94 王子の婚約者、危機に陥る
ウィレムとジュリアが散々に暴れたせいで凄惨な状態の屋敷を抜け、メリアローズ達はひたすらに剣術大会の会場を目指し走り続けた。
王国祭の真っ最中ということで、通りは行き交う人でごったがえしている。
鬼気迫る表情で一心に通りを走り抜ける四人を、すれ違う人たちは「なんだなんだ」と不思議そうに振り返っている。
「なぁ、ほんとにあいつの言うことは信用できるのか!?」
「ジェイルはこんな時に嘘をつく子じゃないわ。絶対に何かあるはずよ……!」
バートラムはいまいちジェイルの言うことが信用できないようだ。ジュリアに至っては、おそらくまったく事態を理解していない。
メリアローズの横を走りながら「私たちどこに向かってるんですか?」などと呑気に問いかけてくる彼女に、メリアローズは小さくため息をついてしまった。
説明している時間がないのが歯がゆい。
「とにかく、今は王子とリネットのことを最優先に!!」
◇◇◇
やっとの思いで剣術大会の会場に舞い戻ったメリアローズの目に入ったのは、まさにユリシーズが優勝者に栄誉の証として白く輝く美しい剣を授けようとしている場面だった。
本来ならあれはメリアローズの役目だったのだが、勝利の乙女の不在につき王子が授与するということになったようだ。
――ユリシーズ様に……リネット! よかった、二人とも無事ね……。
ユリシーズの背後には、緊張した面持ちのリネットの姿も見える。
二人の無事を確認し、メリアローズはほっと息を吐いた。
どうやら大会を制したのは、ロベルト王子のようだ。
ユリシーズの前に立つ彼は、緊張することもなくリラックスした様子を見せている。
見目麗しい二人の王子がそろい踏みの状況に、会場に集まった観客たちは眩すぎるロイヤルオーラにあてられたのか、ぽぉっと夢見心地になっている。
ざっと会場内を見渡し、メリアローズは怪しい者がいないかどうか視線を走らせた。
――やっぱり、警備の人数が少なすぎる……!
あのユリシーズとリネットのことだ。自分たちの警備要員まで、メリアローズの捜索に回してしまったのかもしれない。
自身の失態に内心舌打ちしながら、メリアローズは足を早め……気がついた。
「っ! あそこ!!」
王子やリネットたちの後方、ダブル王子に夢中になっている観客たちとは明らかに異なる動きの者がいる。
見た目はどこにでもいる若い男だ。だが、彼は明らかにせわしなくあちこちを見回している。
……まるで、何かのタイミングを図るかのように。
どうやら警備の者たちも、ダブル王子が正装で並んだレアな状況に視線を吸い寄せられており、不審者には気がついていないようだ。
もっとちゃんと仕事しなさいよ!……という思いをぐっと押さえ、メリアローズは思いっきり叫んだ。
「ユリシーズ様! リネット! 後ろ!!」
「メリアローズ様!?」
その途端リネットの表情がぱっと輝き、彼女は嬉しそうにメリアローズの姿を探し始める。
――しまった……!
