100 秘密の誓い
ぷんすか怒りながら部屋へ戻り、就寝の準備をする内に、段々とメリアローズの心も落ち着いてきた。
ふと立ち上がり窓辺に立つと、あちこちに明かりが灯された、いまだ王国祭の余韻が残る王都の街並みが目に入る。
――綺麗な街……。この光景を守るのが、ユリシーズ様の……それに、私たちの役目なのよね。
民が安全に暮らせるように守り、治めるのが、王族や貴族の責務だ。
人々の上に立つ者には、それだけの力と責任がある。
――あの剣術大会の時だって、きっと私が勝利の乙女で公爵令嬢でなければ、誰も私の言葉なんて聞いてくれなかったはず……。
メリアローズが「メリアローズ・マクスウェル」であるからこそ、その言葉に人々は耳を傾ける。
良くも悪くも、それが現実なのだ。
メリアローズもそう理解していた。
――私、これからどうすればいいのかしら……。
ロベルトの求婚(?)の言葉を聞いた際、彼と共に彼の国に行く可能性も少しだけ考えた。
だが、こうしてゆっくり考えてみると、やはり……
――ユリシーズ様やリネットは、今も危険な立場にいるのよ……。
特にリネットは、王子の婚約者という不安定な立場なのだ。
メリアローズは二人を……大切な友人をこれからも支えていきたいと思っている。
そのために、メリアローズには何が出来るのだろうか。
――『結局は皆、配られたカードで勝負することになるんだ。だったら、今の俺の手札を最大限に生かし、やってみようと思ってな。俺は、俺を慕ってくれる者たちのためにも、この道を進み続けると決めた』
かつてロベルトに言われた言葉が蘇る。
公爵家の令嬢として、メリアローズは今まで多くの者に支えられてきた。
――「国一番の貴族令嬢」
その肩書を、メリアローズは重荷に思うこともあった。どこか遠くに逃げ出して、ただのメリアローズとして生きてみたいと思うこともあった。
だが公爵令嬢という立場は、裏を返せばメリアローズの持つ強力なカードでもあるのだ。
「私が公爵家の娘でなければ、王子の婚約者にもなれなかった。ジュリアを護ることだってできなかったはずよ」
そう、メリアローズは既にその力の使い方を心得ていたのだ。
きっとこれからも、ユリシーズやリネットの行く先には多くの困難が待ち受けているはずだ。
――『貴女は、貴女の思うままに進んでください。きっと、それが一番うまくいくはずです』
「私は、私の思うままに……」
じっと胸に手を当て、メリアローズは深呼吸した。
すると、すっと気分が落ち着いてくる。
――そうよ、私はいったい何を悩んでいたのかしら……?
思えば周りに流されるままで、メリアローズ自身がどうしたいか、どうするべきかが置き去りになっていたのだ。
なんだ……こんな簡単なことだったのか。
そう思うと急におかしくなって、メリアローズはぽふりとベッドに倒れ込んだ。
次の瞬間、控えめに扉を叩く音が聞こえて、メリアローズは思わず飛び上がってしまう。
城のメイド辺りが何か言付けに来たのだろうか。
コホンと軽く咳払いし、メリアローズは平静を装い問いかける。
「……どなたかしら」
だが次の瞬間聞こえてきた声に、今度こそメリアローズは心臓が止まりそうになってしまう。
「メリアローズさん、俺です」
それは、確かにウィレムの声だった。
その声を聴いた途端、一気にメリアローズの体が熱を帯びる。
――どどど、どうしよう……!? 私もう寝る準備万端の状態なんだけど!!?
現在のメリアローズは髪も解いて、ロングワンピースタイプの寝間着(かわいいフリル付き)に着替え、更に美容の為に肌にアロマオイルを塗りっている最中であったのだ。
淑女がこんな状態で男性に会うなど言語道断だ。そもそも、こんな夜分に堂々とレディの部屋の戸を叩くんじゃない!……と追い返すのが道理だろう。
だが、声を聴いてしまうとどうしても……メリアローズは無性に彼と話がしたくなってしまうのだった。
「三分……いえ、五分待ってちょうだい!」
「えっ?」
「レディにはいろいろあるのよ! 詮索無用!!」
「は、はいっ!!」
――どうするのよ! 私すっぴんなのよ!? もう夜だし暗いし……誤魔化せるわよね……?
慌てて衣装棚をひっくり返し、軽く上着を羽織る。
ばたばたと鏡の前に立ち、わたわたと髪を整える。
鏡の中からは、薄闇でもはっきりとわかるほど頬を紅潮させた少女がこちらを見ていた。
――落ち着いて、落ち着くのよ私……!
