王子と公爵令嬢、幼馴染の微妙な関係。
ロベルトが初めて彼女を目にしたのは、隣国での宮中晩餐会の場だった。
同盟国である隣国、クロディール王国の宰相令嬢――メリアローズ・マクスウェル。
まだ社交界デビューもしていない年頃の少女でありながら、その華やかな容姿、柔らかな物腰、完璧な淑女の振る舞いを身に着けた様には、ロベルトだけでなく皆が感心したものだ。
彼がいなくなれば宮中が崩壊する、との意味で「王国の大黒柱」とも呼ばれる敏腕宰相――マクスウェル公爵の愛娘は、「国一番の令嬢」との噂に違わぬ、よくできた淑女のようだった。
「お初にお目にかかります、ロベルト殿下。マクスウェル公爵家のメリアローズと申します」
そう言って優雅に礼をしてみせた彼女は、幼いながらもまるで一人前の貴婦人のようだった。
「人形のような少女」――それが、ロベルトが彼女に抱いた第一印象だ。
そんな彼女は、どうやらここクロディール王国の第一王子――ユリシーズの妃候補ナンバー1であるらしい。
「あぁ、そうらしいね」
「そうらしいってお前……他に感想はないのか」
翌日、ユリシーズに城を案内される道すがら。
少しからかってやろうと、ロベルトは侍従たちには聞こえないように小声で、ユリシーズにメリアローズの話を振った。
だがユリシーズは照れも焦りもせず、まるで明日の天気の話でもするように、涼しい顔でそう答えたのだ。
これにはロベルトも呆れてしまった。
「お前には人の心がないのか」
「ロベルト、君けっこう失礼なこと言うね」
「お前の未来の妃の話だぞ? もう少し興味を示せよ」
「興味、か……。そう言われても、僕一人で決められる問題じゃないからなぁ」
何とも無責任な言い方ではあるが、ロベルトにも彼の気持ちがわからないでもなかった。
王太子の妃は、王太子自身の妻であると同時に、未来の王妃――ある意味その国の顔とも言える存在でもあるのだ。
いくら王族と言えども、誰でも好きな相手を選べるわけではない。
「なんだ、メリアローズ嬢に不満があるのか?」
「まさか、彼女以上の適任者はいないと思うよ。このまま順当にいけば、メリアローズが僕の妃になるだろうね」
そう告げたユリシーズの言葉からは、少なくともメリアローズに対する熱い恋情などは感じなかった。
だが、それも無理はないことなのかもしれない。
メリアローズは美しく、文句の付け所のない完璧な貴族令嬢だ。
だが……まるで綺麗に飾られた人形のような、伽藍洞のような印象を受けたのも確かだ。
王妃としては申し分ないだろうが、人生を共にする相手としては……ロベルトからすると、少し物足りなさを感じてしまう。
ぽろりとそう口にすると、ユリシーズは驚いたように目を見張った。
「なるほど、そう見えるか。そうかそうか……」
何やら納得したように、うんうんと一人で頷くユリシーズに、ロベルトは首を傾げた。
するとユリシーズは、ロベルトに向かって良いことを思いついた、とでも言わんばかりの笑みを向けたのだ。
「君たちはここで待っていてもらえるかな、少し、ロベルトに見せたいものがあるんだ」
控えていた侍従たちにそう告げるやいなや、ユリシーズはロベルトに着いてくるように合図すると、そのままスタスタと歩き出す。
ロベルトは仕方なくその後を追った。
侍従はユリシーズに言い含められた通り、先ほどの場所で待機している。
いくら城内とはいえ、王太子の単独行動を許してもいいものなのか。
そう疑問を口に出すと、ユリシーズはいつものように朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「僕が笑って頼めば、城内のたいていの人は言うことを聞いてくれるんだ」
その笑顔の裏に若干黒いものが見えないでもなかったが、ロベルトは見なかったふりをした。
◇◇◇
人目を避けるようにして、ユリシーズは勝手知ったる様子で王城の中を進んでいく。
そして特段変わった所のない、とある部屋の前で足を止めた。
「この時間ならおそらく……」
何やら呟きながら、ユリシーズは近くの衛兵に声を掛ける。
衛兵は王子の為に頼みごとをされたのがよほど嬉しいのか、恍惚とした表情で部屋の扉を開いた。
「少しロベルトと二人で話があるんだ。扉を見ていてもらえるかい?」
「はっ! この命にかけて、蟻一匹通さぬことを誓いましょう!!」
たかだか見張りで大げさな、とロベルトは呆れたが、ユリシーズは特に気にすることもなく部屋の中へと足を進める。
……彼らはいつもこんな感じなのだろうか。
ロベルトは少々この国の未来に不安を覚えないでもなかった。
「声は小さくね。気づかれるかもしれないから」
「だから、いったいなんなんだ?」
小声でそう疑問を呈したロベルトに、ユリシーズは彼には珍しく悪戯っぽい表情で笑う。
そして、部屋から繋がるバルコニーへとロベルトを呼んだ。
「来なよ。面白いものが見られるから」
そう言って手招きするユリシーズの元へ、ロベルトは半信半疑で足を進める。
この、何を考えているのかわからない王子のいう「面白いもの」とは一体何なのか……と、バルコニーに足を踏み入れ、ロベルトはすぐに気がついた。
「きゃあ! この子、私の手を舐めたわ!!」
聞き覚えのある声に、ロベルトはそっとバルコニーから下を覗き込んだ。
建物と建物の間の、小さな中庭の一角が見える。
そこには、一人の少女と侍女らしき女性、それに城の下働きと思われる女性が、小さなバスケット――その中にいる数匹の子猫を囲んで、何やらきゃいきゃいと騒いでいたのだ。
――今の声は、メリアローズ嬢か……?
