このペンションにつき、お客様は変人さまです
大学が春休みに入って少し経った頃、滅多に連絡してこないおじさんから電話が来た。
「大学の春休みって長いんだよな?」
今思えばあの時の電話はおじさんが仕掛けた巧妙な罠に過ぎなかった。春休みが2ヶ月あるとか、アルバイトを探してるなんて言わなければよかった。最終的におじさんは、
「じゃあ、明日迎えに行くからな」
と言って電話は切られてしまった。
おじさんが経営しているペンションに住み込みで働き始めて1週間、おじさんから与えられる仕事は、部屋の掃除とか、屋根の修理とか、薪割りとか、雑用ばかりで、うんざりしていたけど、ようやく今日初めてのお客さんを迎えることになった。おじさんが電話の横に置いてある宿泊台帳を指差した。
1月12日 柴田様 3名
「お前にとっては初めての客だな」
僕の肩を小突いておじさんは楽しそうに言った。
「なんか緊張しますね」
言ってから大きく息を吐き出した。
「そういえば、うちは普通のところとちょっと違うからな」
「え?」
「まぁ、その時が来れば分かることだから」
おじさんは不安にさせることだけ言い終えると黙ってしまった。
気付くと間もなく16時を迎える時刻になって外の方から車のエンジンオンが聞こえてきた。大きく深呼吸して、姿勢を正す。程なくして正面のドアが開いた。
「こんにちわー」
子供の甲高い声が天井まで響いた。入ってきたのは家族連れのお客さんで、小学生くらいの男の子はすぐお母さんの手から離れて暖炉の方へ駆け出した。すかさずお母さんの声が飛ぶ。怒られたたっくんは笑っていた。
「おい、なにボヤッと突っ立ってんだ」
おじさんに背中を押されてようやくいらっしゃいませと声が出た。
「お世話になります」
柴田さん夫婦はシンクロするみたいに言葉もお辞儀も一緒だった。荷物を受け取り2階の客室にご案内する。
「お食事が出来ましたらお呼びしますので」
そう言って締めたドアの向こうから、3人の笑い声が聞こえる。さっきおじさんが言ったことは僕をからかうための冗談だったんだと気付いて、ちょっと悔しくなった。
もしかしたらおじさんの言ってたことは本当かもしれないと思い始めたのはそれから少ししてからのこと。柴田ファミリーにおかしなところは基本的にはない。食事の時は食卓で一緒に食べるし、昼過ぎになると3人でどこかへ出かけて行って、必ず夕刻になる頃には帰ってくる。その時ももちろん3人一緒で、僕から見ても羨ましいぐらいの仲のいい家族。でも、そんな光景を見るのが2ヶ月以上続くとは思わなかった。柴田ファミリーは普通の家族だ。ずっといること以外は。おかげで柴田ファミリーとは仲良くなれたし、たっくんとはたまにキャッチボールなんかして、お兄ちゃんて呼んでくれるようになったけど、仲良くなった分、「いつまで居るんですか」なんてことはますます聞きづらくなってしまった。
「薪がねぇぞ」
おじさんの声が飛ぶときは、決まって何か用事があるときで、その声に僕よりも早く反応する人がいる。
「じゃあ、僕行ってきましょうか」
「いえいえ、柴田さんはお客様なんですから、この間も食事の準備をやってもらったばっかりだし」
「いいんですよ、やりたいんです」
柴田さんは笑って裏庭に消えていった。少しずつ従業員としての仕事も奪われつつある。
「お前、薪割りはどうした?」
「柴田さんが行きました」
「バカ野郎、あの人はお客さんだぞ」
おじさんの正論に返す言葉もなかった。
「じゃあ、下まで行ってこれ買ってこい」
おじさんは手帳に書きなぐったものを破いて僕の手に押し込んだ。
「1,000円以内だからな」
1番近い飯田商店までは、駅の方面に山道を下りなきゃいけない。行きは15分で着くのに、帰りはその倍以上かかる坂道をマウンテンバイクで下る。店は坂道を下りきって国道に入ってから見えてくるバス停を少し超えたところにある。ちょうど店から酒ダルを抱えた飯田さんが出てきて、ベルを鳴らした。
「おう、またお遣いか」
「はい」
「配達の準備があるから、用が済んだら呼んでくれ」
飯田さんは多分還暦を超えてると思うけど、飯田商店と刺繍が入った法被を着ていても、中の体が屈強なのがわかる。10キロの米を軽々と持ち上げ店の中と外を往復している。邪魔にならないようにおじさんのメモから、小麦粉と香辛料と酒をレジのテーブルに置いた。声をかけようと思ったけど、まだ取り込み中だったので、終わるまで待つことにした。飯田商店は自宅兼店のような構造で、障子が開いているせいで、奥の部屋の居間が丸見えになっていた。付けっ放しになっているテレビでは夕方のニュースがやっている。
「すまんな、ようやく終わったよ」
「大丈夫です、急いでないですから」
「なんだ、これだけか、俺なんかあれだよ」
飯田さんは外に止めてある軽トラを指差して笑った。確かにカバーからはみ出るくらいの荷物が載せられていた。