胸に手を当て深呼吸。それでも……メリアローズの頭は勝手に妄想を繰り広げてしまうのだ。
以前大臣に貰った小説の中では、夜にヒーローがヒロインの部屋を訪れると、ほとんど必ずと言っていいほど砂糖を吐きそうなほど甘いラブシーンが始まっていた。
ということは、この後……
――いやいや、あのメガネよ!? そんな気の利いたことができるとは思えないわ!!
ぶんぶんと首を振って、メリアローズは脳裏から不埒な妄想を追い払った。
なんとか気分を切り替えなくては。こんな時は……
すぅ、と息を吸い、メリアローズは扉の前に立つ。
そして、一気に扉を開きぴしゃりと言い放つ。
「まったく、こんな夜更けにレディを煩わせるなんて……本当に無粋な殿方ですこと! アメンボ以下よ!!」
「うわっ、いきなり悪役令嬢モード!?」
動揺した時は悪役令嬢になりきるのが一番だ。
扉の向こうのウィレムは一瞬驚いたような顔をしたが、何がおかしいのかくすくす笑っている。
その反応に、メリアローズの緊張も和らいでいった。
「まあ冗談はこのくらいにして……入って頂戴」
「えっ、入っていいんですか?」
「な、何よ……! まさか変なことするつもりじゃないでしょうね!?」
「め、滅相もございません……!」
そんなこと思いつきもしなかった、という必死な様子で首を振るウィレムに、メリアローズはほっと息を吐く。
……ふぅ、この様子だと小説の中のようなラブシーンは始まらなさそうだ。
安心半分、残念半分、メリアローズはウィレムを部屋の中へと通した。
「それで、こんな時間に何の用かしら?」
「その……謝って、おきたくて……」
「謝る……?」
一体彼が何をしたというのだろうか。
いまいち話がわからずにきょとんと目を瞬かせるメリアローズに、ウィレムは若干言いにくそうに口を開いた。
「その、俺は結局……剣術大会で優勝できなかったので……」
悲痛な表情でそう告げたウィレムに、メリアローズは目を丸くした。
――そういえば、そうだったわ……。
メリアローズの兄――アーネストは、ウィレムが剣術大会で優勝しなければ二人の関係を認めないと言っていた。
ウィレムも「必ず優勝して見せます」などと宣言していたはずだ。
正直、剣術大会で起こったアクシデントが強烈すぎて、メリアローズは今の今までそのことを忘れていたのだ。
「……メリアローズさん。ロベルト王子は素晴らしい方です。いえ、ロベルト王子でなくとも、マクスウェル家ならあなたを不幸にするような相手の元には嫁がせないはずです。……それでも、不義を働くつもりはありませんが、できることなら――」
「…………ウィレム、聞いて」
何やら盛大に先走り、悲痛な表情で己の決意を語るウィレムに、メリアローズは小さくため息をついた。
顔を上げ、まっすぐにウィレムの瞳を見つめ、メリアローズは問いかける。
「あなたの私への想いは、一度反対されたら……簡単に引き下がる程度のものなのかしら」
毅然と言い放ったつもりだったが、最後の方は声が震えてしまった。
……本当は、恐ろしく思っているのかもしれない。
こんな面倒な条件付きの自分など相手にせずとも、ウィレムならいくらでも気立ての良い令嬢を相手にすることができるだろう。
そんな、現実を突きつけられるのが怖かったのだ。
――でも……もしそうなら、引き留めてはいけないわ。
この恋を終わらせ、ウィレムが新しい道を歩むというのなら……メリアローズは笑顔で祝福してやらなければならない。
そう考えるとじわりと目の奥が熱くなり、メリアローズはとっさに俯いた。
薄暗い部屋に、静寂が満ちる。
だが、ウィレムが一歩足を踏み出したことで、その静寂は破られた。
「……そんなわけ、ないじゃないですかっ…………!」
急に強く引き寄せられたかと思うと、メリアローズは気がつけば彼の腕の中にいた。
痛いほど抱きしめられ、息が止まりそうになってしまう。
「……誰にも渡したくない。あなたが他の男の隣で笑っている光景を想像すると、それだけで嫉妬で狂いそうになるっ……! それでも――」
ウィレムは少しだけ腕の力を緩めると、激情を押し殺したような声で囁いた。
「……わかってるんです。俺よりもずっと、あなたにふさわしい相手がいることも。彼の元に行けば、あなたが幸せになれることも」
