103 元悪役令嬢と奇妙なお茶会
「まったく、何なのよ……」
放課後の学園に、かつかつと性急な靴音が響く。
ぶつぶつと文句を言いつつ、メリアローズは一人、廊下を進んでいく。
「わざわざ私を呼び出すなんて……いい度胸ね。高くつくんだから!!」
幸いなことに、この場にいるのはメリアローズただ一人。
王子の婚約者の座を降りた今でも、学園の(影の)女王と名高いメリアローズの、怒りの波動にあてられるような哀れな生徒はいなかった。
メリアローズはぷんすか怒りながら、床を踏み抜く勢いで歩みを進めていく。
――ことの始まりは、学園が休日だった昨日にさかのぼる。
部屋でごろごろチャミと遊んでいたメリアローズの元に、侍女のシンシアが一通の招待状を持ってきたのだ。
『明日の放課後、作戦会議室に来るべし』
たった一文だけの、差出人すら書いていない、招待状とも呼べない奇妙な招待状だった。
通常であれば、もちろん相手になどしない。「こんなもので気を惹けるとでも思ったのかしら?」と鼻で笑い、暖炉にポイして終わりである。
だが今こうしてメリアローズが足を運んでやっているのは、その差出人に心当たりがあるからだ。
作戦会議室――それは、メリアローズ達「王子の恋を応援したい隊」の活動時に使っていたあの空き部屋のことだろう。
その部屋の存在を知っているのは、メリアローズ以外にはたった三人しかいないのだ。
すなわち、招待主はあの三人のうちの誰かに違いない。
わざわざあんな意味不明な呼び出しをしなくても、言いたいことがあれば言えばいいのに……とメリアローズは朝から三人を探したのだが、何故か三人とも今日は学園に姿を見せていないのだ。
――ウィレムだったら、言いたいことは普通に言うでしょうし、リネット……は最近落ち込んでて、こんな悪戯をするようには思えないし……やっぱりバートラムね。まったく、こんな子供みたいな真似をして、恥ずかしくはないのかしら?
こうなったらガツンと言ってやろう。
「あなた、こんな低俗な真似をするなんて……まるで躾のなっていない駄犬ね!」と。
バートラムなら意外と喜ぶかもしれない、などと考えていると、いつの間にか見慣れた作戦会議室の扉が目に入る。
見慣れたドアの前で立ち止まり、メリアローズはふぅ、と大きく息を吐く。
――よし、思いっきり文句を言ってやるんだから!
そう自分を奮い立たせて、メリアローズは勢いよく扉を開けた。
その途端――
「パンパカパーン! おめでとーございまぁーす!!!」
「!?」
次々と弾けるクラッカーと紙吹雪に迎えられ、メリアローズは心臓が口から飛び出しそうになるほど驚いてしまった。
「ななななな、なんなの!!?!?」
「やったぁ! サプライズ大成功!!」
紙吹雪の向こうに見えたのは、満面の笑みを浮かべたジュリアの姿だった。
「え、サプライズ……?」
「悪いな、ジュリアが『メリアローズ様を思いっきり驚かせたい!』なんて言い出すから……」
「あー、バートラム様そうやって人のせいにして!」
からかうような笑みを浮かべたバートラムに、クラッカーを握りしめむくれるジュリア。
更にその背後には、いつものようにロイヤルスマイルを浮かべたユリシーズまでいるではないか。
「え、えっ?」
バートラムはともかく、何故ユリシーズとジュリアがここに?
混乱するメリアローズを見てくすりと笑うと、ユリシーズは部屋の奥に向かって呼びかける。
「ほら、メリアローズが来たよ」
その途端、続きの部屋がバタバタと騒がしくなり、すぐに扉が開き二人の人物が顔をのぞかせた。
「メリアローズ様が、お越しに……」
「君は少し休むんだリネット。……メリアローズさん、そろそろ迎えに行こうかと思っていたんですよ」
何故かリネットは目の下に隈を作り、フラフラの状態だった。
そんな彼女の手を引き、ユリシーズがソファに座らせている。
いったいこれはなんなのかしら……と困惑するメリアローズの元に、ウィレムが朗らかな笑みを浮かべてやって来る。
「ねぇ、これは――」
「こちらへどうぞ、お姫様」
有無を言わさずウィレムに手を取られ、メリアローズは瞬時に頬を朱に染めた。
「何かっこつけてるのよ! メガネの癖に!!」と罵倒しようとしたが、口をパクパクさせるだけで言葉が出てこない。
そんなメリアローズを見てくすりと笑いながら、エスコートするようにして、ウィレムは部屋の奥へと誘う。
そこに現れた光景を見て、メリアローズは目を見張った。
「わぁ……!」
この部屋を作戦会議室に改装したときに、メリアローズがチョイスし運び込んだ、豪奢なテーブル。
その上にこれでもか、と乗せられたお菓子やケーキの山。
中でもケーキスタンド一杯に乗せられたマカロンに、メリアローズは目を輝かせる。
――す、すごい……! こんなの初めてだわ!!