「全部で1280円だね」
そう言われて、すっかりおじさんの言いつけを忘れていたことに気付いた。
「どうかしたかい?」
「いや、1,000円以内で買ってこいって言われてて……」
「あいつもちゃっかりしてんな、酒をあっちのにすればちょうど1,000円になるな」
ちゃっかりしているという飯田さんの言葉に僕は心底その通りだなと思った。
「気を付けて帰りなよ、車で送ってやりたいとこだけど、今日は配達が多いからよ」
「とんでもないです」
「それに最近は物騒な事件が多いからな」
飯田さんが振り返って居間のテレビに顔を向けた。ニュースキャスターが深刻な顔である事件の特集を紹介している。VTRが流れて画面に現れた1組の夫婦は一枚の写真をカメラに向けていた。
「こんな小さな子がな」
泣いている夫婦が持つその写真には1人の男の子が写っていた。大きく口を開けて笑っている写真の少年の笑い声を僕は知っているかもしれないと思った。
「なんで、なんで、なんで」
ペダルを漕ぐ足に力が入る。ぐんぐん推進力が増して、今までで1番早く坂道を登りきった。けど、こんなに急いだところで何をすればいいのか。ちょうどおじさんが、裏庭から道具を抱えて来るのが見えた。どっちにしてもまずおじさんに話したほうがいいだろう。
「いま、戻りました」
「そんなの早く置いてお前も手伝え」
「なにかあったの?」
「たっくんがいなくなった」
「いつ?」
「さっき、柴田さん夫婦が帰ってきて、たっくん見てませんかって聞かれてな」
「見てないの」
「出かけた帰りに迷子になったらしいな、いま、俺と柴田さんたちで探してるんだけど」
「おじさん、ちょっと聞いてほしい話があるんだけど」
「お前は川の方を探せ、俺は山の方に行く」
今のおじさんに何を言っても聞いてもらえそうになかった。二手に分かれて僕はおじさんに言われた通り川の方へ向かった。
「たっくーん」
いくら呼んでも返事はない。ここから国道に出るまで子供の足でどのくらいかかるだろう。たっくんの姿を探しながらこのまま見つからなければいいとも思った。駅の方まで逃げ切って誰かが保護してくれればと。歩き続けて、川幅が一段と広くなるポイントに出た。所々水面から飛び出た岩が浮島のように並んでいる。初めは全く気付かなかったが、通り過ぎてからそのうちの一つの岩の陰で動くものが見えた。
「たっくん?」
どうやってそこまで行ったのか、川の真ん中にある岩場に立って川の中をじぃーっと見つめている。
「たっくーん」
こちらの声に反応してくれない。仕方なく岩と岩を飛んで渡って、ようやくたっくんのもとにたどり着けた。
「こんなところでなにしてるの」
「お兄ちゃん見て、魚が川をのぼろうとしてるんだよ」
「そんなのいいから早く逃げないと」
自分が先に岩に飛び移って後から飛んでくるたっくんを抱きとめる。岸に着いた時には靴がびしょ濡れになっていた。
「たっくんこれから駅まで一緒に行こうか」
「なんで?」
「逃げるんだよ」
「誰から?」
「とにかく行こう」
手を引いて行こうとしてもたっくんは動こうとしなかった。
「ここにいちゃダメだろ」
僕はしゃがんでたっくんと同じ目線になった。
「あの人たちは誰なんだ」
たっくんはなにも答えず、ただ黙っている。僕はたっくんの両手を握った。
「たっくんは誘拐されてるんじゃないの」
「違うよ」
その時だけたっくんは僕の目を見て言った。
「でも、たっくんの本当のお父さんとお母さ・・・・・・」
近くでたっくんを呼ぶ声がする。さっきのたっくんの声が聞こえたのか。やがて姿を現した柴田さんは恐ろしいような目つきでこちらに向かって来た。
「たっくん逃げよう」
「いいんだ」
「え?」
「僕が言ったんだ、僕がこの家の子になるって」
背後で殺気を感じた。振り返ると柴田さんがいた。僕を睨む目つきはもういつもの柴田さんではなかった。やはりこの人は犯罪者だったんだと初めて恐怖を感じた。同時にどうしてすぐ2人で逃げなかったのかと後悔の念が押し寄せてきた。柴田さんと数センチの距離になり僕は咄嗟に目を瞑った。柴田さんは身構える僕にはなんの興味を示さず素通りしてたっくんと向かい合った。たっくんが何か喋りかけた時、柴田さんの手がたっくんの頬を叩いた。
「どこに行ってたんだ」
うつむいたたっくんの頬は赤くなっていた。
「あれほど水辺には近づくなと言っただろ」
声にならないほどのたっくんのごめんなさいが川の音に消されていった。
「でも無事でよかった、本当に」
たっくんの小さな体を抱きしめた柴田さんは泣いていた。僕は自分が勘違いしていることに気付いた。そこには純粋に本気でたっくんのことを心配する柴田さんがいた。
テーブルに置かれた写真には3人の家族が写っていた。両親との間でたっくんがピースサインしているなんの変哲もない写真。だけど、ずっと見ているうちにある違和感を覚え始めた。どこかおかしい。でも、どこがおかしいのかわからない。
