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95 元悪役令嬢、演技をする

 ゆっくりと歩みを進めるメリアローズに、観衆の視線が突き刺さる。

 ここでメリアローズが下手を打てば、国や王家の威信を揺るがすような事態に発展しかねないのだ。

 そう思うと怖気づきそうになったが、その途端、メリアローズの視界にウィレムの姿が映る。

 彼はメリアローズに向かって、そっと頷いた。

 その途端、ふっと不安が、恐怖が消えていく。


 ――そうよ、ウィレムは身を挺して私たちを守ってくれた。だったら今度は、私の番ね……!


 見ていて頂戴。これが、メリアローズ・マクスウェルの戦い方よ。

 彼に向かってそっと微笑み、メリアローズは大きく息を吸う。そして再び口を開いた。


「平和を乱す悪徒たちは、既に我が国の誇る精鋭兵……それに、若き騎士たちによって鎮圧されております。我が国の平和、皆様の安寧は、いついかなる時も彼らによって守られています。勝利の女神は、常に我らの味方なのです!」


 大げさに身振り手振りを加えながら、メリアローズは続ける。

 観衆たちは、じっとメリアローズの言葉に聞き入っているようだった。

 逃げ出そうとする者は……もういない。


 ――あとは……なんとか皆の気分を切り替えることができれば……!


 試合会場の中央――ユリシーズの元へ歩みを進めるメリアローズの目に、ロベルトの姿が目に入る。


 ――確かロベルト様は優勝者……。こうなったら、利用させてもらうわ!


