89 救出隊、結成
ちょっと時間が戻ってウィレムsideの話になります
「あれ、メリアローズ様がいない?」
剣術大会の会場の片隅で、傍らのジュリアが不思議そうにそう呟く。
彼女の言葉に同意するように、ウィレムはじっと貴賓席の方を見据えた。
試合は次々と進み、今も競技場では二人の剣士が激しく剣を交え、勝敗を決しようとしている最中だ。
だがユリシーズ王子の隣――試合を見守る勝利の乙女が座るはずの場所には、何故かメリアローズの姿がなかったのだ。
ユリシーズ王子はさすがのポーカーフェイスを保っている。
しかし、その横にちょこんと腰掛けたリネットは、きょろきょろと不安そうにあちこちを見回しているではないか。
メリアローズの不在に、明らかに様子のおかしいリネット。
……何が予想外の事態が起こったのは、想像に難くない。
「ウィレム様、まさかメリアローズ様に何かあったんじゃ……」
ジュリアは次の試合の準備をするのも忘れた様子で、あわあわと挙動不審になっている。
彼女の気持ちは、ウィレムにもよくわかる。メリアローズに何かあったのではないかと考えると、とても次の試合のことなど気にしている場合ではない。
もしも、この大会で優勝できなければ、ウィレムはメリアローズのことを諦めざるを得なくなる。
だが、それでも……
ウィレムは小さく息を吐き……覚悟を決めた。
「そうだな……こんなところでじっとしている場合じゃない」
そう呟きジュリアの方を振り返ると、ウィレムは大きく頷いて見せた。
「メリアローズさんを探しに行こう」
そう口にすると、ぱっとジュリアの表情が輝いた。
ジュリアと二人、とりあえず事情を確認しようと出場者の待機場所から歩きだそうとした時、慌てたようにバートラムがこちらへとやって来るのが見えた。
「おいおいおい、お前らどこ行くんだよ!」
「どこって……言わないとわからないのか」
目線だけでメリアローズがいなくなった席を示唆すると、バートラムは苦々しく表情を歪めた。
彼も、何か異常が起こったことは察しがついているのだろう。
「だとしても、お前は残れ。この大会はせっかくマクスウェル家がお前に与えてくれたチャンスなんだぞ。それをふいにするような真似は――」
「バートラム」
バートラムの言葉を遮り、ウィレムは冷静に告げる。
「今最も重視するべきは、メリアローズさんの身の安全だ」
確かに、ウィレムにとってこの大会は一世一代のチャンスだ。
一度失敗すれば、きっとマクスウェル家は二度とチャンスを与えてくれるようなことはないだろう。
だが、何もかもがメリアローズが無事でいてこその話なのだ。
例えウィレムが優勝したとしても、彼女の身に何かあったりしたのなら、それこそ何の意味もなくなってしまう。
今はまだ、メリアローズに何が起こったのかはわからない。
リネットが早とちりをしているだけで、メリアローズはただ単に所用で席を外しているだけなのかもしれない。
それでも……
「メリアローズさんの危機に動けないようなら、俺は彼女の騎士でいる意味がない」
……騎士にとって最も大切なこと。
それは名声でも、栄誉でもないとウィレムは思っている。
ウィレムは何よりも、メリアローズの騎士でありたかった。
富より名誉より、大切に想う相手を守りぬくことこそが騎士の条件ではないのか。
たとえこの大会で優勝できず、彼女を他の相手に奪われることになったとしても……それでも、メリアローズが無事ならばそれでいい。
自分は変わらずに、いつまでも彼女を守り続けるだけだ。
ここでメリアローズのことを放り出して優勝できたとしても、何よりもウィレム自身が自分を許せないだろう。
「……いいのかよ、これが最初で最後のチャンスなんだろ。俺だったらここに残るけどな」
どこか挑発するようにバートラムがそう口にする。
だがウィレムには、迷う気持ちは一切なかった。
「いいんだ、早く行こう」
「ウィレム様……私もお供します!」
ジュリアが力強くそう告げる。
ウィレムは張り出されたトーナメント表の方へちらりと視線をやった。
ちょうど次のウィレムの対戦相手は、ロベルト王子となっている。
――王子相手に敵前逃亡する腰抜けだと思われるだろうが……だからなんだ。
ウィレムにとって最も大事なのは、メリアローズの身の安全だ。
彼女の無事を確認するまで、試合など二の次でしかない。
「……わかった、とりあえず王子周辺の奴に事情を聞くか」
「はいっ!」
バートラムとジュリアが小走りで試合会場を後にする。
意を決して、ウィレムもその場に背を向けた。
◇◇◇
「……ここか」
目的地を視界に入れ、バートラムはぽつりと呟いた。
王都貴族街の一角。侵入者を拒むかのような高い柵に囲まれた、広壮な邸宅。
情報が正しければ、ここに探し人――メリアローズはいるはずだ。
「それにしても、よくこんな短時間でそれらしい場所を見つけられたよなぁ」
少し息抜きに出たはずのメリアローズがどこにもいない、と半泣き状態のリネットから話を聞いたバートラムたち三人は、すぐさまメリアローズの捜索を開始した。
ウィレムは一目散に衛兵隊の詰所へ駆け込んだかと思うと、どんな手を使ったのか、あっという間に「ぐったりとした様子の赤みがかった髪の女性が、貴族街の屋敷の一つ運ばれたらしい」という目撃情報を手にしていたのだ。
さすがは将来有望な聖騎士の弟。コネを最大限に有効活用し、ゴリ押しする時はするのだ。
バートラムは感心した。てっきりメリアローズが誘拐されたことで狼狽して使い物にならないかと思っていたが、この元王子の取り巻きの青年には、こんな状況でも冷静に状況を分析する能力は残っているようだ。
「見張りがいますね……」
むむむ……と眉を寄せて、ジュリアがそっと呟く。
建物の陰からそっと件の邸宅の様子を窺うと、中へとつながる門はきっちりと閉じられ、厳めしい顔つきの門番に守られているようだ。
これは一筋縄ではいかないだろう。
「さて、どうするよ」
バートラムたち三人は学生とはいえ貴族の身分だ。
もし当てが外れて、この屋敷がメリアローズの失踪に無関係だった場合のことを考えると……あまり派手に動きたくはない。
「どこか別の侵入経路を探すか、何とかあの門番たちをどかす方法を考えるか」
バートラムが顎に手を当て思案していると、ウィレムはゆっくりと首を横に振った。
「いや、その必要はない」
「んあ?」
もしや、もう有効な解決方法を思いついたのだろうか。
こいつけっこう頭は切れるんだよな……とバートラムは再び感心した。
ウィレムはすぅ、と息を吸うと、顔を上げて真っ直ぐな瞳で屋敷を見据え、そして告げた。
「正面突破する」
「は?」
……前言撤回。
こいつメリアローズがいなくなって相当焦ってやがる……!
冷静そうな顔をしてとんでもないことを言いだしたウィレムに対し、バートラムはただ呆気にとられることしかできなかった。