メリアローズは瞬時に己の失態を悟った。
メリアローズの声に反応したのはリネットだけではない。
不審者も自らの存在を悟られたことに気づいたのか、一気に行動を起こしたのだ。
「なっ、止まれ!!」
若い男はいきなり走り出すと、ダブル王子に視線を奪われていた警備兵の隙をついて一気に飛び出した。
彼が手にした短剣が狙うのは……驚いたように立ちすくむリネットだ。
「リネット!!」
メリアローズはほとんど悲鳴に近い叫び声をあげることしかできなかった。
だが、凶刃がまさにリネットを切り裂こうとした瞬間――
キィン……と小気味よい剣戟の音が響き、男の短剣が弾き飛ばされ宙を舞う。
優勝者に授与するはずだった剣を手にしたユリシーズが、瞬時に身をひるがえし剣を振るい、リネットを凶刃から守ったのだ。
ユリシーズが冷たい目で男を睨むと、男は明らかに怯んだ様子を見せる。
そして、その隙に集まってきた警備兵に取り押さえられていた。
「よかった……」
「いや、まだだ……バートラム、メリアローズさんを頼む!」
「えっ!?」
そう言うやいなや、ウィレムはどこかを目指して走り出した。呼応するように、ジュリアもその後に続く。
「ちょっと!」
「おい、待てよ!!」
メリアローズも慌てて二人を追いかけようとしたが、すぐ背後にいたバートラムに腕を掴まれ、引き留められてしまう。
「離して!」
「やめろ、危険だ」
強い力で肩を抱かれ、言い聞かせるように低く囁かれ、メリアローズは思わず固まってしまう。
「大丈夫、ウィレムを信じろ。…………あとジュリアも。お前に何かあったら、それこそあいつらが発狂するぞ」
バートラムに諫められ、メリアローズは踏み出しかけた足を止める。
……確かに、バートラムの言う通りかもしれない。
メリアローズはウィレムのように、こちらに害をなそうとする者と直接戦うような力はない。
今二人についていっても、足手まといにしかならないのだ。
――だったら、私は私にできることを……
いつでも動けるように周囲の状況に気を配りながら、メリアローズはきゅっと唇を噛んだ。
おそらくウィレムは、客席に潜む残党に気づいたのだろう。
ウィレムとジュリアに追いつめられ逃げようとした者が数人、あえなく制圧され警備兵に連行されていく。
だがその中の一人が、やけになったかのように客席から飛び出し、王子たちの方へ向かって駆け出していくではないか。
「っ……!」
メリアローズは思わず息をのんだが、ウィレムとジュリアの反応は素早かった。
風のように駆け抜けたジュリアが大の男に背負い投げをお見舞いし、ウィレムが膝で抑え込むようにして男の自由を奪ったのだ。
――……これで終わり? いえ、まだ……!
ざっと見渡す限り、これ以上行動を起こすものはいないようだ。
だが、メリアローズはピリピリとした嫌な空気を感じ取っていた。
悪意や敵意のようなものだろうか。確かに感じるその源は……
直感的に、メリアローズは視線を上げる。そして、見つけた。
付近の建物の屋上――柱の陰に隠れるようにして、弓を引き絞り狙いを定める人影を。
「ウィレム、上!!」
とっさにそう叫んだ途端、矢が放たれた。その軌道の先にいるのは……ユリシーズとリネットだ。
メリアローズの声に呼応するように、ウィレムが視線を上に向ける。
そして次の瞬間、彼は瞬時に剣を抜き、空を切るように振り下ろした。
まさに、奇跡としか言いようがないだろう。
彼は、飛来する矢を剣で叩き落したのだ!
失敗を悟ったのか、屋上の弓兵はすぐに姿を消した。
ほっと息を吐いたメリアローズだが、すぐ背後から聞こえてきたバートラムの声に、はっと気を引き締める。
「まだだ! 二階に一人、建物の陰に二人! 一人たりとも逃がすな!!」
バートラムの声に、警備に配置された兵たち……それに、大会参加者と思われる若き騎士たちが駆けだしていく。
メリアローズはじっと神経を研ぎ澄ましたが、もう先ほどのようなピリピリとした敵意は感じない。
だが、その代わりに、あたり一帯を観客の悲鳴やざわめきが包み込んでいた。
「なに、何よ今の……!」
「やだ、怖いよ……」
「暗殺者だ! 早く逃げるぞ!!」
――まずい、このままじゃパニックに……!
ウィレム達のおかげで、ユリシーズもリネットも無事だ。観客にも被害はない。
だが、このままでは観客たちはパニック状態に陥り暴走してしまうだろう。
そうなれば、本来起こるはずのなかった大事故へとつながる可能性も否定はできない。
なんとか、ここで食い止めないと……!
メリアローズは意を決して、大きく息を吸った。
「みなさん、落ち着いてください!」
メリアローズが渾身の力を込めてそう呼びかけると、不意に観客は静まり返る。
――動揺してはダメ、怖がってはダメ。落ち着いて、落ち着くのよメリアローズ……!
メリアローズはにこりと笑って、一歩足を踏み出した。
自分でも足が震えているのを感じずにはいられなかったが、それを悟られないように精一杯の笑顔を浮かべる。
「みなさん、お怪我はありませんか? 先ほどの騒ぎ、さぞや驚かれたことかと思いますが……もう大丈夫です。何も恐れることはありません」
この会場の全ての人間がメリアローズを見て、メリアローズの言葉に耳を傾けている。
この場をうまく収められるかどうかは、メリアローズの振る舞いにかかっているのだ……!
そう意識して、メリアローズはまた一歩足を踏み出した。