102 元悪役令嬢と小さな花束
思わぬ波乱が起こってしまったが、何とか王国祭は終了した。
しかし、それでもメリアローズの心は晴れなかった。
――ジェイル、どこに行ってしまったのかしら……。
あの、彼がメリアローズの元へやって来た夜以来……ジェイルは、ぱたりと姿を消してしまったのだ。
祭りの最中に出会った女性と駆け落ちしたとか、失恋のショックで武者修行に出たとか、伝説のシェフに弟子入りしたなどと……学園では様々な噂が流れた。
元々、貴族の子女が何らかの事情で急に表舞台から姿を消すというのは、取り立てて珍しい事案でもない。
数日もすると、生徒たちは別のホットな噂に飛びついて、ジェイルの話も徐々に下火になっているようだった。
だが、メリアローズはそうではなかった。
「だって、リード伯爵家ですらジェイルの行方を知らないなんて、そんなのおかしいじゃない! ねぇウィレム。あなた本当に彼の行方を知らないの?」
「残念ながら、俺は存じ上げません」
「…………そう」
いつものように、護衛と称して屋敷まで送ってくれたウィレムに尋ねても、明瞭な答えは得られない。
いったいジェイルはどこに行ってしまったのか。
今頃寒さに震えていたり、お腹を空かせていたりはしないだろうか……。
そう考えると、メリアローズは心配でたまらなくなるのだ。
――今思えば、あの時のジェイルは明らかにおかしかった。私を誘拐した理由だってわからないし……。あの時、もっとちゃんと話を聞けていれば……
『……覚えておいてください、メリア姉様。この先ずっと……どこにいても、いつでも、僕は貴女のことを想っています』
それは、彼がメリアローズに向けた別れの言葉だったのだろうか。
あの夜、部屋を出たジェイルをその場で追いかけるべきだった。
いや、その前から……彼がいきなり求婚してきた時点で、きちんと彼と話をするべきだったのかもしれない。
後悔ばかりが募り、メリアローズは小さくため息をついてしまった。
「……メリアローズさん。ジェイル・リードの行き先はわかりません。それでもあいつは……簡単に野垂れ死ぬような奴じゃない。あいつを信じてやってください」
「そんなことないわ。あの子はいつも物陰で怯えてるような子だったもの。だから――」
「男子三日会わざれば刮目してみよ。あいつも今じゃ立派な『男』です。……あなたの思う以上にね」
「……なによぉ」
まるで「お前は何もわかってない」とでもいうようなウィレムの言葉に、メリアローズは何て返していいのかわからずに、視線を逸らした。
どこか気まずい空気のまま、馬車はマクスウェル家の屋敷に到着する。
メリアローズは、丁寧にメリアローズの荷物を持ったウィレムと共に、どこか重い足取りで屋敷内に足を踏み入れる。すると、玄関ホールの一角にメイドたちが集まり、頭を突き合わせて何やら相談しているのが視界に入った。
「あら、どうしたの?」
「お、お嬢様! 申し訳ありません、お戻りにも気づかずに……」
「別にいいのよそのくらい。で、何かあったの?」
メリアローズが声を掛けると、メイドたちは弾かれたように一列に整列して頭を下げた。
その中の一人が、おずおずと手に持った花束を持ち上げてみせる。
「少し前に、差出人不明の花束が届けられたのです。……門番が目を離した一瞬の隙に、置かれていたようで……」
「検分した限り、何かが仕込まれているということもなさそうですが……」
それは、普段メリアローズが求婚者から贈られるようなものに比べると、随分とシンプルな花束だった。
なんとなく興味を惹かれて受け取ろうとしたメリアローズを制し、代わりにウィレムがメイドの手から花束を受け取る。
そして、どこか警戒するような手つきで中を調べ始めた。
「……確かに、普通の花束のようですが」
淡いピンクのカスミ草に包まれるようにして、中央にピンクの薔薇が数本という、シンプルながらも品よくにまとまった花束だ。
「やっぱり、お嬢様の秘かなファンですよ!」
「正体を明かさないピンクの薔薇の御方だなんて……素敵です!!」
「ちょっと! ウィレム様の前でやめなさい!!」
きゃいきゃいと騒ぐメイドたちの声に、ウィレムが一瞬眉をひそめたのをメリアローズは見逃さなかった。
――まったく……きっとただのイタズラよ。
くすりと笑い、メリアローズは花束に視線を戻した。
ピンクの薔薇が1、2……5本。
その本数に、メリアローズはどこか引っ掛かりを覚えた。
――どうして5本なのかしら……? 確か、薔薇の花って本数にも意味があったはず……。
そこで思い出されるのが、とにかくとにかくまどろっこしい貴族式会話だ。
花言葉を絡めた、暗号のような物言いをする貴公子を華麗に撃退するためにも、こういった詩的な知識は欠かせないのである。
自身の名にも関係する薔薇については、メリアローズも頻繁に書物などで知識を仕入れていた。
薔薇には、色、本数、部位など……とにかく多くの花言葉が存在するのだ。
――確か5本の薔薇は……「あなたに出会えて本当によかった」
この花束の送り主が、あえて5本という数字を選んだのなら、相手は既にメリアローズと出会っている者なのだろうか。
――ピンクの薔薇の花言葉は、しとやか、感謝、上品……それに、幸福。……っ!
『そんなあなただから、僕は…………誰よりも幸せになって欲しかった』
そう言って、悲しそうに笑うジェイルの姿が蘇る。
まさかという思いで、メリアローズはウィレムが手にしている花束を食い入るように見つめる。
中央の薔薇を守るようにして、ピンク色のカスミ草が丁寧に添えられている。
ピンクのカスミ草の花言葉――「切なる願い」
メリアローズはもう、悟っていた。
『貴女は、貴女の思うままに進んでください。きっと、それが一番うまくいくはずです』
『……覚えておいてください、メリア姉様。この先ずっと……どこにいても、いつでも、僕は貴女のことを想っています』
そう、この花束は……ジェイルからメリアローズに宛てられたメッセージなのだろう。
メリアローズは無言でウィレムの腕の中から花束をひったくった。
「あ、ちょっと! どこの誰が置いた物かもわからないのに!」
「大丈夫、わかるわ」
「えっ?」
慌てて取り返そうとするウィレムから距離を取り、メリアローズはぎゅっと花束を抱きしめる。
「これは私のものよ! 誰にも渡さないわ!」
「危険な物かもしれないんですよ!」
「平気よ! この送り主は、絶対に私を傷つけたりしないもの!!」
「だから誰なんですかそれは!!」
「教えてあーげない! あなたはもう少し情緒的感性を磨くべきよ!」
「意味がわかりません!」
「ふん! チャミ、GO!!!」
「ミャオ!」
騒ぎを聞きつけたのか、ぽてぽて廊下を歩いてきたチャミを、憤慨するウィレムにけしかける。
足元に纏わりつく愛らしい猫に、ウィレムは強硬手段に出ることもできず、たじたじになっているようだった。
その隙に、メリアローズは花束を抱えたまま自室へダッシュする。
――ジェイル……私は信じてるわ。
きっと、いつかまた彼と会える日が来る。
漠然とそんな予感を抱きながら、メリアローズはくすりと笑った。