない……! こんなの初めてよ!!
悪役令嬢式の嫌味が通じない相手の出現に、メリアローズは呆然としてしまう。
的確にメリアローズの悪役令嬢っぷりを感じ取り、恐れおののいていた学園の生徒たちとは違い、彼らはメリアローズの言葉の意味を欠片も理解していないようだ。
貴族式会話が通じるのは貴族だけ。メリアローズはその常識を忘れていた。
そう気づいて、メリアローズは柄にもなく焦ってしまう。
「なあなあ、一緒に行こうぜ。いいとこに連れてってやるからさ!」
「ちょっと……!」
男たちの中の一人が、握ったままだったメリアローズの手を引く。
その拍子にメリアローズがふらつきかけた、その瞬間だった。
ヒュッと風を切るような音と共に、何かが物凄い勢いでメリアローズ達の方へ飛来し、目の前の男の後頭部に激突したのだ。
「うわっ、なんだ!?」
男が素っ頓狂な声を上げて、自身の後頭部に手を当てる。
すると、クリームがたっぷり塗られたケーキが、ずるりと彼の後頭部から滑り落ちた。
「うわっ、汚っ!!」
更には彼がそう叫んだのと同時に、物凄い勢いでこちらへ駆けてきた人影がメリアローズの視界に入る。
次の瞬間、彼は鮮やかな動きでメリアローズの手を握っていた男を蹴り飛ばした。
男は周囲のテーブルや椅子を巻き込むようにして物凄い勢いで吹っ飛び、壁に激突して動かなくなる。
あっという間の出来事に、メリアローズはただぽかんとその光景を見つめることしかできなかった。
「……汚い手で触るな」
凍り付きそうなほど冷たい眼差しで動かなくなったチンピラを見据え、彼を蹴り飛ばした人物――ウィレムが不快そうにそう呟いた。
「ウィレム…………」
自然と口から零れ落ちた名前に、彼がメリアローズの方を振り返る。
その途端、彼の表情が安堵に緩んだのがメリアローズにはわかった。
「お怪我はないですか、メリアローズさん」
先ほどの態度とは一変し、彼はそう言って気遣わしげにメリアローズの手を取り、恭しく指先に唇を落とす。
その瞬間、メリアローズの胸は爆発しそうなほど高鳴った。
だがすぐに今の状況を思い出す。
そうだ、今はときめいている場合ではない……!
「わ、私は大丈夫だけど、あの子が……」
こんなことになってしまい、きっと彼女は怯えていることだろう。
ウィレムの連れの少女は、呆然と吹っ飛んだ男の方を凝視している。
そして、彼女は悲痛な声で叫んだ。
「ひどいっ! 私のケーキが滅茶苦茶じゃない! ウィレムのバカっ!!」
「うるさい。後でまた買ってやるから我慢しろ」
え、気にするのそこなの……? と、メリアローズは絶句した。
確かに、ウィレムが彼女の為に買ったと思われるケーキは、吹っ飛んだチンピラの後頭部でぐちゃぐちゃになってしまっている。
頬を膨らませて抗議する少女に対して、ウィレムは呆れたような態度を隠そうともしない。
その光景を見て、メリアローズは驚いてしまう。
――え? 恋人に対する態度にしては、ちょっと冷たくない……?