「…………傲慢ね」
ぽつりとメリアローズが呟いた言葉に、ウィレムは驚いたように息をのんだ。
力が緩んだ隙を見計らって、メリアローズは顔を上げ彼と視線を合わせる。
「さっきから聞いてれば、私を幸せにしてくれる殿方がどこかにいるって……そんなの勝手よ! 私の幸せは、私が決める」
真っ直ぐにそう告げると、ウィレムが驚いたように目を見開いた。
そんな彼にくすりと笑い、メリアローズは自信たっぷりに告げた。
彼がまだ、メリアローズのことを想っていてくれるとわかったのだから……もう、何も怖くない。
「メリアローズ・マクスウェルは黙って誰かの言いなりになったりはしないわ。私の道は、生き方は、私自身が決めるの。……もちろん、私のパートナーとなる相手もね」
あらためてそう言葉にすると、随分と胸がすっとした。
片目を瞑っていたずらっぽく微笑むと、ウィレムは呆気にとられたような表情の後……おかしくてたまらない、といった様子で笑い出したのだ。
「さすがは学園の女王、傍若無人の悪役令嬢を務めたメリアローズさんだ!……やっぱりあなたは、そうやって凛々しい顔をしているのが似合います」
「なによ、褒めてるの? 馬鹿にしてるの?」
「褒めてるんですよ。そんなところが、俺は……たまらなく好きなんだから」
ストレートにそんなことを言われ、メリアローズは一気に真っ赤になった。
その反応にくすくす笑いながら、ウィレムは問いかけてきた。
「でも、公爵家の方はどうやって説き伏せるんですか?」
「あなたとの交際に強固に反対しているのはお兄様なのよ。だから、お父様とお母さまを味方につけるわ。なんとしてでもね」
いくら次期当主とは言え、まだまだ兄よりは父の方が発言権が上だ。
それに、兄の方だって「わからずやのお兄様とは絶交です!」と宣言すれば、多少は態度を和らげることは想像に難くない。
まったく、なんで今までこんな簡単な方法を思いつかなかったのかしら?……とメリアローズは不思議に思うほどだった。
「きっと時間はかかるわ。でも、私は諦めたくない。だから――」
続きの言葉を口にしようとした途端、ウィレムがいきなり足元に跪いたので、メリアローズは驚いてしまった。
「ななな、なに!?」
「……一応、こういうのはちゃんと宣言しておいた方がいいと思って」
「え……?」
跪いたウィレムが顔を上げる。その表情は驚くほど真摯で、窓越しの月明かりに照らされた翡翠の瞳が、強い意志を秘めたように煌めいていた。
その瞳に見つめられ、メリアローズの体温は一気に上昇する。
「これから先も、俺の想いは変わりません。あなたの剣となり盾となり、必要とあればあなたの為に全てを捧げます。あなたの命と名誉を守るためなら、俺は何も惜しまない」
……まるで、物語の中で、姫君に愛と忠誠を誓う騎士のようだった。
ウィレムは優しくメリアローズの手を取ると、そっと手の甲に口付けた。
「神々と、あなたと、そして自分自身に誓います。だから、俺を……あなたの騎士として、あなたの傍に侍り守ることを許してください」
それは、幼い頃から憧れていた騎士の誓いだった。
胸の奥から熱いものが込み上げ、メリアローズがぎゅっと唇を噛む。
――ウィレムはそこまで、私のことを想ってくれている。だったら、私も応えないと。
メリアローズはそっと微笑み、跪く騎士に声を掛ける。
「私は常にあなたの名誉を守り、あなたの忠義に応えることを誓いましょう。……立ちなさい、ウィレム・ハーシェル」
聖堂でも玉座の間でもなく、剣も、マントもない。
それでも、これは二人だけの……神聖な誓いの儀式なのだ。
「私は、私の道を行くわ。だから……一緒に、来てくれる?」
まっすぐに相手の目を見つめ、口にしたメリアローズの言葉に、ウィレムは深く頷いた。
「どこまでもお供しますよ、マイレディ」
誰も知らない、二人だけの秘密の誓い。
まっすぐにこちらを見つめる騎士の姿を見て、メリアローズは微笑んだ。
(番外編とかを抜いて)100話到達です!
メリちゃんの悩みもようやく展望が見えてきました!
今週はいよいよ書籍版発売となります。
表紙がめちゃくちゃ綺麗なので、本屋へお立ち寄りの際はぜひ見て頂きたいです!!