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10 悪役令嬢の取り巻き、ふと自身を顧みる

 リネット・ヴィシャスはヴィシャス伯爵家に生まれた、気立ての良い娘だった。

 優秀な世継ぎである兄と、少々やかましい妹たちに囲まれて、何不自由なく、とは言い難いが案外自由にのびのび育った令嬢なのである。

 そんなリネットは王都の学園への入学を半年ほど後に控えていた。


「ねぇ、リネットは王子と同じ年にロージエ学園に入学するんでしょ? いいなぁ」

「同じ年、といっても私と王子様なんて関わり合いになれるわけがないわ」


 偶然にも、リネットはこの国の第一王子、ユリシーズと同じ年に生を受けた。

 王侯貴族の通うロージエ学園に入学すれば、晴れて王子の同級生、ということになるのである。


 この国の多くの少女たちと同じように、妹たちは見目麗しく文武両道な完璧王子に夢中のようだった。

 しかし、リネットはそうではなかったのである。


「王子にはマクスウェル公爵家のメリアローズ様がいらっしゃるのよ。他の方に目移りするはずがないわ」


 マクスウェル公爵家のメリアローズ。

 この国で王子の名を知らない令嬢がいないのと同じように、メリアローズのことを知らない令嬢がいないとも言ってもよいほどの有名人だ。


 豊かに波打つ艶やかな赤みがかった髪に、誰もを魅了するような愛くるしい美貌。ダンスも演奏も朗読も何をやらせても一級品であり、まさに淑女の中の淑女と言ってもいい令嬢だ。

 そんなメリアローズの父であるマクスウェル公爵は、ユリシーズの父である現王の元で宰相を務めており、ユリシーズとメリアローズは幼い頃から仲睦まじい様子を周囲に見せていたのである。

 当然、誰もがユリシーズの妃になるのはメリアローズだと思っているのだ。


「でも全然婚約とかそういう話を聞かないじゃない。この前オルグレン侯爵家の方がメリアローズ様に求婚されたって聞いたわ」

「でも、メリアローズ様は受けられなかったんでしょう? やはり王子とのお話が進んでいるのよ」


 ユリシーズとメリアローズが並ぶと、まるで宮廷画家が丹精を込めて描かれた絵画のような、浮世離れした空間が発生するのだ。

 無粋にもその中に飛び込んでいける者がいるとはリネットには思えなかった。


「そうかしら……リネットはどうせなら王子に選ばれたいとか思わないの?」

「そんな出過ぎたことを考えるわけがないじゃない。王子の相手はメリアローズ様で決まりよ」


 リネットとて、麗しい王子に心惹かれないわけではない。ただ、自分よりももっと王子に似合いの相手がいるのに、わざわざその完璧な調和を崩そうとも思わないだけだ。


「メリアローズ様……」


 相手がメリアローズほどの素晴らしい令嬢となると、もはや嫉妬の念すら湧いてこない。

 こういう感情を、「尊い」というのだろう。

 リネットはメリアローズと直接話したことはない、だが何度か遠くからその姿を見かけたことはある。

 美貌も、教養も、地位も、何もかもを兼ね備えた令嬢の中の令嬢。ダンスを踊れば蝶のように舞い、一瞬でその場にいる者の視線を引き付けてしまう。数多くの貴公子に求愛されながらも、その目に映るのは若き王子の姿のみ。


 そんな天上の存在、至上の薔薇であるメリアローズは、まさにリネットの憧れの存在であったのだ。

 学園に入学しても王子に近づけるとは思わないが、もしかしたらメリアローズの方には近づくことができるかもしれない。王子を射止めたいなどという大それた野望よりも、リネットにとってはそちらの方がずっとずっと期待が持てるのだ。


