悪役令嬢の華麗なる浮気調査②
ウィレムと少女は、楽しそうに会話を交わしながら通りを進んでいく。
その姿はどう見ても、仲の良い恋人同士にしか見えない。
これはどう考えても浮気だ。悪役令嬢とその侍女は見た!……状態なのである。
「いっそここから吹き矢で狙い打ちしてやりましょうか」
「シンシア、先走りすぎよ!!」
シンシアなどはよほど腹に据えかねたのか、どこからか吹き矢を取り出しウィレムの背に狙いを定めている。
周囲の視線が痛くなってきたので、メリアローズはどうどう、と荒ぶるシンシアを諫めつつ、不安にざわめく胸を押さえる。
その視線の先にいるのは、ウィレムと例の少女だ。
――確かに、すごくかわいい子ね……。やっぱりウィレムも、ああいう子がタイプなのかしら……。
彼女が歩くたびに、艶やかな栗色の髪が美しく揺れる。
清楚でたおやかなな雰囲気の、小柄な少女だ。全体的な印象は、リネットに似ているかもしれない。
穏やかに笑う少女は、メリアローズの目から見ても、文句のつけようもなく愛らしかった。
――ああいう子が殿方に人気があるのよね……。きっと、ウィレムも――
リネットも学園の男子生徒に秘かに人気があると、以前バートラムが教えてくれた。
家柄目当ての令息か、「是非そのおみ足で踏んでください! ブーツでも可!!」という狂人ばかり寄ってくるメリアローズからすれば、少し羨ましいと言えなくもない。
……ウィレムだって普通に考えれば、あの少女のような、穏やかで愛らしい女性に心惹かれるものなのだろう。
そんなことを考え心が沈みかけた時、二人が急に立ち止まった。
――やばっ、見つかった!?
メリアローズは慌ててシンシアを引きずり、近くの店のオブジェの陰に飛び込んだ。
一瞬、追跡がばれたのかと焦ったが、どうやらそうではないらしい。
ウィレムと少女は何か一言、二言話し合い、目的地が定まったのか再び歩き出した。
メリアローズも十分に距離を保ちながら、二人の後を追う。
やがて二人は、王都でも人気のあるカフェテリアへと足を踏み入れた。
店内だけでなく店の外にも席が設けられており、今も多くの人が愉しそうに談笑に興じている。
――ふぅん……完全にデートじゃない、これ。
若い男女が仲睦まじく城下町にショッピングに繰り出し、少し疲れたからカフェテリアで休憩といったところか。
これはデートだ。間違いなくデートであると断言できる。大臣に貰った本では何度も見た展開だ。
はらはらと二人の様子を見ていたメリアローズも、だんだんイラついてきた。
ウィレムはメリアローズの追跡に気づくそぶりもない。それだけ、傍らの少女にだけ意識を注いでいるのだろう。
こんな単純な追跡にも気づかないとは騎士の名折れよ……と、メリアローズは今すぐ説教したい思いに駆られる。
……駄目だ、胸がむかむかしてきた。
「お嬢様、シンシアはいつでも突撃できますよ!」
「……もう少し様子を見ましょう。一番言い逃れできないタイミングを見計らうのよ」
シュシュシュ! とシャドーボクシングを始めたシンシアを横目に、メリアローズは小さくため息をついた。
怒りと、不安と、呆れと、何かの間違いであって欲しいという、微かな希望。
それらの感情がごちゃ混ぜになって、メリアローズはぎゅっと唇を噛んだ。
カフェテリアの植え込みの陰に隠れ、メリアローズとシンシアは二人の様子を伺う。
通り過ぎる人々には明らかに不審者を見る目で見られたが、今は気にしてはいられない。
――私を放置して自分は可愛い子とデートなんて、メガネの癖にいい御身分じゃない……!
などと考え、メリアローズは歯ぎしりした。
するときょろきょろとあたりを見回していた二人が、こちらの方へ歩いてきたではないか。
――今度こそ見つかった!?
メリアローズは慌てて、建物の陰に飛び込んだ。
だが、やはり追跡がばれたわけではないらしい。
メリアローズ達が潜んでいる場所のすぐ近くの席に、二人は腰を下ろした。
そのまま和やかに話し始めたではないか。
この様子を見る限り、メリアローズ達の存在にはまったく気づいていないようである。
他愛ない会話を交わす二人の声を聞きながら、メリアローズは、ふぅ、と安堵の息を吐く。
「でも本当にすごい人ね! 今日はお祭りでもあるの?」
「いつもこんな感じだよ、ロッティ。王都はそれだけ人が多いんだ」
「えぇっ、本当に!?」
楽しそうに周囲を見回す少女に、ウィレムは得意気に解説を加えている。
どうやらあの少女は、王都に住んでいる者ではないらしい。どこかから出てきたのだろう。
いや、それよりも……
――“ロッティ”ね……。随分と仲がよろしいことで。
愛称呼びとは、ウィレムと少女はかなり親密な間柄のようだ。
メリアローズは、聞こえてくる会話に少なからずショックを受けていた。
――私のことは、「メリアローズさん」なんて他人行儀で呼ぶくせに……!
まざまざと仲の良さを見せつけられ、メリアローズの胸はズキズキと痛んだ。
リネットに対しても、ジュリアに対しても、他の女生徒に対しても……ウィレムがあんな風に親しげに呼びかけているのは聞いたことがない。
……胸が苦しくて、目の奥が熱くなる。
嫌でも聞こえてくる楽しげな会話に、耳を塞いでしまいたくなるくらいだ。
「お嬢様……」
「……大丈夫、大丈夫よ」
心配そうに声を掛けてきたシンシアに微笑み返して、メリアローズは大きく深呼吸を繰り返した。
メリアローズは誇り高きマクスウェル公爵家の娘なのだ。
浮気現場を目撃して、めそめそと泣くだけなど自身のプライドが許さない。
優雅に証拠を集めて、華麗に断罪するくらいでなければならないのだ。
――よし、悪役令嬢モードに切り替えるわ!!