どこを見てもメリアローズの好物ばかり。
感動に打ち震えるメリアローズの元に、何故か得意気な様子のユリシーズが声を掛けてきた。
「圧巻だろう? リネットが夜なべをして作ったんだ」
「えっ!?」
思わず振り返ると、ソファに腰かけたリネットは、うとうとと船を漕いでいた。
……夜なべをして作った? このお菓子の山を!?
「なぜ止めてくださらなかったのですか!」
メリアローズは思わずユリシーズに詰め寄ってしまった。
王国祭からこちら、襲撃事件に衝撃を受けたのか、リネットはどこか元気がなかった。
これはなんとかせねば……とメリアローズも頭を悩ませていたのだが、まさかそんな時に夜なべをしてこんなにお菓子の山を量産するなど、狂気の沙汰である。
「あなたの婚約者でしょう、何とかしてください!」といきり立つメリアローズに、ユリシーズは目を細めて笑う。
「……リネットは、君を喜ばせたかったんだよ」
「え……?」
「どうすればいいか相談されてね、それで答えたんだ。メリアローズはこういったお菓子やケーキが大好物だって」
「そんな……」
ただメリアローズを喜ばせたいというそれだけの理由で、こんなにたくさんのお菓子を自前で用意するなんて……
「いや、それでも止めてくださいよ!」
「まあまあ、いいじゃないか」
「メリアローズさん! ちなみに俺も手伝いました!!」
ウィレム、お前もかー!!
キラキラした瞳で謎の手伝ったアピールを繰り返すウィレムに、メリアローズは盛大にため息をついてしまった。
そうこうしているうちに、騒ぐ声が大きかったのかリネットがはっと目を覚ます。
「そんな、ニシンパイはダメなんです!!」
変な夢でも見たのか、リネットは謎の奇声を上げてがばりと立ち上がる。
そして、驚くメリアローズとばっちり目が合った。
「メリア、ローズ様……」
「リネット……」
何と言っていいのかわからず言葉を探すメリアローズの前で、リネットは意を決したように口を開いた。
「メリアローズ様、私……考えたんです。私は、メリアローズ様やユリシーズ様のようなカリスマ性は持ち合わせていません。あの時も……ただ怯えて震えることしかできなかった」
リネットが言っているのは、王国祭の時の、ユリシーズとリネットが襲撃された件だろう。
その時の状況を思い出し、メリアローズはぎゅっと拳を握る。
あの時、一歩間違えば……リネットは今ここにはいなかった。
そう考えると、今更ながらに恐怖が押し寄せてくる。
だが、そんなメリアローズの心中とは裏腹に、リネットは穏やかに笑っていた。
「でも、私も変わりたいと思ったんです。いいえ……変わらなきゃいけないんです! 私もメリアローズ様のように、何が起こっても毅然と微笑んでいられるような、そんな淑女にならなければならないと悟ったんです。だから、まずは自分のできることから始めようと思って……気がついたらお菓子を量産してました!」
にっこり笑ってそう告げたリネットに、メリアローズは穏やかな微笑みを返した。
だが心の中では、盛大な嵐が吹き荒れていた。
――駄目、突っ込んではダメよ……! せっかくリネットが前向きになっているのだから……!!
だから、メリアローズは心の中だけで盛大に叫んだ。
――どう考えても、頑張る方向が間違ってるわ!!!
今のリネットに必要なのは、未来の王太子妃としての自覚や振る舞いなど、そういった次元のものなのではないのだろうか。
それが何故、夜通しお菓子作りに励んでしまったのだろうか。
そして何故、ユリシーズをはじめ誰も止めようとしなかったのか!
