1 悪役令嬢、ヒロインに格の違いを見せつける(そしてその舞台裏)
「おはよう、ジュリア」
「おはようございます、ユリシーズ様!」
「君はいつも元気だね」
「はい! それだけが取り柄ですので!! そ、それでユリシーズ様、よろしければ今日の授業が終わった後――」
爽やかな朝の学園に、若い男女の声が響く。
並んで歩く二人の表情からは、この時間が楽しくて仕方がないということが一瞬で見て取れた。その微笑ましい光景に、周囲の生徒たちは穏やかな笑みを浮かべ、二人を見守る。
だが、そんな平和な時間も長くは続かなかった。
愛し合う二人を引き裂く障害……すなわち「悪役令嬢」の登場である。
「御機嫌よう、ユリシーズ様、ジュリア」
颯爽と取り巻きを引き連れて、見事な縦ロールを優雅に揺らしながら現れたその令嬢に、周囲の生徒たちはぱっと道を開けた。
――マクスウェル公爵令嬢、メリアローズ
王家に次ぐともいわれる権力を持つ公爵家の令嬢に、面と向かって歯向かえるような人間はこの学園には存在しないと言ってもよかった。
いや、たった一人存在するとすれば、それは王家の人間――今まさにメリアローズと対峙している、第一王子ユリシーズに他ならないだろう。
生徒たちは一様に、ユリシーズがメリアローズにびしっと引導を渡す日を待ちわびていたのだ。
「ユリシーズ様、よろしければ今夜、観劇に出かけませんか?」
先ほどのユリシーズとジュリアのやりとりが聞こえていなかったわけがない。
今まさにジュリアがユリシーズを誘おうとしているのを知ったうえで、メリアローズはユリシーズを横取りしようとしているのだ。
ユリシーズとジュリアが惹かれあっているのは一目瞭然。それなのに、この悪役令嬢は愛し合う二人を引き裂こうとしているのだ……!
なんたる非道! 家柄に物を言わせての横暴!!
周囲の生徒たちはこの悪役令嬢の暴虐に憤り、ユリシーズが手ひどくメリアローズの誘いを断ることを期待していた。
さぁ来い、ざまぁ展開よ!!
だが……
「……あぁ、楽しみだね」
「ふふっ、さすがはわたくしのユリシーズ様!……あら、ジュリア。どうかしたのかしら?」
いくら王子といえど、絶大な力を持つ公爵令嬢の機嫌を損ねることはできなかったのだろう。
明らかに無理をしたような笑顔を浮かべて、ユリシーズはメリアローズの誘いを受けてしまったのだ。
甘えるようにユリシーズの腕にしがみついたメリアローズが、勝ち誇った笑みを浮かべてジュリアを振り返る。
目の前で想い人を奪われたジュリアは少し切なげな表情を浮かべながらも、それでも健気に笑ってみせたのだ。
周囲の生徒たちが同情の涙を禁じえなかったのは、言うまでもないだろう。
「いえ……なんでもありません」
「あら、そうなの? ならあなたも早く行った方がいいわよ。授業に遅刻して落第すれば、びんぼ……あら失礼、特待生のあなたはもうこの学園にはいられませんものね!」
オーホッホッホ!!……とわざとらしいほどの高笑いを上げて、メリアローズはユリシーズを引きずるようにしてその場を後にする。
するとすぐに、メリアローズの取り巻きたちが大声で彼女を称賛し始めた。
「今日もメリアローズ様は素敵でしたわ!!」
「ユリシーズ様とも本当にお似合いで……やはりユリシーズ様の婚約者、未来の王妃としてふさわしいのはメリアローズ様を除いて他にはいませんわぁ」
「しっ、その話は内密に、と言われていたでしょう」
「あら、わたくしったら~」
周りに聞こえるように大声で、メリアローズの取り巻きたちはいかに自分たちのボスが王子にふさわしいか、ということをひたすらさえずっていた。
するとそれに負けじと、王子の取り巻き達も声を上げ始める。
「いいなぁ、王子は。メリアローズ様みたいなお方と婚約者でさ」
「やっぱりお似合いだよな!!」
そのわざとらしい声に押されるようにして、ジュリアはぐっと拳を握り走り去ろうとした。
だが、その途端一人の青年にぶつかり、うっかり倒れそうになったところを彼に支えられることになる。
青年は優しくジュリアをエスコートし、誰もが見惚れそうな笑みを浮かべた。
「ちゃんと前見ねぇと危ないぜ、子猫ちゃん」
彼の姿を目にした途端、ジュリアの表情が今にも泣き出しそうに歪む。
すると青年は、優しく指先でその滑らかな頬をなぞった。
「……ほら、何があったか知らねぇけどな。女の子は笑ってた方がかわいいぜ」
そう言ってウィンクした青年に、ジュリアは不器用に笑ってみせる。
