1.
十七歳まで、父親と一緒に銀河系各地を回って暮らしていた。
両親は、僕が物心つく前に別れていた。だから僕は母さんの顔を知らない。
小さなオンボロ貨物船が父と僕の家。
星系から星系へ、真空を漂う〈渡り草〉みたいな生活だった。
僕が生まれるずっと前、まだ若かった頃の父さんは〈歴史学者〉を目指していたらしい。
どこをどう流れてそうなったのか、今の仕事は〈惑星クズ取り屋〉だった。
何らかの原因で知的生物が絶滅した惑星……幽霊惑星……に上陸し、彼らが残した物品の中から金目のものを拾って貨物船に載せ、他の星系で売りさばく。
違法か合法かと問われれば違法なのだろうが、知的生命が全滅した惑星に咎める者は居ない。
亜空間航法で他の星系に行ってしまえば、売り先の商人たちは品物の出所なんぞ気にしない。
この銀河には、全ての星系で適用される汎銀河法なんてものも無けりゃ、星域を越えて全銀河を取り締まる警察機関も無い。
どの星の政府も、他の星系で起きた犯罪なんかにゃ興味がない。
どの星の警察も、恒星の重力圏の外まで犯罪者を追いかけるなんて事は滅多にない。(まあ、ごく稀に、亜空間まで追いかけてくる物好きな警察も居るらしいが)
* * *
初めて父親の仕事を手伝ったのはκδ歴7024年・第十二の月……僕が十一歳になった翌月だった。
低衛星軌道の宇宙船から見下ろしたクリスマス星系第四惑星の、少し赤みを帯びた地表を、今でも時々思い出す。
* * *
操舵室の父が惑星〈クリスマス4〉の表面をスペクトル電波望遠鏡で調べている間、その同じ惑星を、僕は小さな古い貨物船の小さな自室の窓から見下ろしていた。
もちろん「見下ろす」という表現は喩えだ。
僕らの船は、亜空間航法で星系間を旅する外航船だ。
お金持ちの星系内航ヨットみたいに強結合クリスタル・ガラス製の光学窓が船殻に嵌め込まれているわけじゃない。
外部環境センサーが収集した情報を立体画像化して部屋の壁面モニターに映していたんだ。
モニターの遥か向こう側に広がる(ように見える)地表は赤黒く光っていて、なんだか禍々しく感じられた。
「緊張してるから、そう見えるだけだ」一人きりの小さな船室で、僕は自分に言い聞かせた。「大丈夫。そうそう危い目になんて会わないさ」
操舵室の父は、スペクトル望遠鏡から得た情報を陽子計算器に入力して危険度を割り出している最中だろう。
万が一、危険度が水準を超えていれば、父は惑星への降下を中止する筈だ。わざわざ亜空間航法で辺境星系くんだりまでやって来たエネルギーの分だけ赤字になってしまったとしても、だ。
『安全第一』が父さんの信条だった。まして一人息子の初陣となれば、危険度の見積もりは普段より厳しくするに決まってる……そう思いたかった。
恒星の光を反射して赤く光る惑星クリスマス4の地表を窓ごしに見ながら色々考えていたら、インターフォンのベルが鳴った。
「サトシ、居るか? 俺だ」インターフォンを通じて父の声が船室内に響いた。
「居るよ。どうぞ」と僕が返すと、プシュッと小さな音を立てて自動ドアが開き、父の髭面が現れた。
手に、極小分子穴テープの再生装置を持っていた。
「クリスマス星系の公用語は古代地球イングランド語の亜種だ」父が言った。「言語野脳細胞ライブラリィに導入しておけ」
僕は再生装置を受け取りながら「現地語の導入なんか必要なのかな? クリスマス星の住人たちは絶滅してるんだろ?」と父に言った。
「知的生命が一人残らず死滅しても、彼らが生活する上で必要とし生産し設置した品々は残っているさ……例えば店の看板、街角の案内図、道路標識……館内自動放送装置や、自動再生ラジオ放送局の類が今でも動き続けているって可能性もある。この惑星の住人が死に絶えてからそれほど年数が経っている訳じゃないからな。そういう一つ一つを手がかりにして『お宝』を探り当てるのが俺たちの仕事だ。そのためには現地語の理解が不可欠だ」
「ふうん……新たな惑星に降りるたびに一々言語データを導入するのは面倒くさいな。なんで銀河じゅうの知的生命体が協力して銀河統一語みたいなものを作ろうとしないんだろうな……」
「そういう試みはあったんだよ」かつて歴史学者だった父が言った。「通称『カッパデルタ計画』だ」
「へええ……」
「今から七千年余も前の話だ。銀河じゅうから最高の叡智と莫大な資金をかき集めて暗号名〈河童出る田〉という人工頭脳が建造された……銀河系に住む全ての知的生命体を一つの法律・一つの政治形態のもとで効率的に統治する方法を算出するためだ……銀河最高の計算能力を持つ人工頭脳は、起動から三億二千六百五十七万四千四百九十一秒の間ひたすら計算を続けた後、数理科学に最適化された人工言語で二億六千万文字を超える論文を出力し亜空間通信で全銀河に送信した。論文はこんな一文で始まっていたそうだ……『銀河系の全ての星を平和に統治することは不可能である。これからその不可能性を証明する』のちに『κδの全銀河平和統治不可能性定理の証明』と呼ばれる論文だ」
「不可能を証明するなんて、そんなこと可能なのかな」
「詳しいことは俺もよく知らん。何しろ七千年前の話だし、俺は陽子頭脳の専門家でもないし、な……定理の証明を全銀河にバラ撒いた直後、銀河一の人工頭脳は再び沈黙し、以後どんな信号を送っても反応することは無かった……そしてその沈黙と入れ替わるように、銀河中に配置されていた何万もの中継局が、一斉にパルス信号を発信し始めた。正確に、寸分の狂いも無く、三億一千百五十三万六千秒に一回」
「なるほど……つまり、その瞬間が『κδ歴』の『起算点』って訳か……」
「そういう事だ。それから七千年間、この銀河が完全に平和だったことは一秒もない。一秒の休みも無く、この宇宙のどこかしらで、誰かと誰かが大砲を撃ち合い、爆弾を落とし合い、殺し合って来た。全ての星系・全ての知的生物に一律に適用される法の制定、全銀河警察機構の樹立、銀河公用語の策定……そんなことを言い出す奴は今の銀河には一人だって居ないさ」
「そして新しい惑星に行くたびに、こうして新しい言語を導入しなけりゃいけないって訳か」
「その代わり……そのお陰で、と言っちゃナンだが、銀河全体で統一された法律やら政治形態なんて代物を強引に押し付けられなかったからこそ、それぞれの星系は、七千年のあいだ独自の文化を維持し育み続けることができたんだ……銀河系最高の人工頭脳が全銀河統治の不可能性を証明し、七千年前の知的生命たちが銀河統一政府の樹立なんて事業を放棄してくれたから、俺たちの住む銀河系には何千何万という多様な文明と文化が存在し続けているのさ。行った先々で相手を知る面倒臭さはそのためのコストだよ」
そのとき僕は(まだ十一歳だったけれど)父の言葉に何だか胡散臭いものを感じた。これから僕も手伝わされる父の商売にとって、『全銀河を横断的に取り締まる警察機構』なんてものは無い方が良い、そんなものを作られては困る……それが父の本音だろうと思った。