「うちの息子の智章です」
「ともあき?」
訳が分からずそのまま言葉を繰り返した。
「5年前に亡くなりました」
柴田さんは誰かが亡くなった話をしている。それがこの写真とどう関係しているのか分からなかった。
「さっきから誰の話をしてるんですか。写真の人たちは誰も・・・・・・」
写真を凝視しているうちにこの中に一つだけおかしな所があることに気付いた。たっくんは変わりないのに、柴田さん夫婦が今より少し若い。この写真は数年前に撮られたものに違いなかった。
「不慮の事故でした、川の中で沈んでる息子を見つけた時にはもう」
川での柴田さんの姿を思い出した。
「しかし、そっくりですね」
おじさんが感心するように言って、たっくんに写真をかざした。
「私も最初見た時は驚きました。本当に智章が蘇ったんじゃないのかって」
「それでどうしたんだ」
「それから、私は、声をかけて見ることにしました」
柴田さんはまるで懺悔するみたいに胸の前で両手を握った。
「最初は少し喋ってそれで終わりにするはずでした」
「それではすまなかった」
「はい。でもしょうがなかったんです。だってこの子は声まで智章とそっくりだったんですから、出来るだけ長く話していたくて、喫茶店で一緒にケーキを食べました。それから家まで遊びに来ることになって」
「そのまま誘拐しちまったってわけか」
「違うよ」
怒りの波動が小さな体からおじさんに向けられていた。
「僕から言ったんだ。僕が智章くんの代わりになるって」
たっくんは険しい顔をしておじさんを睨み付けている。
「本当ですか?」
おじさんに尋ねられてから、少しの間黙っていた柴田さんは、それからゆっくりと話し始めた。
「家に連れて来た時に、家内と一緒にアルバムを見せて全部本当のことを言ったんです。最近息子が亡くなったこと。それが悲しくてしょうがないこと。そんな時に息子に似た君が現れて、思わず声をかけてしまったこと」
柴田さんの奥さんは隣で黙って話を聞いていた。たっくんも柴田さんも3人は今、その時の同じ光景を思い出してるに違いないと思った。
「そしたらたっくんは、私たちの息子になると言ってくれたんです」
しばらく沈黙したあとおじさんが喋り始めた。
「それならうちにずっといればいいですよ、うちにいる限りご家族の安全は保証しますよ」
「ここにですか」
「ただうちのシステムはちょっと変わってましてね、お金は頂かないことになってます」
そういえばおじさんが前にそんなこを言っていたことを思い出した。
「と言ってもタダってわけにはいきませんから、代わりのもので払ってもらいますよ」
「代わりですか」
柴田さんが怪訝そうな顔をおじさんに向けた。
「思い出です」
「思い出っていうと」
突然隣の奥さんが悲鳴をあげた。
「いや。ない。なんで。なくなってる」
リュックから取り出したアルバムを膝の上に抱えている。ページをめくるたびに奥さんの顔から血の気が引いていった。
「ここで作ったたっくんとの思い出の分だけ智章くんのとの思い出を支払ってもらいます」
おじさんは平然と言ってのけるとにこやかに笑った。
「いや、返してください」
「あなたが私に返してくださいなんて言えるんですか」
「返してください」
柴田さんはおじさんに詰め寄っていった。
「財布の中にも写真を入れてますよね。車のダッシュボードの中には智章くんが描いたお父さんとお母さんの似顔絵が、まだまだ払うものはいっぱいあるじゃないですか」
「やめてくれ」
柴田さんは膝から崩れ落ちた。そこに奥さんが駆け寄る。たっくんはそこから動こうとはしなかった。
「こんなものを持ちながらたっくんと過ごすなんてかわいそうだと思いませんか? こんなものは全部捨てて、ここで家族一緒に暮らしましょう。
柴田さん達は1人でいるたっくんを手招きした。近づいてきたたっくんを2人で抱きしめて、それからごめんねという言葉が聞こえてきた。
荷造りを終えた家族が2階から下りてきた。
「お世話になりました」
最初に出会った時のように夫婦は同時に頭を下げた。それに倣ってたっくんもぺこりと頭を下げた。
「またお越しください」
3人は手をつないでペンションを出て行った。
それから1週間後のテレビで行方不明の子が無事に発見されたというニュースを見た。近くの森でずっと1人で過ごしていた少年が無傷で発見されたことは奇跡だとアナウンサーは伝えていた。
ナリシマユウ。宿泊台帳にそう書かれてあるのを見て、珍しいこともあるもんだなぐらいにしか思ってなかった。でも予約時間ぴったりにやって来たナリシマユウはあの鳴島優だった。
「久しぶりだな」
「相変わらず汚ねぇ格好だな」
今若者の間で絶大な支持を得ている超人気のシンガーソングライター鳴島優とマブダチのような会話を交わすおじさんは何者なんだろう。やっぱりこのペンションは普通じゃない。