 そんなリネットに、転機が訪れた。


「『王子の恋を応援したい隊』ですか……」


 いきなり国の重鎮が現れ面食らったかと思うと、彼はとんでもないことを提案してきたのだ。

 王子と田舎貴族の娘の恋を成就させよ、と……。


「そんな、メリアローズ様は……」

「えぇ、彼女には『悪役令嬢役』を快諾していただきました」

「悪役令嬢……?」


 どうやら大臣はメリアローズ自ら、王子とその娘の恋を応援するように仕向けたようだ。

 彼の話では、王子とメリアローズは別に婚約者でも相思相愛の中でもなんでもないらしい。

 リネットは大いなるショックを受けた。今まで自分が描いてきた幻想が、がらがらと音を立てて崩れ落ちていくような錯覚に陥ったものである。


「あなたには是非悪役令嬢の取り巻き役をお願いしたかったのですが……」

「悪役令嬢の、取り巻き……」


 大臣は既にメリアローズが悪役令嬢役を快諾したと言っていた。ということは悪役令嬢の取り巻きとはすなわちメリアローズの取り巻きということになるのである。

 メリアローズの取り巻き、メリアローズの傍に侍る者……


「……お引き受けいたします」

「おぉ、これはありがたい!!」


 鼻歌を歌いながら去っていく大臣の後姿を見ながら、リネットはそっと自身の頬に手を当てた。

 これで、リネットは悪役令嬢の、メリアローズの取り巻きになることが決まったのだ。

 憧れの、メリアローズの……



「あああぁぁぁぁ!! どうしよおおおぉぉぉ!!!」


「リネット、どうしたんだ!!?」


 いつもにこにこと穏やかなリネットの変貌は、ヴィシャス家の者たちをたいそう慌てさせた。

 だが当のリネットは枕に顔を突っ込みニヤニヤを抑えるのに必死になっていたのである。


 憧れのメリアローズに近づける。

 うっかり名前を呼んでもらったり、あの美しい髪に触れたり、ひょっとしたら彼女の家にお呼ばれしてしまうかもしれないなんて……!


「生きててよかったー!!」

「母様、リネットがおかしいの!!!」


 家族や使用人の心配もどこ吹く風で、リネットはただただ己の幸運に酔いしれていた。



 ◇◇◇



 そして、顔合わせの日。

 リネットは初めてメリアローズと顔を合わせることになったのだ。


『なるほど、すると私と貴女はともに行動することが多くなりそうね』


 初めてメリアローズがかけてくれた言葉はきっと生涯忘れることはないだろう。

 初めて近くで見て、言葉を交わしたメリアローズは……少し、ほんの少しだけリネットが抱いていたイメージと違っていたのは確かである。

 だが、リネットはますますメリアローズへの憧憬を深くしていった。


 彼女は完璧に悪役令嬢になりきっていたのだ。

 そんな、誰もやりたがらないであろう貧乏くじをわざわざ引き受ける程の、優しさを持ち合わせた素晴らしい人間だったのだ!


 一度話してみれば、メリアローズは朗らかでとっつきやすく、自然と人を笑顔にさせるような才覚の持ち主だった。

 こんな常軌を逸しているとしか言えないような計画にも真剣に取り組み、誰かに憎まれることもいとわず全力で悪役令嬢になりきろうとしているのである。

 リネットはそんなメリアローズに心酔し、玉砕する時は彼女と共に玉砕しようと覚悟を決めた。

 断頭台でも追放でも、メリアローズと共になら決して怖くはない。

 悪役令嬢の取り巻きとして、学園内に恐慌政治を敷いてやろうと力を尽くすことを決意したのである。




「でもやはり、残飯を食べさせるのはやりすぎだったのでは……」

「そうよ。いくら相手が田舎の娘と言ってもとんだ侮辱で――」

「あら、あなたたち」


 メリアローズの筆頭取り巻きであるリネットが声をかけると、末端の取り巻きである令嬢二人はひっと震え上がった。


「今何かおっしゃったかしら」

「い、いえ、何も……」

「そうよね。まさかメリアローズ様が間違ったことをなさるはずがないものね」

「えぇ、その通りです!」

「メリアローズ様は完璧な王子の婚約者であらせられますから!!」


 そう震える声で絞り出した二人に微笑んで見せると、二人はぎこちない足取りで廊下を走り去っていった。

 こうして生徒たちに恐怖の種を植え付けながら、リネットは今日も悪役令嬢としてのメリアローズを支え続けるのだ。

 いつか、王子との婚約破棄がなされるその日まで。


 いや、できればずっとその先も……



「リネット、ここにいたのね」

「はい、どうかしましたか? メリアローズ様」

「お兄様が隣国から美味しいお菓子を買ってきてくださったの! よかったらうちでお茶しない?」


 この心優しい令嬢を、これからもリネットは支えていきたいのだから。


「はいっ! 喜んで!!」


 メリアローズの傍に侍る幸福を噛みしめていると、廊下の向こうから見覚えのある二人が近づいてきた。


「おっ、いいねぇ。俺たちも行くか、ウィレム」

「そうですね。そろそろ作戦会議の時期ですし」

「まったく……まぁいいわ。皆で行きましょう」


 リネットと同じく「王子の恋を応援したい隊」のバートラムとウィレムも混ざって、今日はマクスウェル公爵邸でのお茶会となりそうだ。

 バートラムと何やら言い合いながら歩き出すメリアローズの背中を見つめて、リネットはそっと微笑んだ。

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[一言] うわ、百合……。
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