そんなつっけんどんな態度が許されるのは、物語の中のイケメンだけだと相場は決まっている。
現実ではなかなかイケメン無罪は適用されないのだ。
それに、普段女性には丁寧な態度を崩さないウィレムのらしからぬ言い方に、メリアローズは呆気にとられた。
一方の少女はまだウィレムに対しぶつぶつと文句を垂れていたが、そんな彼女の肩をチンピラの一人が強く掴み、怒気を露わにして叫んだ。
「な、なんだてめぇ……! いきなり何しやがる!!」
チンピラの一人は、少女を盾に取るようにして怒鳴っている。
仲間の一人が吹っ飛ばされたことで呆然自失していたようだが、やっと現実に戻ってきたのだろう。
メリアローズは慌てたが、ウィレムの方は涼しい表情でその様子を眺めていた。
「ウィレムっ……! あの子を助けないと!」
「えっ?」
「え、じゃないでしょう! か弱い女性を助けるのが、騎士道精神ではないの!?」
「いや、それは……」
歯切れの悪い返事をしたウィレムは、何故か恋人であるはずの少女を助けようとはしない。
恋敵であるはずの少女のピンチに、メリアローズの方が焦ってしまうほどだ。
「こうなったら私が――」
「いや待ってください! あいつなら大丈夫ですから!!」
メリアローズは少女を助けようと一歩足を踏み出したが、すぐに背後からウィレムの腕が伸びてきて、抱き寄せるように制止されてしまう。
馬鹿、そんなことされるとドキドキしちゃうじゃない……! と喉元まで出かかったのを押さえ、メリアローズは慌てて少女を人質にとるチンピラの方へ意識を戻す。
相変わらず何か喚くチンピラに肩を掴まれ、少女は不安そうに瞳を揺らしている。
「何を言ってるの! 早くしないとあの子が――」
「本当なんですって! ……ロッティ」
ウィレムが少女に呼びかける。
すると少女は、おそるおそるといった様子でウィレムの方を見つめ返した。
「遠慮はしなくていい。ぶちかませ」
ウィレムが少女に向かって、素っ気なくそう告げる。
いったい何を言ってるの!……とメリアローズは慌てたが、次の瞬間、更に衝撃的なことが起こったのだ。
「うぐぁ!!」
チンピラの一人に強く肩を掴まれていた少女が、背後の男に対して強く肘打ちをかましたのだ。
男がよろけたすきに、少女はするりと男の拘束から抜け出した。
かと思うと鮮やかな動きで身をひるがえして、腰を深く落とす。
「はああぁぁぁぁぁ!!」
そして、周囲が思わず怯んでしまうような気迫をまき散らしながら、少女は真っ直ぐに鮮やかな正拳突きを放ったのだ。
「…………ぇ?」
小柄な少女の繰り出す、惚れ惚れするほど華麗な正拳突き。
その衝撃を真正面から受け止めた男は、先ほどのチンピラ1号にひけを取らないほど、ものの見事に吹っ飛んだ。
彼は落雷のような音を立てて、テラスのテーブルや椅子を派手に薙ぎ倒しながら背後に吹き飛び、花壇に激突して動かなくなる。
その光景はまるで、芝居の一幕か何かのようだった。
ぱちぱちぱち、と事態を見守っていた他の客から、思わず拍手が上がったほどである。
メリアローズはその光景に呆気に取られていたが、やがて冷静に周りを見て、仰天した。
――こ、これは、まずいかも……!
ウィレムと少女が派手にチンピラ二人を吹っ飛ばしたおかげで、たった数分の間に、王都でも指折りのお洒落なカフェテラスは実に悲惨な有様になっていた。
呆然とするメリアローズの耳に、少女の小さな呟きが届く。
「そんな、どうして……」
少女は愕然とした表情で、勢いよくウィレムとメリアローズの方を振り返る。
「ウィレム、あの人どうして受け身を取らないの!? 反撃もしてこないわっ!!」
え、気にするのそこなの……? と、メリアローズは再び絶句した。
その隣で、ウィレムが静かに少女を諭している。
「ロッティ……ここではそれが普通なんだ。誰しもすぐに受け身からの反撃に転じることができるわけじゃないんだ……」
「そんな! どうしよう、私……とんでもない事をしちゃったんじゃ――」
はっとしたように口元を手で押さえる少女に、メリアローズはもうわけがわからなくなってしまった。
――いったい、何がどうなってるの……?
混乱するメリアローズの肩を、そっとウィレムが抱き寄せる。
思わずどきりとして頬を染めたメリアローズに、ウィレムは小声で告げた。
「……人が増えてきたので、場所は変えた方がよさそうです」
「お嬢様、この場は私にお任せください。ウィレム様、お嬢様をよろしくお願いいたします」
シンシアがそう申し出てくれたので、メリアローズは彼女に向かってそっと頷いた。
この騒動のおかげで、カフェテリアの周りに少しずつ野次馬が集まり始めている。
いつまでもマクスウェル公爵家の令嬢であるメリアローズがここにいては、あらぬ噂を立てられ大変なことになってしまうかもしれない。
店の方にも、事情の説明と謝罪をしなければいけないだろう。
幸いシンシアはそう言った交渉事には長けている。マクスウェル公爵家の力を使えば、なんとか穏便に事態を揉み消し、この場を収めることができるだろう。
「ありがとう、シンシア。任せるわ」
「シンシアさん、メリアローズさんは必ず俺が責任を持って送り届けますので、ご安心を」
ウィレムは優しくメリアローズの手を取ると、おろおろしている少女に向かって声を掛けた。
「ロッティ、行くぞ」
「う、うん……」
そうして、メリアローズとウィレムと少女の三人は、こそこそと大惨事の現場となったカフェテリアを後にしたのだった。