わからない、わからないが……少なくとも、この場でリネットのやる気を削ぐような、野暮な発言は慎むべきだろう。
貴族令嬢にとって、空気を読むというのは大事なスキルだ。
例え今から始まるのが、狂気のお茶会だったとしても、それに適応して見せるのが一人前の淑女の在り方なのだ。
そう思いなおして、メリアローズは口角を上げる。
「仕方ないわね……こうなったら、じゃんじゃん食べるわよ!」
勢いよくケーキを頬張りすぎて、頬にクリームがついてしまっているジュリア。
そんなジュリアの頬を、まるで母親のように甲斐甲斐しく拭っているバートラム。
手作りのマカロンを口にして、何かを囁くユリシーズ。
ユリシーズに耳元で囁かれ、頬を染めるリネット。
「『このマカロンはまるで君のように愛らしいね。今すぐ食べてしまいたいよ』って言ってるのよ」
「いやいや、王子がそんな恥ずかしいこと言いますかね。単にあーんして食べさせて欲しいって言ってるんじゃないですか?」
「そっちの方が恥ずかしいわ」
少し離れたソファに腰かけて、メリアローズとウィレムは王子のアテレコ大会に興じていた。
手元には甘いお菓子と美味しい紅茶。
視線の先には、気心の知れた友人たち。
そして隣には……愛しい人。
――きっとこれが……守るべき私の宝物。
ティーカップで上品に口元を隠しながら、メリアローズは微かに微笑んだ。
――私はウィレムのように剣を扱うことはできない。でも、私には私の戦い方があるはず。
ユリシーズやリネットに迫る者は、何も剣を振りかざして襲い掛かってくるような者だけではない。
笑顔を携えて、味方の振りをして、蹴り落とそうと近づいてくるようなものも存在するのだ。
そういう時こそ、きっと……メリアローズの出番なのだろう。
「私……負けないわ」
「いきなりどうしたんですか?」
「決意表明よ。メリアローズ・マクスウェルはどんな状況でもへこたれません、ってね」
ウィレムは何のことだかわからない、というような顔をしていたが、なんとなく空気を読んだのだろう。
メリアローズにしか聞こえないように、小さく囁いた。
「よくわかりませんが……危険なことはしないでくださいね」
「さあね。やるときはやるわよ私は」
「まったく、とんだお嬢様だ……」
ウィレムは呆れたようにため息をついたのち、ふと真面目な表情でメリアローズの方へ視線を向ける。
綺麗な翡翠の瞳に正面から見つめられ、メリアローズの鼓動は高鳴った。
「あなたはそういう人でしたね……。でも、忘れないでください。俺が、貴方の剣となり盾となります。有事の際は、必ず俺を呼んでください」
「……必要なときしか呼んじゃだめなの?」
「いえっ! まったくそんなことはありませんから!! いつでも呼んでください! メリアローズさん限定で24時間営業中なんで!!」
熱が入るあまり意味不明なことを口走るウィレムに、メリアローズはくすりと笑ってしまった。
学園を卒業すれば、いよいよリネットには王太子妃候補としての教育が始まるだろう。
だが、一筋縄でいくとは思えない。リネットを快く思わない者はあちこちに潜んでいるはずだ。
だから、メリアローズはそんな者たちからリネットを守らなければならない。
そしていつか……隣の彼との未来を掴み取るために、メリアローズはもっと強くならなければならないのだ。
「頼りにしてるわ、私の騎士様」
「いつまでもお傍に、マイレディ」
この数秒後、うっかりジュリアが手を滑らせ宙を舞ったケーキがメリアローズの元へと襲い掛かってくるのだが……ウィレムは体を張ってメリアローズを庇い、顔面でケーキを受け止め、さっそく盾としての役目を果たしてくれたのだった。
これにて2章完結です! メリちゃんの戦いはこれからだ!!
今後はちまちま番外編的なのを投稿しつつ、準備ができたら3章を始めたいと思います。
2章が思いがけず重い話になってしまったので、3章は明るい話にしたいと思います!
そして、本日は書籍版の発売日です!
内容は1章を元にいろいろ加筆修正しました。まち先生の素晴らしいイラストも必見です!
本屋へお立ち寄りの際は、ぜひちらっと見ていただけると嬉しいです!!