そして、その光景を見ていた生徒たちは……
「ちょっと、当て馬が優勢よ! どうするの!!」
「やっぱり王子はメリアローズ様に押し切られて、ジュリアは当て馬に持ってかれるんじゃないのか?」
「でも、本当に愛し合ってるのはユリシーズ様とジュリアでしょ?」
今、彼ら彼女らの話題を最も占めているのが、この……王子とその周囲の恋模様の行方だ。
非の打ちどころのない王子、ユリシーズ。
下級貴族の出でありながら、その愛らしい性格で王子のみならず生徒たちのアイドルとなっているジュリア。
実家の権力を傘にやりたい放題の悪役令嬢メリアローズ。
そして最近頭角を現し、ジュリアにちょっかいを出す当て馬貴公子。
王子とジュリアが惹かれあっているのは明白だが、そこにメリアローズという障害が立ちはだかり、そして揺らぐジュリアに近づく当て馬の存在である。
日々情勢が変化する彼らの周囲から、もう少しも目が離せないと生徒たちは湧き立っていた。
◇◇◇
――そして授業後、学園の一室にて
「さて、今日の報告会を始めるわよ」
メリアローズがそう口にすると、ソファに足を投げ出すようにしてぼりぼりと菓子を貪っていた青年が、気だるげに手を上げた。
メリアローズはすぐさまびしっと指さし、青年を指名する。
「はい、当て馬!」
「当て馬いうな! ジュリアの様子だけどな……けっこう無理してる感じだな。『やっぱり王子とメリアローズ様はお似合いですね……』なんて言っててさ。聞いてらんなかったね」
「それでうっかり手出したりしてないでしょうね」
「してねぇよ! 紳士的かつ好意を匂わせる感じでフォローしておいたぜ」
「よし、合格とする!」
メリアローズがにやりと口角を上げると、当て馬と呼ばれた青年も答えるようにぐっと親指を立てて見せた。
次に口を開いたのは、品のよさそうな少女だ。
「こちらは、変わりはありませんね。皆、口ではメリアローズ様を褒めたたえるようなことを言っていても、内心は朝の態度に反感を覚えるものもいるようです」
「よし、いい傾向ね。引き続き取り巻きの誘導を頼むわよ」
「えぇ、仰せのままに」
メリアローズに褒められ、一人の少女が優雅にお辞儀をした。
彼女はメリアローズの取り巻きの一人……いわば扇動役である。
次にメリアローズは、じっと黙って話の成り行きを見守っていた眼鏡の青年に声をかけた。
「メガネはどうなの?」
「酷っ! せめて役名で呼んでくださいよ!」
「取り巻き役だとリネットとかぶるのよ。いいじゃないメガネ。わかりやすくて」
「はぁ、とんだ悪役令嬢様だ……」
メリアローズに話を振られ、ため息をつきながら眼鏡をかけた青年――王子の取り巻きの一人が口を開いた。
「王子は男を見せろよ派が4割、やっぱり権力には逆らえないですよね派が3割、ジュリアちゃんは俺の嫁派が2割ってとこですね」
「残りの一割は?」
「……聞かない方がいいですよ?」
「いいわ、教えて」
メリアローズに優しげな、だがどこか威圧を感じる笑みを向けられ、青年は小さくため息をついた。
「……メリアローズ様に服従したい派」
青年がそう口にした途端、メリアローズはさっと頬を朱に染めた。
「はぁ!? 馬鹿じゃないの!!? この私のどこがいいのよ!!」
「……まぁ、人の好みはそれぞれですから」
「うるさい! 何が言いたいのよ!!」
地団太を踏んでいたメリアローズだが、ふと時計に目をやりはっと焦った表情を浮かべた。
「やばっ! そういえば王子誘ってたんだった!!」
「早く行けよ。王子との約束をすっぽかすとますますお前の評判が地に堕ちるぞ」
「むしろそれでいいんだけど……面倒ね。リネット、私の代わりに行かない?」
「えぇー!? それ絶対おかしいですよ!!」
つべこべ言ってないで早く行け、と促され、メリアローズはしぶしぶ立ち上がった。
王子との観劇など、メリアローズにとっては面倒ごと以外の何物でもなかったのだ。
「はぁ、じゃあこれにて、第36回『王子の恋を応援したい隊、実働部隊定例会議』を閉会とする!」
そう宣言し、メリアローズはあわただしく部屋を飛び出した。
王子との逢瀬など面倒だが、メリアローズには行かなければならない理由がある。
完璧な悪役令嬢になるために、メリアローズはジュリアの前で王子に付きまとい、二人の邪魔をし、そして最後には二人の真実の愛に敗北しなければならないのだから。
「オーホッホッホッホ!!!」
廊下を疾走するメリアローズの高笑いが響き、何も知らない生徒たちはびくりと背筋を震わせるのであった。