ロベルトは素直に驚いた。
ロベルトの視線の先にいるメリアローズは、頬を紅潮させ、キラキラとした瞳で子猫に話しかけている。
先ほどあいさつした際の、人形のような様子とは大違いだったのだ。
「ふふ、お嬢様は子猫たちに好かれているようですね」
「お膝に乗せてみてはどうでしょう、メリアローズ様」
「だ、大丈夫かしら……」
おそるおそるといった手つきで、メリアローズがバスケットの中から子猫を抱き上げ、そっと膝に乗せる。
彼女は一級品のドレスが汚れるのも厭わずに、芝生の上に座り込んでいたのだ。
「よしよし、いい子いい子……」
可愛くてたまらないといった様子で、メリアローズは膝の上の子猫を撫でている。
その光景に呆気にとられるロベルトに、ユリシーズはくすくす笑っていた。
「城の厨房の鼠捕獲長の所に、最近子供が生まれてね。メリアローズは城に来るたびに、こうやってこっそり会いに来てるんだ」
「……なるほど」
きっとこれが、本来のメリアローズなのだろう。
ロベルトは彼女の一面だけを見て、伽藍洞のような少女だと思ったことを反省した。
ちらりと傍らのユリシーズに視線をやると、彼は慈愛に満ちた目で、子猫と戯れるメリアローズを眺めていた。
「ユリシーズ、声は掛けないのか?」
「うーん……なんていうか、僕はメリアローズに嫌われてる……とまではいかないけど、少し警戒されてるみたいなんだ」
「警戒?」
「僕の前では、メリアローズはいつも気を張ってるみたいだからね。せっかく楽しんでるのに、水は差したくないんだ」
そう言って緩く首を横に振ったユリシーズに、ロベルトは思案する。
この国の王子と未来の妃(候補)との間には、どうも微妙な溝があるようだ。
おそらく、公の場では完璧に振舞おうとするメリアローズは、王子という立場の相手にはどうしても社交モードを発揮してしまい、本来の自分を出せないのだろう。
ユリシーズもそれを理解しているからこそ、無理に彼女のプライベートに割って入ったりすることはない。
……なんとも、面倒な話である。
「一度、腹を割って話し合ったらどうだ。お前の未来の妃なんだろう?」
「おそらく、そうなるだろうけど……少し、心配なんだ。僕と結婚して、メリアローズがこの国の王妃となった時に……本当の彼女が、消えてしまうんじゃないかってね」
何を大げさな……とは言えなかった。
今は頬を染めて子猫とはしゃいでいる彼女が、公の場ではおしとやかな淑女を完璧に演じ切っている。
彼女がこの国の王妃となった時に、果たして彼女の安らげる場所は存在するのだろうかと、ロベルトも不安を覚えないでもなかったのだ。
ロベルトはじっと、視線の先のメリアローズを見つめた。
年相応の少女のようにはしゃぐメリアローズは、晩餐会の場で見た、穏やかに微笑む人形のような姿よりずっと魅力的に見えた。
「……もし、彼女がお前ではなく他の男の手を取ったらどうする?」
「メリアローズが心から愛した相手で、本当のメリアローズを大切にしてくれるような人なら……それ以上の幸せはないんじゃないかな」
そう告げたユリシーズの表情は、いつになく穏やかだった。
きっとこれが、嘘偽りない彼の本心なのだろう。
「なら……その相手が、俺だったらどうする?」
そう問いかけると、ユリシーズは曖昧な笑みを浮かべた。
「メリアローズを溺愛するマクスウェル公が、彼女を他国に嫁がせるかな……。こっそり君を謀殺しそうな気もする」
「さらりと怖いことを言うな」
これがユリシーズなりの冗談なのか、それとも本気なのかロベルトは少し悩んだ。
まぁ、それはその時になったら考えればよいだろう。
「マクスウェルの至高の薔薇、か……」
いつか、素の彼女が自分の隣で笑う姿を見たい。
いつの間にか、ロベルトはそんな思いを抱き始めていた。
番外編更新です。
そしてお知らせです。
本作のコミカライズが決定いたしました!
スタートするのはもう少し先になりそうですが、漫画になります!!