98 公爵令嬢は努力を欠かさない
翌日も、メリアローズは王宮の一室で一日養生を余儀なくされた。
窓の外からは王国祭の楽し気な喧騒が聞こえてくるというのに、これでは拷問である。
しかも今日はウィレムもいない。彼は簡単な置手紙だけを残して、メリアローズが目覚める前に姿を消してしまったのだ。メリアローズをほっぽって祭りに繰り出した……とは考えにくいので、何か所用があったのだろう。
部屋の外には厳めしい面構えの衛兵が待ち構えており、メリアローズがさりげなさを装って逃げ出そうとすると、有無を言わせず部屋の中に戻されてしまうのだ。
「まったく、もぅ……!」
やることのないメリアローズは、いつでも部屋の外へ出られるようにドレスを着用したまま……日課のヨガにいそしんでいた。
東方から伝来したこの運動は、今貴族の女性の間でひそかなブームとなっていた。
メリアローズも理想のプロポーションを保つために、日夜努力は欠かせないのである。
ウシュトラーサナ(ラクダのポーズ)を取りながら、メリアローズはふぅ、と息を吐いた。
――でもウィレムも、一言くらい私に声を掛けてくれたっていいじゃない……!
彼がどこかに行ってしまったというのに、自分だけ何もわからないまま軟禁状態……というのは、中々腹が立つ状況だ。
アンジャネーヤーサナ(三日月のポーズ)へ移行しながら、メリアローズは苛立ちを覚えずにはいられなかった。
――せっかくの王国祭なのに……全然楽しめてないわ! 私だっておいしいものとか食べたいのに!
ジェイルと一緒に、どこのグルメを食べようかと話した時のことを思い出す。
どうせこんなことになるのなら、誘拐された時にジェイルが用意したケーキを、思いっきり食べてもよかったかもしれない。
ぷりぷりと怒りながらティッティバーサナ(ホタルのポーズ) へ移行したメリアローズは、いつの間にか王国祭のグルメのことばかりを考えていた。
そのせいか、扉の外から聞こえてくる物音への反応が遅れてしまったのである。
ばたばたと王宮には似つかわしくない足音が聞こえたかと思うと、バタンと勢いよく部屋の扉が開いたのだ。
「メリアローズ様見てください! これ外で色々買って――」
満面の笑みを浮かべて飛び込んできたジュリアと、未だにホタルのポーズを崩していないメリアローズの視線が合う。
更に、ジュリアの背後からひょこりとバートラムまで姿を現したのだ。
「……」
「…………」
「………………」
ドレスのまま大きく広げた足を伸ばし、腕だけで体を支える奇妙なポーズを取る公爵令嬢。
どう考えても、他者には見られてはいけない格好だ。
ほんの一瞬の時間が、まるで数時間のように長く感じられた。
その場の静寂を破ったのは、にやついた笑みを浮かべるバートラムの一言だった。
「残念、ドロワーズは穿いてるのか」
次の瞬間、メリアローズの投げつけた枕が、バートラムの秀麗な顔面にめり込んだ。
◇◇◇
「ほら、この串焼きがおいしいんですよ、メリアローズ様!」
「ジュリア、頬にソースがついているわ。もう少し身なりに気を遣いなさい」
「えー?」
ひとしきりバートラムをぼこぼこにして落ち着きを取り戻したメリアローズは、夢中で串焼きを頬張るジュリアの頬を優雅に拭ってやった。
メリアローズはこんなところに軟禁状態であったというのに、バートラムとジュリアはのん気に王国祭を楽しんできたというではないか。
まったく、こうして土産を持ち帰らなかったら、決して許さなかったところである。
「メリアローズ様も食べてみてください。ほらほら!」
「わ、わかったわ……」
ジュリアに促され、メリアローズはドキドキしつつも串焼きを手に取る。
目の前のジュリアがはむはむと頬張っているので、基本的な食べ方はわかる。
だが、メリアローズはナイフとフォークもなしにこのような料理を食したことはなかった。
――いえ、これも経験よ……!
覚悟を決めて、メリアローズはぱくりと串焼きに食らいついた。
そして……口内に広がる、未知の味。
「おいひぃ……!」
「ですよね!? やったー! メリアローズ様に喜んでもらえちゃった!!」
ばんじゃーい、と両手を上げるジュリアに少々恥ずかしくなりながらも、メリアローズはありがたく串焼きを味わうのだった。
「どれどれ、俺も一つ頂こうかな」
いつのまにか復活したバートラムが、メリアローズとジュリアの間に割って入り、ぺろりと串焼きをたいらげた。
バートラムに文句を言うジュリアを眺めながら、メリアローズはくすりと笑う。
国内外の王侯貴族が滞在するような王宮内の豪奢な一室で、庶民のように串焼きを頬張る(一応)貴族子女三人。
奇妙な光景だと思わないでもなかったが、どうせここにいるのは気心の知れた者だけだ。そこまで気にすることはないだろう。
――まぁ、たまには……こんなのも悪くはないわね。
本来の楽しみ方とは随分異なっているような気はしたが、それでもメリアローズはちゃんと祭りの味を楽しんだのだった。