 メリアローズはロベルトに向かってにこりと笑顔を向け、彼の前へと足を進める。

 ロベルトは、どこか興味深げな表情でメリアローズを見ていた。

 彼の手を取り、メリアローズは観衆に向かって高らかに叫んだ。


「そして今日ここに、新たな英雄が誕生いたしました! さあ皆さま、彼を祝福しなければ勝利の女神がへそを曲げてしまいますわ。ロベルト殿下に大いなる祝福を!!」


 メリアローズの声に呼応するように、会場からまばらな拍手が起こり始めた。

 最初は数人の、小さな拍手は、やがて声援交じりの大きな渦へと変わっていく。


「……君はすごいな」


 メリアローズに向かって小さくそう告げると、ロベルトは観衆に向かって大きく手を振り始めた。

 彼らの注目がロベルトに注がれているのを確認して、メリアローズはそっと、刺客を捕らえた衛士たちに撤収を指示していたユリシーズに近づき、小声で囁く。


「王子、パレード用の花火の用意がありましたよね。……予定外ですが、今から何発が打ち上げていただくことはできますか」

「……わかった。責任はすべて僕が持つ。君の機転に感謝を」


 今は何よりも不安を忘れさせ、観客の気分を盛り上げるのが最優先だ。ユリシーズもそう察したのだろう。

 小さくそう呟くと、ユリシーズは控えていた侍従に小声で指示を飛ばしていた。

 その様子を見届けて、メリアローズはいまだにユリシーズの隣で怯えたように身を縮こませるリネットに近づく。


「大丈夫よ、リネット」

「メリアローズ様……」


 顔を上げたリネットの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

 無理もない。今しがた、彼女は危うく殺されかけるところだったのだ。

 普段なら怯える彼女を宥め、十分に泣かせてやることもできたのだが……今はそうはいかない。

 そっとリネットの涙を拭い、メリアローズは彼女に囁いた。


「顔を上げて、リネット。あなたが不安そうな顔をしていれば、それは皆に伝わってしまうわ」


 そう告げると、リネットははっとしたような表情を浮かべる。


「大丈夫。もう絶対にあなたを傷つけさせたりしない。だから、何も心配しなくていいのよ」


 ゆっくりと優しく、メリアローズはリネットに語り掛ける。


「だから今は、顔を上げて、笑って。皆が、不安にならないように。それが……上に立つものの責務よ」


 そう告げた途端、リネットは大きく目を見開いた。

 じっと励ますように、メリアローズは彼女の手を握る。


 ――そうはいっても……難しいわよね。


 メリアローズは幼い頃から、貴族として、公爵令嬢としてどのように振舞うべきかをみっちり教えられてきた。

 王族や貴族は民を守り、導くという義務がある。

 時には、虚勢を張ったパフォーマンスも必要なのだ。

 慌てふためき弱みを見せれば、それこそ敵に付け入る隙を与えることになってしまう。

 だから、たとえどれだけ危険な状況でも、笑顔で優雅に振舞わなければならないこともあるのだ。


「リネット……」


 リネットは何も言わずに俯いた。

 彼女はこのような危険とは無縁な、春風のようにたおやかな少女だ。

 いきなりこんなことを言われても、すぐに受け入れられるわけはないだろう。

 さてどうするか……とメリアローズが思案を始めた時、メリアローズが握った手が、確かに握り返されたのだ。


「メリアローズ様……」


 消え入りそうな声で、それでもリネットは確かにメリアローズの名を呼び、顔を上げた。

 彼女は、もう泣いていなかった。


「もう、大丈夫です。メリアローズ様」


 ……そうだ、これがリネットだ。

 穏やかで、芯が強い。彼女は、そんな少女だったのだ。

 そう思いだし、メリアローズは微笑む。


「私も、メリアローズ様のような……立派な淑女になってみせます。だから……」


 メリアローズの手を握るリネットの手に、いっそう力がこもった。


「見ていて、ください……!」


 不安げに瞳を揺らめかせて、それでも気丈にリネットはそう告げた。

 そんな彼女に、メリアローズはしっかりと頷き返す。


「えぇ、お手並み拝見させてもらうわ」


 メリアローズがそう言うと、リネットは嬉しそうに顔を輝かせる。


 ――リネットが王子の婚約者に選ばれたのは……私にも責任がない訳じゃない。しっかりと支えてあげなきゃね。


 ユリシーズに手を取られ、リネットも控えめに観衆に向かって手を振っている。

 その姿を見て、メリアローズは小さく息を吐いた。

 すると、メリアローズの方をを振り返ったロベルトが意味深に片目を瞑ってみせた。

 その意味が分からず、目を瞬かせるメリアローズに向かって笑いかけると、彼は観衆の方へ視線を戻し、とんでもないことを口にしたのだ。


「やれやれ、ここまで勝利の女神と皆に祝福されては、これは一肌脱がないわけにはいかないな。それでは……エキシビジョンマッチと洒落こもうか!」


 ロベルトが観衆に向かって高らかにそう宣言すると、一気に会場は湧き立った。

 彼の思わぬ言葉に、メリアローズは目を丸くする。


「さて、肝心の対戦相手だが……ユリシーズはどうだ? いや、婚約者の前で無様な姿を晒させるのは気の毒だな。やめておこう」


 ロベルトの冗談に、会場内は笑いに包まれた。

 すぐ近くにいたユリシーズが、笑顔のまま軽く舌打ちしたのにメリアローズは気がついたが、そこは聞こえなかったふりをした。


「そうだな、だったら……」


 ロベルトの視線が一点を向く。つられるようにそちらに視線をやって、メリアローズは驚いた。


「ウィレム・ハーシェル、君と戦いたいと思っていた」


 ロベルト王子の視線の先にいたのは、メリアローズと同じく驚いた様子のウィレムだったのだ。

 彼は一瞬呆気にとられたような表情を浮かべたが、すぐににやりと笑う。


「……光栄です、ロベルト殿下。俺も一度あなたと剣を交えてみたいと思っていました」

「仕切り直しだ。今度は逃げるなよ?」


 ウィレムとロベルトはどこか楽しそうに、会場の中央へと進んでいく。

 どうやら本当に、エキシビジョンマッチが始まるようだ。

 確かに観衆の気を逸らすことはできただろうが……これは大丈夫なのだろうか。


「止めなくていいのかしら……」

「メリアローズ、これは男のロマンなんだ。君は勝負の行く末を見守らなければならないんだ」

「はぁ……?」


 何故か嬉しそうなユリシーズに、メリアローズは首をかしげることしかできなかった。

 まぁ意味はよくわからないが、花火までの時間稼ぎにはなりそうだ。


「さぁ皆さま、わたくしと共に勇敢なる二人の騎士に熱い声援を!!」


 メリアローズが観客に向かって呼びかけると、会場の至る所から黄色い声援が飛んでくる。

 隣国の王子とノーマークの若き剣士の対決に、今や観客は夢中になっているようだ。


 ――よしよし、これでさっきの不祥事は忘れられそうね……!


 熱狂の中、どこか楽しそうに剣を交える二人を見ながら、メリアローズはそっと安堵の息を吐いた。



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