こういう時は悪役令嬢になりきるに限る。
悪役令嬢は本来断罪されるポジションだが、今日は浮気メガネを断罪する側にまわるのもいいだろう。
王子の気を惹いた愛らしいヒロインに嫌味を言う時のように、たっぷりネチネチあのメガネをいたぶってやろうじゃないか。
そう決意し、メリアローズは気を引き締めた。
「ねぇウィレム。あそこの人たちが食べてるケーキだけど……」
「あぁ、あれは最近出た新作だな。……食べたいのか?」
「うん! すっごく美味しそう!」
「わかった、ここで待ってろ」
「やったぁ!」
胸焼けしそうな甘ぁい会話の後、ウィレムが席を立って店の中へ入っていった。
おそらく少女の為に新作のケーキを注文しに行ったのだろう。
……随分と献身的なことである。
おしゃれなカフェテリアの新作をチェック済みなんて、よっぽど今日のデートを楽しみにしてたのね……! と、メリアローズは心の中で盛大に舌打ちした。
一方、一人になった少女は、ウキウキした表情であたりを見回している。
――やっぱり、ああいう素直な子の方がいいのよね……。
メリアローズの目から見ても、彼女は魅力的だ。
ウィレムが彼女に心変わりしたとしても、納得できてしまうくらいには。
――……ウィレムが戻ってきたら、ちゃんと話をしないと。
ウィレムの浮気を華麗に断罪し、メリアローズかあの少女かどちらを選ぶのか白黒はっきりつけさせてやろう。
――それで、もしウィレムがあの子を選ぶなら……。
その時は憎まれ口の一つでも叩いて、素直に身を引こう。
きっとそれが、ウィレムの為なのだから。
記憶にも新しい剣術大会の時のように、メリアローズのせいでウィレムに苦労を掛けている自覚はある。
メリアローズと一緒にいるせいで、ウィレムが他の生徒から「エリートヒモ野郎」や「逆玉の輿狙い」などと陰口を叩かれているということも知っている。
いつウィレムがこの状況に嫌気がさしてもおかしくないと、メリアローズもずっと考えてはいた。
――好きな人を幸せを願うのが本当の愛だって、大臣がくれた本にも書いてあったわ。だから……
そう自身に言い聞かせ、メリアローズはきゅっとスカートの裾を握り締める。
だがその時、一人残されていた少女に異変が起こったのだ。
「なぁ、君一人? 暇なら俺たちとどっか行かない?」
「ぇ? あ、あの……」
聞こえてきたよろしくない会話に、メリアローズは慌てて顔を上げる。
見れば、例の少女が三人のにやついた若い男に囲まれている。
これはどう見ても……
「典型的なナンパですね」
「そう、みたいね……」
見知らぬ男たちに声を掛けられた少女は、明らかに困惑し、怯えているようだった。
男たちもその様子を見て、押せば行けると思ったのだろう。
先ほどよりも距離を詰めて、少女に迫っている。
――ウィレムは……まだ来ないの!?
メリアローズは、はらはらしながら店内に視線をやったが、随分と混雑していてウィレムが出てくる様子はない。
いったい、あいつは騎士の癖に乙女のピンチに何をやってるのか!……と、メリアローズは憤る。
そうこうしている間に、男たちは更に調子に乗り始めてしまった。
「なぁ、行こうぜ。もっといい店知ってるからさ」
「やっ、その、私……」
男の一人が少女の腕を掴み、強引に立たせ、その場から連れ出そうとしている。
その光景を見た瞬間、我慢の限界を迎えた。
気がつけば、メリアローズの体は勝手に動いていたのだ。
「お嬢様!?」
制止するようなシンシアの声が聞こえたが、止まれなかった。
メリアローズが植え込みの陰からがばりと立ち上がると、近くにいた人々がぎょっとしたようにこちらに視線を向けるのが分かった。
だがそんなことを気にする余裕はない。
メリアローズは優雅に衣服に付着した葉っぱを払い落とし、つかつかと少女と男たちの元へと歩みを進める。
「その手を離しなさい。無礼よ」
意を決して高飛車にそう声を掛けると、四人は一斉に驚いたようにこちらを振り返った。
その瞬間、メリアローズの鼓動がどくりと嫌な音を立てた。
――や、やっちゃった……!
威勢よく飛び出したはいいものの、実はメリアローズはこの場を打開する策など何も持ってはいなかった。
本来悪役令嬢は、あのようなチンピラをヒロインにけしかける側の人間なのだ。
チンピラに絡まれたヒロインをうまく救い出す術など、残念ながら大臣のくれた本には載っていなかった。
それでも……気がつけば、体が動いていたのだ。
――大丈夫。私は悪役令嬢だもの。チンピラ風情に怯んだりはしないわ……!
そんな根拠のない自信を胸に、メリアローズはキリっとチンピラたちを見据える。
例え恋のライバル、もしくは泥棒猫だとしても……彼女はウィレムの大事な女性なのだ。
だから、メリアローズは彼女を守ろうと決めた。
「そちらのご令嬢には、既にエスコートしてくださる殿方がいらっしゃいます。あなた方の出る幕ではございませんわ」
内心は盛大にビビっていたが、それを表に出さないように、メリアローズは悪役令嬢らしく不敵な笑みを浮かべてみせた。